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1.大きな妖精

 小早川隆景、通称ボンが入団してから投球練習に活気付いたのは勿論、彼の自若な性格や分析力は周りの選手を煽りつつも大きな成長の架け橋となっていた。


 ビデオで録画した映像を見てそれぞれの癖を見つけては、長所と短所を炙り出すだけでなく、プロ野球選手や他球団の選手のデータを集めては、各々の短所の改善点を打ち出す姿は、まさに理論派。


 口は悪いがその努力家な一面でカバーされ、選手達または明智からすれば隆景のやり方と助言は目から鱗状態の物は多かった。


「逆に今まで無闇矢鱈に練習していたのか。呆れる。」


 当然そんな隆景の言葉に誰も反論できない。現に彼らは適当と言えば語弊があるが、好きなメニューを好きなだけ、もしくは明智が独自に調査し製作したメニューをこなすだけだったのだから。仕事終わりか休日にしか顔を出さない隆景だが、彼の存在は大きく貢献している。


 球団として確実に前に進んでいる状況に胸を撫で下ろしながら、今日は少し早め様子を窺いに行くことにした明智。この時間だと大体元親はもう練習を始めているが、他の選手はまだ到着していない。


 彼しかいないのなら、地方から出て間もない元親に慣れてきたかどうか尋ねるのも良いだろう。そんな事を考えながら、練習場に足を踏み入れた明智の目に最初に飛び込んできたのは、頭の上にハテナマークを浮かべた仁科の後ろ姿。


「おはよう仁科君。」


「お、おはようございます。あのーあの人……は?」


 不意に明智の声が聞こえ少し驚いた様子の仁科は、グラウンドの方を指差した。何のことか理解できていない明智は彼の後ろから顔を出してみる。

そこにはいつも通り早く始めている元親と、もう一人違うユニホームを着た男が立っていた。それもボールの入った箱を側に置きバッティング練習を行っている。


「内藤さんですよね。」


「へえ?あの人内藤さんっていうの?」


「明智さん、ご存知じゃない……?」


 この練習場にいるのだから明智が仕向けたものだと思っていた仁科。明智からすれば内藤という選手をスカウトした覚えはないし、金髪を短く切った色黒の男など会ったこともない。


 仁科の話によると内藤は武田の外野手。練習するとすれば武田のメンバーと行っているはずなのにここの練習場、しかも元親と練習していることが仁科としては不思議な光景。

 ここは本人達に聞くしかないと決した明智は、仁科を連れて一歩踏み出した。


「あのー。」


 勢いよく踏み出したのは一歩目だけ。眉毛の短い金髪ゴリゴリ体系の内藤に近づくに連れて弱々しい足取りになる。明智に消え行くような声をかけられた内藤が振り返り、ボールを持ったまま固まっている。そして仁科の顔を見ると、今度は元親を見た。


「……見つかっちった。」


「見つかりましたね。」


 まるで存在が判明してしまった大きめの妖精のような反応をした彼は、姿を消そうとそそくさとボールを片づけ、箱を持ち上げては一礼する。

 失礼しましたと踵を返す姿に一瞬見送りそうになったが、そこで帰られては状況が飲み込めない明智は慌てて引き止めた。


「ちょっと待ってください。どういう事ですか?」


 元親もすんなり見送ったため退散に成功したと思っていた内藤だが、明智に呼びかけられて足を止める。どういう事かと尋ねられても話せば長くなるのだが、そう伝えても明智も仁科も食い下がってくる。


 話は隆景を仲間に入れるための試合直前に遡る。あの時元親、慶次、直政が迷い込んだお陰で、元親に一から教えることになった内藤。


 明智がなかなか練習に顔を出さない中、内藤はその日から何度も元親の指導をするようになったことから、二人の金髪と一人の赤髪で構成されるやんちゃ坊主三人と面識が増え打ち解けていったのだ。


 内藤が一人で三人の小僧の相手をするだけならまだいい。しかし彼らはやんちゃ坊主。それだけでは飽き足らず、行ってはいけないと仁科に言われ続けた割には、何度も入り込めていることに気が大きくなった三人は、しばしば武田の様子を観に来るようになった。

主な原因は積極的に誘った直政。


 彼が武田のスラッガー山縣昌景に興味を持ち始めたのである。山縣は宣言通りの方向にホームランを打つだけでなく、ゴロからフライまであらゆるところに球を飛ばすことができる。それを見た直政は大きく感動した。


「すげえ!おっさんセンター方向にホームラン打って!」


 ホームランを見た直政からの野次のような要求。ギョロっとした圧のある目付きで直政を一瞥すると、彼はその通りバックスクリーンに球を当てた。

 興奮して子供のように手を叩いて喜ぶ直政だったが、流石にそこまで騒ぐのはまずいと判断した元親と慶次。直政は彼らにより制止されたがもう遅い。


 練習の邪魔をされ痺れを切らした遊撃手が腹を立ててやってきたのだ。眼鏡を掛けた、どこか涙目をした彼が三人の前で奇声ともとれる声を発しながら地団駄を踏んでいる。


「君たち!練習の邪魔だ!帰りなさい!」


 ひ弱な見た目で甲高い声だが、意外と迫力がある。すかさず元親と慶次は謝罪をし、チワワだと呟く直政を引きずって帰ろうとしたが、今度は違う声で待てと呼びかけられ、再び足を止めた。


「馬場さん何もそんな怒らなくていいだろ。ガキが一人二人、いや三人混じったところでどうって事ない。あいつらは内藤先生がこっちで練習している間、退屈なんだろう。」


 そう言って涙目なチワワ遊撃手の肩を叩いたのは山縣。彼は馬場を止めると再び内藤を呼び出した。大きな声で名前を呼ばれた内藤は、チームメイトであるセンターを務める小山田とヘラヘラ笑っていた顔が一瞬で固まった。そして小山田に後ろ指を指されながらも、何かしたかと首を傾げながらやってくる。


 到着した内藤は三人を見ると状況を察し、肩を叩く山縣にシンバルを叩く猿のおもちゃのように歯を見せた。これは面倒事を押しつけられる。


「内藤退屈だろ。お前あいつらを引き続き教えてこい。むこうでな。」


「そう言われると思いました。でも山縣さん、むこうはむこう、こっちはこっち。あんまり行き来したら向こうのオーナーにゲンコツくらいますよ。……俺が。」


 今は親切心でアドバイス程度に教えているが、高頻度となればそうはいかない。三人にも一応カリキュラムとやらがあるだろう。それに他球団の選手が噛んでは、変な癖をつけられると煙たがられるかもしれない。


 だからあまり教える事をお勧めできない。そう述べた内藤だったが、当の三人は顔を見合わせて揃いも揃って手を横に振っていた。


「明智さんは大丈夫だろ。」


 と顎に手を置く元親。


「明っちゃんなら、喜んで菓子折持ってくんじゃない?」


 と笑う慶次。


「いや、明智なら泣いて土下座して感謝するかもな。」


 と直政は腕を組み頷いている。


 それを聞いた内藤は顔引きつりつつ相槌を打ち、面倒になった山縣は三人から顔を背け、まとめて内藤に投げ出した。


「その辺は上手くやれ。たまにならここに来てもいいから。」


「なんすか、上手くやれって!投げやりすぎるでしょ!」


 反論した内藤の声は届かず、馬場と山縣は練習に戻っていく。そんな流れで今もなお彼は主に元親の練習につきあっているのだ。


「そうだ小猿。山縣さんがちゃんとした練習方法ぐらい教えてやれってよ。」


 一連の話を聞いた仁科は内藤に対し、もう謝罪の言葉しか出なかった。だからあれほど武田に潜り込むなと警告していたのに、と項垂れてももう遅い。小猿として可愛がられてきた仁科には、内藤に全ての皺寄せが来る事はどこか目に見えていたのだ。


 明智は明智で元親が隆景との試合までの間に急成長した理由がようやくわかった気がし納得している。


 隆景が入団したときも同じだったが、まともな練習をしてきた人間が入るだけで、選手の成長具合は大きく変わる。その実感を噛み締める度、謝罪と感謝の言葉が出る明智。慶次の言う通り菓子折でも持って行こうか。


 しかし内藤は遠慮の言葉とともに明智と仁科の謝罪を止めた。潜り込んだのは三人で、決めたのは山縣だから、二人は悪くないと。


「まあ勝手に選手に教えてる姿を明智さんに見つかっても怒られなくて良かったです。じゃあ、俺はこの辺で。」


 ボールの箱を再び抱えた内藤。仁科は率先して先輩である彼の荷物を持ち、帰宅道中を同行する。その間も止めきれなかった自分を責める仁科に、内藤は気にしていないと笑った。


「いいよ、振り回されるのは慣れてっから。これでも前に比べたらマシなほうだ。」


 この球団を見てきた仁科は内藤のいう『前』を知っている。それはまだエース投手、高坂がいた時のこと。


 エースとして君臨していたからか元々の性格なのか、気ままで自由人な彼は同期入社である内藤と絶えずセットのような扱いを周りの人間から受けてきた。

 そのせいか当時から高坂から何か有ればすぐに頼まれ用事を言われる節があり、忙しい日々を送っていた。


 今ではそんな事もなくなり、練習に毎日勤しめる。


「高坂さん元気ですか?」


 仁科の質問に内藤は遠い日に交わしたメッセージのやり取りを思い出していた。アメリカに行くとかなんとか言っていた気がするが、記憶に薄い。


「あいつはね。この前までアメリカいて、もうすぐ帰ってくるって言ってた気がする。」


「短期留学だったんですね。春さんは元気ですか。」


 今度は高坂からアメリカに行くと聞かされ、それを婚約者である春に伝えたときの様子が頭に浮かんだ。アメリカのどの辺だろうかと、地球儀を回していた姿が思い浮かぶ。


「春はね、元気有り余ってるな……ってうるせえわ小猿。」


 笑いながら返すと、仁科も声には出さずとも笑っている。

武田の人間はみんな家族のようだ。特に仁科は、武田にとって一番年下の親戚みたいなもの。彼が野球をするというのなら、みんな喜んで協力するだろう。少なくとも内藤はそう思っている。


 そんな仁科が呟いた。高坂には彼の都合がある。だがもう一度、彼にはマウンドに立って欲しいと。


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