里長
イオリが休暇で訪れた森人の里は森人の中でも他種族に友好的な人が集まった集落である。
つまり他がそうとは限らない話なのだ。
だからイオリは帝に書状を出すとまず全力で森人と仲良くなろうと努めた。
まだ書にしていない物語を聞きたかったのと正直な話、他の森人の里への伝手が欲しかったからである。
今更だが、森人とは森に住まう耳長族を指す。
しかし地人とは互いに干渉はしないことが暗黙の了解のためその実態を知る地人は少ない。
森人の里に滞在中、イオリは里長の家で暮らした。
里長は里で最も多くを見届けた者がなる。
即ち長寿の者。
この里の里長は3千年を生きてきたという。
そして不思議とイオリはこの里長と気が合った。
イオリが森人の里に滞在しておよそ50日が経つ。
その間3度の祭りがあった。
1度目と2度目は簡単に言えば森と植物に感謝する祭りだった。
森人にとって住処であり外敵から護ってくれる森は古くからの信仰対象であり、その信仰が彼らの存在意義でもある。
森人は特別な樹の種として生まれるんだと里長はイオリに話す。
「だから自分達にとって樹は家族であり、樹にとって自分たちは護るべき子供なんだよ」
そう言った里長の瞳は決して穏やかなものではない。
でもイオリに里長の瞳に映るものを捉えることは出来なかった。
3度目の祭り、この祭りで森人たちは自らの守護たる樹を燃やした。
燃やされたその樹は森人の里でしか見ない聖なる樹だ。
賑やかに歌い踊った2度の祭りと違い今回は静かで厳かだった。
「何故樹を燃やすんですか。……樹は親なのでしょう。」
僕の問いに里長は小さく笑った
「人の心とは多面的なものなんだよ。確かに私たちは樹を愛している。でもそれだけではいられないんだ。」
「………そういうものですか。」
僕はこの里に来てから毎日書館へ足を運んでいる。
所謂伝記というか日記というか、この里に生きた者の生涯を著した書は粗方目を通した。
今日からは、この里の伝承などを纏めた物に手をつけていく。
『森人の在り方とはなにか』
題名を見て、ふと祭りの時のすっきりしない里長の表情を思い出した。
『森人が死ぬ時、その体から1本の木が生える。彼の者の生涯を示すという聖樹だ。私たちはこの木を長年敬ってきた。私たちは聖樹を生み出すことの出来る素晴らしい種なのだと。』
里長の言う'種'の意味が分かった。
そして、里を覆う木々のかつての姿も。
『しかし私は疑念を抱いた。きっかけは同胞の死を見届けた瞬間だった。隣で歩いていた彼は気づいた時足元から徐々に樹木へと変化を遂げていた。恐怖に顔を歪ませ、命乞いをする彼はそのまま樹に飲み込まれて最後には元が人間であったなど分からない立派な聖樹が完成した。それは私には安らかとは程遠い最期に見えたのだ。森人が死に際に聖樹を生み出すのではない。これではまるで、聖樹が森人を喰っているようだ。』
なるほどとイオリは思った。
きっと仲間の死を見届けた人は彼だけでない。森人はここに記されている聖樹への疑念と信仰を持ったまま生きているのかもしれない。
「……だから愛だけではいられない訳か。」
実際聖樹の本質とは何であるのだろうか。
長い年月多くの生死を見届けた里長はとても感情豊かな人であった。
祭りだと言えば1番はしゃぎ皆の中央で踊り出す。
子供と一緒になって全力で遊んでいるのも見た。
里の皆の中心で元気に遊んでいる無邪気でよく笑う人。
僕はそんな彼と共にしばしば書館を訪れた。
この書館に佇む物語の半分は彼が見届けた物語であり生涯。
彼らの生涯に浸って喜び悲しむ僕を見て嬉しそうにした彼は、ある時彼らと共有した記憶を静かに話し始める。
そして、それらの儚き記憶が彼を彼たらしめたのだと僕は知った。
それは、彼の父母、年の離れた妹、隣の家に住んでいた女の子、苦楽を共にした親友、戦場でたまたま仲良くなった敵兵など、多岐にわたる出逢いと喪失の記録。
イオリは瞳の表面に集る水分が落ちないように天井を見上げる。
「何故…貴方は覚えていられるんですか。」
楽しい記憶
それは喪失を知った時、決して手を届かない何処かから残酷にこちらを見つめる。
人がそれを見つめ返す時、それは手が届かないことを認める時。
簡単に聞こえるかもしれない。
でも違うのだ。
1度でも愛してしまえば認めることなどできない。
手を伸ばさずに居られない。
家族を失いその喪失を埋めてくれた友も失われた。
闇から這い上がれない彼を救った彼の人は自ら生きることをやめた。
愛すれば愛すほど失う。
今彼の物語を歩いた僕は思う。
何故狂わないのか。
寂しさを湛えつつも穏やかなままに居る彼が分からない。
「もう、記憶しか私と彼らを繋いでくれないんだ。
どんなに手を伸ばそうと届かない。
どんなに恋い焦がれたって夢にさえ出てきちゃくれない。
彼らと笑い合えるのは記憶の中だけなんだ。」
僕は初めて彼の泣きそうな顔を見た。
「この命何度断ち切ろうと思ったか知れない。
大切な人が私を遺していく度に生への絶望で息をすることがとても辛くなる。
私よりも生きるべき人を沢山見てきた。
何故あの子の命は枯れて我が命は枯れない。
愛し、失うことの苦しさを知っているのに何故私はまた愛してしまうのか。
死よりも辛い生き地獄を毎秒噛み締めているはずだろう…。
私は自分を許すことが出来なかった。
何より、ただ私だけが平和に生きている現実が受け入れがたかった。
1度失ってしまえば、どんな人と出会おうとも言葉を交わす前に別れを考えてしまう。
私は遂に誰もいないところを探して1人閉じこもった。
今思えば心を整理する時間が必要だったんだ。
数百年の間1人で人生というものを振り返った。
受け入れ難きを受け入れる時が来ていたのだろうとも思う。
しかし、大切な人に焦がれて数百年を過ごした。
忘れることも受け入れることも出来なかったのだ。
いつしか外の世界に行けばそこで彼らはいつものように笑っていると、そんな妄想を現実と思い始めていた私は彼らに会うために1人の世界を出た。
そこでまず私が目にしたのは変化だった。
世界は大きく変わっていた。
里へ戻った私はかつての知り合いが誰もいないことに愕然とした。
そして気づいたんだ。
もう誰も彼らを覚えている人がいない事に。」
そこで言葉を切り、僕を見つめた彼の瞳は濡れていた。
「私が彼らを忘れてしまったら彼らがこの世に生きた証は喪われてしまう。
その時初めて生きようと思えたんだ。」
「それから私は誰もいない里で細々と暮らし始めた。
そうしたら段々に人が集まってきてね。
次第にひとつの里として成り立つようになってきた。」
今度は嬉しそうに目を細めた。
「里をまとめる日々は楽しかったよ。
充実感に溢れた日々だ。
しかし、私は里に生きる彼らもいずれ喪うという事実を無視することが出来ない。」
「実はな、私は自分の名前を里の者に聞かせたことがないんだ。
最後に私の名前を呼んだのはあの娘のままが良くてね。
だが正直私の生涯もいつ終わるか分からない。
私は弱いからな、日記など付けれなかった。
今思えば彼らの融資を記録すればよかったと思うんだけどな。
そんな余裕なかったのさ。
だから、お前が私の生涯を記録してくれないか。
この地に由縁もないお前だからこそ頼める。」
「仕方ないですね。引き受けましょう。」
「ありがとう。
ではその記録の題名はイツキにしてくれ。」
「え、それって…」
驚いた僕と対照的に彼は嬉しそうに笑うから僕は何も言えなかった。
僕の当初の目標は書館の制覇、そして森人と仲良くなることだ。
結論から言えば森人との仲は確かに縮まっている。
そして、僕は気づいてしまった。
この森人達、圧倒的に危機管理能力に乏しい。
わかりやすく言えば平和ボケしている。
この里に訪れたのが僕でなく盗賊なんかであればこの里即刻滅んでいるものである。
森人とは植物を愛し植物を崇拝する種であり、里一帯の植物は他よりも元気に生い茂る
外から見るとそこだけ木々が高く植物で土が見えないので森人の里があることは一目瞭然なのだ。
なのに、なのにだ。
何故こうも誰彼構わず歓迎しもてなすのか。
そもそも初対面の他種族に重要な書館を見せちゃだめだろう。
彼らは彼らで自分には関係ないはずだがあまりにもでこちらがやきもきしてしまう。
衝動で里長を筆頭に大人を集めてこの世に溢れる危険を説いた。
自分なら若造が何を口出してと逆上してしまいそうな状況だが彼らは素直で人が良い。
理解したと頷いた上で森の庇護について教えてくれた。
なんと、森の中にいれば木々が悪意あるものを防いでくれるらしい。
凄いな。
感心と共に3度目の祭りを思い出した。
だから彼らは信仰を捨てられないのか。
しかし、それならばある程度平和ボケしていようと大丈夫だろう。
ただ当たり前だが森を出ると庇護はない。
庇護は種に与えられる聖樹によるものだ。
だから森の外に出る時は危険が伴うことだけは忘れないよう彼らに頼んだ。
冷静になるとただただお節介な自分にため息が出た。
いや、これは平和ボケした森人が悪いのだ。仕方ない。