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4.仁科盛信




 織田にメンバーを集めてこいと言われてから、明智はあらゆる社会人野球チームを巡っていた。良い人材を集めようと有名なチームを調べ順番にまわり、声を掛けたが誰も応えてくれない。


 まず有望な選手を引っこ抜きに来たと思われた時点で、人が去りそのチームの監督からは摘み出され、挙句はチームの会長に報告すると脅されたこともあった。そんな事をされると今度は会社同士の関係に亀裂が走る。


 ようやく話を聞いてくれそうになっても、報酬金額を提示できずにいた明智。


 全員集まればその金額は支払われるが、集まらなければ明智の自腹になる。それは実質不可能なので解散となった場合、選手に申し訳が立たない。そんな状況で金額提示をし、保証を行うと発言するような賭けを、明智はのうのうとできる人間ではない。


 考えあぐねた末に目をつけたのは、これから就職活動に入るだろう大学三年生たち。


彼らなら、これから会社に入社するつもりでスカウトができる。残念ながら季節的に四年生は期限切れだろう。


 早速大学野球の様子を見に行った明智だが、野球が有名な大学だから特別良い選手がいるわけではない。いたとしても、彼らはもう何処か誰かの息が掛かっている可能性が高い。実際、良いと思った選手に声を掛けたが、何人も断られた。


 ここはもう仕方ない。あまり有名ではない大学から見つけるしかない。三年生なら、今から仕込めばまだ使えるはず。どこまで伸びるかわからないが。


「そう言う事で仁科君。将来的にうちの社会人野球チームに入ってもらいたい。」


 ある大学に潜入したとき、明智はそこの投手に目をつけた。その他の選手も悪くはない。


しかしただの野球好きから見ても、彼のストレートは他の選手とは違うように見えた。速さがあるだけでなく真っ直ぐに伸び、なによりもミットに入る音が違う。


 仁科盛信。ピンときた明智は投手を務めるこの男に声をかける事にした。


 練習後に話を持ちかけられた仁科は、何の事か分からないような表情をしていたが、冗談とは思っていないようで話はすんなり聞いてくれた。正直大学を卒業してすぐプロにとはなれるとは思っていなかったらしい。


 だが就職活動をしている時間があれば練習に勤しみたい気持ちが半分と、活動せず野球に専念した結果どの会社にも就けなかった場合を考えたると、その不安は拭えなかったようだ。


 悩みながら練習するのも身が入っていないようで勿体なく、早く決めたかったそう。というのも、進路は早く決めた方がいいと祖父から助言をもらっており、彼はそれを素直に検討していた。


 それに仁科は社会人野球も嫌いではなかった。


祖父が経営する会社にもチームがあり、彼らの活躍を幼い時から見ていたから。特に当時のエースがクールに投げ切る姿に憧れ、このポジションを勤め上げることに決めたのだ。


 その投手はもう会社自体辞めてしまったようだが、今でも度々自宅に遊びに来ては、兄のように野球の練習を見てくれているらしい。


 仁科に声を掛けてから数日後の昼間。明智は彼と共に監督のもとへ相談に向かった。明智の元に行くか、そのままプロを目指すか、すっぱり諦めて就職するか。


 答えは決まっていたが、良くしてくれた監督を重んじたいという仁科の意見を取り入れたのだ。恩を忘れぬ発言からヒシヒシ伝わる彼の真面目さ。明智からすれば嫌いではない。


 だが監督は仁科の相談を鼻で笑った。


「仁科、お前忘れたのか。そんな体力でどうやって投手を続けるつもりだ。」


 諦めて就職をするべきだ。もしかしたら監督の心配からくる助言だったかもしれない。だが明智からすれば、笑いながら話をする監督の姿は衝撃的だった。


 仁科は本当に彼に育ててもらったのだろうか。


「明智さん。あんたの目は合ってるよ。こいつはストレートが売りの、うちの元エースピッチャーだ。ただこの大学に来たあと怪我をした、所謂ドロップアウト組だけどな。」


 監督の言葉を聞いた仁科は目を閉じて静かに奥歯を噛む。それを言われないために、毎日練習してきた。一度落ちた体力を取り戻そうと必死だったのだ。


 彼は推薦でこの大学に入学するほどの腕を持っていた。入学後も一年生のころから真面目に練習し、自慢のストレートと強気なピッチングでエースを担うことでチームを牽引。


 そんな折り、彼が大学二年生の時に自転車に乗って通学している途中、車に撥ねられたのだ。


 真面目な性格の仁科が交通ルールを破るはずもなく、悪いのは完全に車側。よく見ていなかったという単純な理由で、彼は足を痛めた。退院まで数か月かかったという。


「期待のエースは終わった。」


 悲報を聞いたときチームメイトはそう発言した。


足が思うように動かない。いつも熱い心でリハビリを続けた結果、投げる事はできるようになった。だが全力投球をする際足に大きな負担が掛り、長時間マウンドに立つことができないのだ。立てて二回まで。


「そんな選手で良ければどうぞ。三回も粘れない投手なんて、全く使えないだろうけどな。」


 例えば0対0の攻防のとき、九回裏で二回しか投げられない投手を出せるだろうか。


強いチームならイエスだろう。延長戦になり、仁科が力尽きても、他に代わりの投手がいる。だが今の明智には厳しい。何故ならそれほどの人数が集まる可能性が少ないから。


 二年後、三年後の未来なら可能かもしれないが、今欲しい人材かといえば、答えを渋らざるを得ない。明智が欲するべきは、今使える選手なのだ。『欲するべき』は。


 監督の投げかけに肩を落とす仁科を気にすることなく、明智は涼しげな顔で話を聞いていた。仁科のストレートは本物なのか、それだけを確認して。


良くこの表情を会社の先輩である柴田には、全てを知っているかのようで腹が立つと言われ煙たがられる。


「では監督さんは、特に私が彼を引き受けても問題ないということですね。有り難うございます、助かります。」


「え、話聞いてなかったの?」


 礼を言い何度も頭を下げる明智に、監督は目を瞬かせながら首を傾げた。今まで長い話をしてきたにも関わらず、彼は大学の講義を聞く生徒のように、話をBGM代わりにしていたのではないかと疑問が湧いてくる。


 当の本人明智は、やっとの思いで一人仲間を手に入れられたことに感極まったのか、ハンカチで目元を拭いながら聞いていたと監督に訴えた。やはり仁科はすごい選手だという話だったと。


「すみません。このスカウト業をして初めての成功なんです。いやあ嬉しいな。仁科君、これからも宜しくね。」


「え、明智さん。聞いてください。俺、二回しかもちませんが、大丈夫ですか。あの良かったらどう言う事か説明しましょうか。」


 もしかして野球のルールを理解していないのかと思った仁科。断られることを承知でわざわざメモに書いて説明しようとしたとき、明智は笑顔でそれを止めた。


 ルールなら充分に知っている。何故なら彼も遊撃手を務めていたから。


「監督。私にとって、二回分の体力しかない事は何の問題もありません。だって、彼を支える人間を探すという大きな基準が見つかったに過ぎないのですから。」


 明智は先ほどの話を聞いて思った。これほど真面目で粘り強く、野球に対し真摯に取り組む彼を逃しては、必ず後悔すると。


 だから彼を中心にチーム編成を考えることにした。必要なのは積極的に得点へと繋げる打線と、完投できる投手。そして彼へと繋げる中継ぎ。それがあれば、仁科はまだまだ使える。


 織田や羽柴に虐められる毎日を送っていた明智は、仁科の置かれている状況が痛いほどわかった。恐らく怪我をしてから虐げられるとまではいかないものの、彼も肩身の狭い思いをしてきたのだろう。


一度根性が捻くれマイナス思考になってもおかしくない状況であっても、仁科はまだ希望を捨てていない。そんな選手がきっとチームには必要なのだ。


「それに監督。あなたの元から離れちゃんと考えられたメニューで練習すれば、彼はもっと伸びます。だって監督は彼を、救いようのない怪我人として扱ってきたでしょ?」



 練習を見に行ったとき、仁科は捕手と二人で練習をしていた。基礎トレーニングからピッチング練習まで。監督が呼びにきたかと思えば、バッティングピッチャーを務めさせられる。そんな扱いだと伸びるものも伸びない。


 明智も会社で同じ扱いをされているからわかる。普段は全然仕事を寄越さないくせに、トラブルが有れば明智の方に繋げられる。そんな事をされていては、成績をあげようにもあげられない。


「だから私は心からお礼を言います。監督、有り難うございます。この恩は忘れません。」


 再び涙ながらに頭を下げる明智の姿を、口を開けたまま眺める監督。この恩は忘れないが、監督を尊敬しているわけではない。


 尊敬すべきなのは、そのような扱いをされてもなお、監督に一言相談しようとする仁科の誠実さだ。


「仁科君は本当に良い人だ。」


 軽やかな足取りで帰路に就く明智。それを見て仁科は思わず笑ってしまった。誰よりも『良い人』なのは、きっとこのスカウトマンだろう。


 ドロップアウトした人間の良いところを見つけ、救い出そうと翻弄するスカウトマンなど、どこを探してもいない。みんな優秀な人間しか見ないのだから。


「そうだ明智さん。もう一人、落ちた奴がいるんです。たぶん一年生で甲子園まで行って、やめたやつが。」


 まさかの報告にキツネに摘まれたような顔をする明智。そんな人材がいたとは、ツテというのは頼もしいものだ。


 仁科は直政と仲良くなり、話を聞いたときに気がついていた。仁科がまだ一年生だった春の甲子園。同じ一年生がバッターボックスに立つ姿をテレビ越しで見た衝撃。


 まだまだ下っ端だった仁科と彼の友人は目を輝かせて騒ついた。そして密かに応援した。そいつが何て名前だったのか、どんなやつだったかも忘れたが、一つ覚えていることがある。


彼は一年生と思えないほど足が速く、お調子者だったこと。


 最初の打席は内野安打。その次はバンドヒットからの盗塁。類を踏むたび彼の満面の笑顔がテレビに映し出される。


 あれほどプレーを楽しんでしている人間は少ないだろうと、仁科はテレビを見ながら笑っていた。そしてその選手が二年、三年と上がる姿を楽しみにしていた。


しかし彼は夏の甲子園には来なかった。当時はやはり夏は三年生が主になるのかと、特に気に留めていなかった。それから記憶からなくなったのも事実。


 直政本人は甲子園に行ったとは言わなかった。だからもしかしたら違っているかもしれない。しかし、話を聞いている限りそんな気がして仕方ない。


 当時のあの一年生外野手は一軍を外されたのではない。家の事情で高校を変えざるを得なかったのだ。


「なるほど。わかりました。ではその人にも会いに行きましょう。」


「本当ですか。」


 明智は仁科の話を聞き笑顔で頷く。そんな人間が埋もれているのなら、是非とも会ってみたいもの。丁度積極的な打者が欲しいと思っていたところだ。


「あ、でも。かなりの落ちっぷりですよ。」


 目を輝かしたのも束の間。仁科は罰の悪そうな顔で目線を逸らし、頬を掻く。それは覚悟の上だと話す明智に、彼は苦笑いをしながら続けた。


「髪を赤く染めてて、暇があったらサーフィンかダーツバーかバイトしてるようなやつで。」


「ほうほう。」


「賭けごととかもして。この前はナイトクラブで女性をナンパしてましたし。」


「あらー元気だね。」


「あんまり怒らすと棒で殴ってきます。それもフルスイングで。あと眉毛どこに落としたのかってくらい細いし。あ、でも身長低いのでそれほど怖くはないですけど。」


 笑顔で話を聞いていた明智。そしてその表情を緩めぬまま首を傾げる。最後の身長のくだりで全て流されるはずがない。


「え。身長抜きで怖くない?」



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