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アクション・ディス・デイ

 チャーチルは、いぶかしげな表情で、アラン達の手紙を読んでいた。


 そこには、暗号解読機『ボンブ』は用意されているものの、人員が不足しているため解読が毎日半日以上遅れていること、タイピストやボンブのテスト作業員が足りないこと、暗号解読の重要性を認識していないためか幾つもの不要な障害に遭遇したことなどが記載されていた。

 そして、それらは数か月前から要望して、あらゆる正式の手段を使って訴えても改善されないことが書かれていた。


 チャーチルは読んだ後、苦虫を噛み潰したよう顔をし、


「ガチョウ達が欲しがっているものがすべて揃うように最優先で取り組め! そして、その完了報告を私にしろ!」


「かしこまりました」


「いいか、最優先だぞ。あと、ホワイトホールの事務員連中どもには戦争においての情報の重要性を理解させろ。


 ガチョウ達を再び鳴かせるな!


 グゥア、グゥア。グゥア、グゥア」


 そう言うと、チャーチルは、赤い貼り紙




      ACTION

     THIS DAY




 『アクション・ディス・デイ(即日やれ)』をアラン達の手紙に貼った。


 その日から、アラン達の予想以上に物事が進み、暗号解読のスタッフや予算は簡単に追加され、「ボンブ」の運用がスムーズになったのであった。そして、翌年の2月には、GC&CSは再編成され、運営の問題はだいぶ緩和されたのであった。


 その後も、エニグマのローターが4つになったため、一時期解読できない期間があったものの、ブレッチリ―パークのGC&CSでは、多くのエニグマの暗号文が解読された。


 『邪悪なオジサン達』を含むGC&CSの成果は連合国勝利に大きく貢献し、その効果は戦争終結を2~3年早めたと言われている。


【チューリング達の手紙(ちゅーりんぐたちのてがみ)】

 手紙に内容は、小説の通り、追加の人員要望と不要な障害が数か月にわたって改善されないことが記載されていました。また、このほかには、自分たちが直接手紙を届けたことについての謝罪、副長官であるエドワード・トラヴィスが、チューリング達のために、尽力してくれたことが記載されていました。上官についての言及はトラヴィスの記載のみでした。つまり、トラヴィスの上長、GC&CSのトップであるアラステア・デニストン他が対応しなかったことを暗に示唆するものでした。


 実際、デニストンは、前話「デニストン」で記載した通り、当時膨張する組織をうまく運営できていませんでした。そのためか、1942年2月、GC&CSが再編成された際、デニストンは、閑職に追いやられます。


 デニストンはGC&CSを退職した後、降格により年金が少額であったためか、戦後は、教職に戻り、フランス語とラテン語をロンドン郊外で教えます。また、彼の娘は、降格による収入減で通っていた学校を去らなければなりませんでした。彼の晩年はそのGC&CSへの功績にも関わらず、あまり報われたものではありませんでした。


 ちなみに、スチュアートは、直接チャーチルに手紙を持って行ったことで、MI6の長官スチュワート・メンジーズに「チャーチル首相の15分を無駄にした」と怒られます。一方、デニストンは不快であることを示したものの、紳士的な対応だったそうです。


【アクション・ディス・デイ(あくしょん・でぃす・でい)】

 直訳すると「即日やれ」です。チャーチルの言葉に、「I never worry about action, but only inaction」とあります。これは、和訳すると「私は行動することを恐れていない。私が恐れているのは行動しないことだ」です。この信念のもと、彼は、戦時中、赤い貼り紙「ACTION THIS DAY」を多くの文書に貼ります。これは、この貼り紙を受け取った部下に迅速に物事を進めるよう促すものでした。


 ちなみに「アクション・ディス・デイ」の題名は、ブレッチリーパークの暗号解読を取り扱った本やチャーチルとの勤務の回想録の本にも使われています。こちらは英語ですが、同じ題名を使うのは問題ないか気になったので、調べたました。少なくとも日本ではタイトルに著作権は認められないそうです。シリーズ名など明らかにユニークで誤認されそうな題目を付けない限り、問題なさそうです。


【GC&CSのその後(じしーあんどしーえすのそのご)】

 戦後、政府通信本部(GCHQ:Government Communications HeadQuarters)と名前が変わり、再編されました。冷戦時代も活躍し、アメリカ国家安全保障局(NSA)と協力し、ソ連の暗号解読に勤めました。

 ブレッチリ―パークは、戦時中、1万人以上勤務することもありましたが、戦後は解散し、GCHQは移設されました。その後、様々な用途で使用されるも荒廃し、売却されそうになります。しかし、1990年代にその場所に博物館を作り、現在では、暗号解読に関する展示が仮兵舎(Hut)で行われており、国立コンピューター博物館が併設されています。


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