5.直政からの提案
華とバッティングセンターに行く当日。待ち合わせ場所に来た彼女は何故か泣いていた。
ここに来る前仁科から連絡があったため、直政はそのついでに大学の近くにあるバッティングセンターの場所をメッセージ上で尋ねていた。野球バカな仁科が知らないはずがないと思っていたが、案の定場所を知っていたのだ。
ついに興味を持ったのかと尋ねられたが、それは無視。だがどうやら今日は仁科もバッティングセンターに行く予定があったらしく、その文を見てついつい返事をしてしまった。
<いや来なくていいって。>
<なんでお前に言われて俺が予定を変えなきゃならないんだ。俺だって都合がある。>
確かに彼の言うことは正論なのだが。直政が予定を入れるより前に計画を立てていたとしたら、直政の要求は理不尽な話である。まさか仁科も野球に対しそっぽを向いていた直政がバッティングセンターに足を向けるとは思っていなかっただろう。
だが来てほしくない。
<他のとこいけよ。>
<他のとこは遠い。大体場所が被っても邪魔にはならないだろ。>
本当に他の施設が遠いかどうかは知らないが、仁科が思う邪魔ではない行動は直政からすれば邪魔な行動なのだと、彼は果たして理解しているのだろうか。
<じゃあ顔見せんなよ。>
<いや、話したいことはある。>
「だーかーらー!」
敢えて遭遇したくないことを明言したのにそれを避けようとしない仁科に、路上にいる事を忘れ思わず叫んだ。ポトリと口からタバコが落ちる。まだ火をつけたばかりだったのに。
<それを邪魔なんだよ。学校で話せよ><何時にくるの?>
連続して送った。彼の来る時間を外せば済む話だとメッセージを送った後に気が付いたから。だがここで仁科は返事をしなくなった。
初めは自分の要件さえ済ませば無視できるようにとメッセージでのやり取りを選択したのに、いざ相手にされれば腹が立つ。一番大事なところで返事がないとは、どういうつもりなのか。
そこから電話をかけてみたが仁科は出なかった。イライラしたまま携帯の画面を閉じ、タバコをふかせていたところに華が顔を見せたのだ。
泣いている姿を見た瞬間、仁科への苛つきが治まる。自分も相当なお人好しのようだと直政は深く実感した。
流石の華も声を上げて泣いているわけではないが、鼻が赤く目も潤んでいる。
「何で泣いてんの?」
「は?私が泣くはずないでしょ。目、付いてるの?」
直政も目が付いているから尋ねているのだ。しかしプライドの高い華が自ら理由を言うはずもなく、先ほどの返答からしても泣いている自分すら許せないのだろう。
「あー分かった。来る途中に犬のフン踏んだ。高そうな靴だしな。」
「そんな事で泣かないし、そもそも踏んでない。」
やはり泣いているではないか。顎に手をあて、まじまじと靴を見た直政はそう思ったが、拗ねて鞄で殴られる事態が予測できたので、口に出すのは控えることに。
「じゃあ会社の上司にキレられたとか。」
「私にキレるような上司なんていないわよ。誰だと思ってんの?」
「まあ華凶暴だしな。」
今度は鞄で殴られた。無駄に丈夫な革と金属でできた鞄で殴られるのは、思った以上に痛いのだ。瞬時に血が上ったが、人が通ったので歯を食いしばって我慢する。
「あー分かった。どうせ誘い断ったから、仲間にハブられたんだろ。あーしょうもな。」
半ばヤケクソで女子小学生がしそうなことを吐き捨てると、華の返事がすぐにこない。そして少し間が空いたところで頷いた。その返答に思わず固まる直政。
「マジ?断ったくらいで?」
「そんなもんよ。あー面倒臭い。」
今までの人生で経験がなかった直政からすれば衝撃だった。止まっていても目的地が向かってくるわけではないので、とりあえず歩き始める。
華が直政に見せた携帯の画面には彼女のSNS。友人達が写真をあげており、三人の女性がシャンパンやクッションを片手に映っている。例のパジャマ女子会とか言うものを開いている様子だった。
「うわ、全員美人。」
「そこじゃないわよ、クソ猫。もっと下。」
指をスライドして下に進むとコメントが添えられていた。やっぱり三人がいい。これからも三人ずっと一緒。普段は四人で行動を共にしていたようだが、やけに三人が強調されている。
そのあと見せられたのは、華自身のアカウント。彼女の過去に投稿した写真には批判コメントが沢山書き込まれていた。その中には見た目を批判するものやモテない女の子など、上げた写真と関係ないものもある。
「めっちゃ悪口書かれてる。何したの。」
「付き合い悪いから嫌がらせでしょ。」
用事で行けなくなったと伝えたときは快く承諾した友人たち。だが彼女たちは怒っていた。
会社の後輩に相談したとき、友人の約束を放棄し男性と遊びに行くことを強く批判された。確かにそれはいけないことだったと、その時華は気が付いた。そして謝罪のメッセージを入れたが手遅れ。誰もその文章を読むこともなかったのだ。
既に削除したが、モテない彼女にとメッセージアプリのIDを勝手に記載したものもあったらしい。知らない男からメッセージがきて、初めてその事実に気がついたとか。そして今も華の携帯には知らない人から頻繁にメッセージが届いている。
その現状に対し、流石に言葉が出ない直政。女子なんてこんなものだと答える華の表情は暗く、どこか怯えているようにも見えた。
IDを載せた友人にもそれに乗じてメッセージを送ってくる他人にも、彼女は恐れを抱いているのだ。
「本当の友達なんてずっと作ったことないから分かんないよ。」
何かあれば写真を撮ってはSNSにあげ、最新のものがあれば飛びつき購入する。写真のために他の誰かと仲が良いふりをして、自分が優位に立つために金を稼ぐ。華は女子とはそんなものだと思っていたのだ。
「楽しくないけど、独りは嫌だからさ。背伸びしてでも、みんなが離れないようにしないとって。」
彼女の声がだんだん涙声になっていく。そのうち本当に涙が出てきたようだが、生憎ガサツな直政はハンカチを持っていない。自分のハンカチを取り出した彼女は涙で足元が見えにくいのか一度地面に躓いた。
道中で泣く彼女に困った直政は頭を掻き、やっとの思いで声をかけた。思い返してみれば、彼女の涙にはいつも困らされている。
「あのさ。提案が二つあるんだけど。」
何よと顔を上げた華の化粧はすっかりドロドロに落ちていた。それを見た直政はさりげなく提案を三つに訂正する。
「一つ、もうそんなSNSやめちまえ。んでメッセージアプリのIDを変える。安全のためにもだし、要らない友人一掃できるぞ。」
IDを変えると言う意見には賛成だった華。確かに今のままでは危ない。たとえこまめに削除してもどこで自分のIDを晒されているかわからない状況は恐怖そのものだ。しかしSNS本体をやめることには不安が残った。
「二つ目。腹立つ時はバッドで思いっきりボール打つ。なんなら、でかい声だしながら。すごくスッキリするから。だから今は泣くの我慢しろ。メリットは単純に俺が困らない。」
直政が指さす方向を見ると、いつの間にか華の目の前にバッティングセンターがあった。気がつかないうちに到着していたようだ。彼女は涙を拭くと頷いて唇を噛む。
「それで三つめだけど。一回トイレ行ったほうがいいと思う。顔が酷い。」
「顔が酷いは失礼でしょ。もっと言い方ないの?!」
華に怒鳴られたが、直政からすれば精一杯考えた表現。本当はブスと言いたかったが、傷心の彼女に気を使ったつもりだったのだ。
結局腹を立てながらも、一応言われた通りにトイレに行こうする華。しかし目前で直政に呼び止められ、酷い顔という表現を根に持っている彼女は鬼の形相で振り返った。
「ごめん四つ目あった。」
「何よ!早く酷い顔直させてよ。」
余程怖い顔をしていたのか、酷い顔をしていたのか。いつもはペラペラと言葉を返す彼が首を竦めている。そして恐る恐る言葉にした。壁を引搔いている瞬間を目撃され飼い主に叱られた子猫のような顔で。
「あのさ、華。付き合わない?」
一瞬言葉の意味を理解できなかった。どこに、と聞きたくなるほど頭が回っていない。
「付き合うって……男女交際?」
「え、うん。そう。」
何かの勘違いかと思い、バカと言われる覚悟で尋ね直したが、やはりそういう意味だった。
それを聞いた華は叫びなのか雄叫びなのかわからない声を出してトイレへと逃げ込む。そして中からもう一度同じような声が聞こえてきた。
「すげえ発狂してる。」
彼女の動揺ぶりに不味いことを言った気がした直政は、必死に理由を考えた。
知らないやつから連絡がきたら危ないから。独りは嫌だっていうから。いや違う。それは恩着せがましい気がする。なんとなくそう言った。いやそれは一番ダメな気がする。
そんな事を考えている間に、もう一度華の発狂した声が聞こえる。周りの客が騒ついているのは恥ずかしいが、誰も華だと思わないだろう。
まだ彼女が戻ってこない事をいいことに、直政は慌てて電話をかけた。その相手は勿論高校時代の友人、榊原。低音で落ち着いた声を聞いたときに安心感が溢れてくる。彼なら打開策を打ち出せるかもしれない。
しかしその安心感もすぐに消えた。彼との電話は一分で終わったのだ。事情を説明した直政に、榊原からは一言あっただけ。
「グッジョブ。」
それだけ言い残して電話が切れた。
「グッジョブじゃねえよ。解決策が欲しいんだよ。お前の評価なんて要らねえよ。」
電話を持つ手を震わせながらそう言ったが、もう榊原には聞こえない。ため息を吐いて下を向きながら心を落ち着かせていたとき、誰かに肩を叩かれた。
一方、三度も発狂した華。一度目はトイレに入るとき、急な発言への戸惑いから。二度目はトイレの中。先ほどの言葉を思い返し、また発狂してしまった。三度目は鏡を見て化粧を直すとき。改めて自分の顔を見たとき再び思い出し、恥ずかしさがこみあげて発狂。
幸いなことに、この一大事のせいで華は友人からの嫌がらせなどすっかり忘れ、涙も乾いていたのだ。
嫌なわけではない。見た目は好みの王子様系ではないしガサツで口も悪いが、意外とまともな所があるし、話も合う。案外優しいし何より背伸びをしなくても済むのだ。
本当に興味があることについて話しても見損なったような顔をしないし、目の前でビールも飲める。ただ一言言いたい。
「もっとロマンチックな場所が良かった。」
振り絞るような声で呟き、目の前の鏡に向かってうなだれた。
彼が悪いわけではない。そんなロマンチックな場所に一度も行ったことがないのに、改めて誘われるはずがないのだ。
だからこそ誘われたかった。その方が心の準備ができるではないか。
華の中の理想では、夜景の見える所で切り出して欲しかった。なんなら主に自転車で行動する直政が車を買った後の方が良い。更に言えば、あの部屋をもっと片付けてからにして欲しかった。
部屋を思い出したときに、また発狂した。これも恥ずかしさからきた発狂。もはやバッティングどころではない。
もはや気を楽にするために彼が消えていて欲しいとさえ願いながらトイレから出てきた華。その願いが叶ったのか。直政の姿は椅子の上にはなかった。
これはこれで拍子抜けしながら辺りを見渡してみる。やはり姿が見えないので、カウンターで店員に尋ねてみた。
「あの、髪が赤くて猫みたいな顔で、身長が私くらいの男の人は。井伊直政って言うんですけど。」
店員がボードを指でなぞりながら名前を探す。彼によるとつい先ほどバッティングマシーンを使い始めたらしい。
直政もあんな大事を言ったものの、モヤモヤした想いに耐えきれなかったのかもしれない。そんな勝手な推測をしつつ、礼を言い華はその場所に足を運んだ。
確かに彼はいた。しかし他にも二人。見知らぬ男と一緒に。