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7.ボンは泥船の航海士

 定期的に行われる家族電話にて、隆景は野球を始める事を報告した。その際父や兄達は彼の行動を否定せず応援を約束する。父である元就は元々、隆景が二年生で野球を辞めると宣言したときから残念に思っていたのだ。


「隆景君が決めたのなら止めないよ。でも、自分を殺すようなことはしてはいけない。」


 高校野球を辞めると宣言したとき、父が優しく諭したことは隆景の記憶にある。人間一度生まれたからには人生を諦めてはいけない。生きる事を重視する元就は、彼にそう告げていたが、当時の隆景には入らなかった。


 そして隆元や元春もどこか隆景の心境に影響を与えたようで、内心引きずっていた。自分たちが負けたから兄思いの末っ子は野球を辞めてしまったと、悔やんだ日もある。それが再開されたのだから嬉しくないはずがない。


「それはいいね。でも画面を見て研究するときは、ちゃんと部屋を明るくするんだよ。」


 最後に父にそう言われたがそれだけは譲れない隆景は返事をせず流した。部屋は暗くしたほうが集中できる。たとえ不意に部屋に入ってきた兄達に病んでいると勘違いされた経験があっても、そのほうが落ち着くのだからやめられない。


 隆景が入団したことで、仁科の練習がぐんとやり易くなった。まだ現職は続けるらしく、夜と土日しか参加ができないためあまり頻繁には参加しないが、それでも仁科は助かっていると喜んでいる。


「メンバーも集まっていない球団のために辞められるか。泥舟もいい線だろ。」


 そんな悪口を言っていたが約束の勝負に負けたという理由だけでその泥舟に乗ることを決めた隆景は、明智の言う通り義理堅い性格なのかもしれない。そう思うと選手たちの耳には悪口に聞こえず、笑顔で頷き余計に怒鳴られた。


 あの試合の時アウトを取れなかった村上だったが、あれは仕方ない打球だったと直政と明智が証言したためお咎めなし。解放された彼は懲りることなく、代打が必要ならいつでも呼ぶように言っていたが、本当に来るのか明智は怪しんでいる。提示した金額にもよりそうだ。


 試合後Tシャツを泥んこにして帰ってきた元親は、将子に小学生のようだと呆れられた。その時彼女にユニホームがない事について疑問を持たれた彼は、確かに不便だとすぐに村上にユニホームの製作を依頼。


 そのユニホームの製作が完了したようで、大きな段ボールが明智の部屋に届いたのは次週のこと。車で運んできた彼は嬉しそうに皆の前で箱を開けた。


「みなさーん、ユニホーム届きましたよー。」


 明智の掛け声で真っ先に集まったのは慶次と直政。その次に元親と仁科が現れ、最後に隆景がダラダラと歩いてくる。

 出来上がった彼らのユニホームは、黒が基調で所々赤色が入ったもの。背面にはちゃんと名前が入っているが、そこでも村上のお調子者が発揮されていた。


「はい、ニャン太くん。」


「……え!ちょ、お前!やめろ、恥ずかしい!」


 最初に呼ばれた直政は顔を真っ赤にしながら明智の手からユニホームを奪取した。しっかりNYANTAと刺繍されたユニホームに手が震える。


「あの野郎、次遭遇したらぶん殴ってやる!」


 憤りを隠せない直政を宥める慶次が次に呼ばれ、彼は自分の背ネームに胸を高鳴らせながらユニホームを開いた。


「お、俺KEIJIだ!当たりじゃん!」


「ユニホームに当たりも何もないだろ。」


 すかさず尤もなコメントを挟む隆景。それを横目で見ていた元親も明智から名前を呼ばれユニホームを受け取る。


「あ、俺ANIKIだ。」


「兄貴ってたまかよ。」


「なんか言ったか?」


 隆景の発言により、すぐに一触即発の雰囲気となった二人の間に入った仁科。そんな彼も明智にユニホームを渡され愕然とする。書かれていた背ネームがKOZARU。

「こざ……なんで?!」


「小猿だったらしいな、盛信?」


「直政は黙っとけ。あと盛信って呼ぶな。」


 襟刳りを掴まれ揺らされた直政はグデっとしている。いつもの悪ふざけだと仁科に判断された彼はそのまま地面に放られた。直政の余計な発言よりも、武田の選手達が小さい頃に付けたあだ名を知られていることに驚きを隠せない仁科の目が泳いでいる。


「あほらしい。」


 皆の様子を冷静に見ていた隆景はその一言で片付けると、明智に渡されたユニホームを確認する。そこに書かれた文字はBON。


「あれ?いいじゃない、ボンちゃん。」


「ボン、しっくりくるぞ。」


 ただでさえユニホームの文字から挑発の意思を感じ、怒りを隠せない隆景。それに加えて直政と元親から横やりを入れられた彼は元親に殴りかかった。それを必死に止める慶次と、傍で震えて動かない明智を心配する仁科。


「明智さん、大丈夫ですか。」


「酷い……酷いよ、村上君。」


 明智からユニホームを取った仁科はその名前に思わず顔が引きつる。直政も仁科の様子に気が付き、ユニホームを覗き見して吹き出した。明智の背ネームはHAGE。


「これは酷えな!」


 声を出して笑う直政を止めていた仁科もそれにしても酷いと思う。明智のフォローをしようとする仁科ですら笑いがこみ上げ、言葉を失ってしまった。彼本人が異常に落ち込んでいるから余計におかしくなるのだ。


 このユニホーム問題で波乱が起きている中、渦中を横目に落ち着いた隆景はこっそりベンチ裏に抜け出していた。


 野球をすることになった日、当然アコにも連絡を入れた隆景に、彼女は喜びの言葉を送ったのだ。

 野球の試合自体を見たことがない彼女だが、それでもいつか試合を見に行ける日を楽しみしていると。そんな彼女と隆景はある約束を取り付けていた。ユニホームが完成すれば着ているところを見せると。


 幸い着てしまえば写真に背ネームは映らない。自撮りなど滅多にしない隆景はベンチ裏にある鏡を使って試行錯誤しながら写真を撮り、それを送った。


 一方、せっかくユニホームが届いたのだから写真を撮ろうと慶次が提案したにも関わらず、隆景の姿が見えないことに気がついた一同。冷めた性格である彼は既に練習に戻ったのかと辺りを見渡してみたが、姿は見えず。皆が首を傾げ、元親がベンチ裏に探しに行ったとき、叫び声が聞こえた。


 写真を送ってすぐアコから電話が掛かってきたためそれに応答していた隆景。高鳴る胸を押さえ平然を装って電話を続けていたが、初端に発せられた彼女のコメントのせいで、それ以降話が入ってこない。


「素敵です!普段の隆景さんもカッコいいですけど、ユニホームを召されている隆景も、すごくカッコいいです!」


 有難うございます、なんて礼の言葉を返したが、内心はそれどころではない。心臓がバクバク音を鳴らしている。

 その後も褒めちぎられ続けた隆景は、電話を終えると共に我慢できずに発狂したのだ。


 素敵とかカッコいいとかずるい。普段もカッコいいとか。ユニホームはもっとカッコいいとか。なに、これは野球をやるしかない。続けるしかない。


 なんて脳内を巡る言葉を一気に口にすることも出来ず、出た言葉は九官鳥の鳴き声のような叫び声のみ。それを聞いた元親と、彼についてきた一同は壁に隠れたまま震えていた。笑いを堪えるのに必死で。


「あれーボンいないなあ。そういえば、ボンの『ぴすけ』聞いてないな。」


 ひとしきり声を殺し笑った慶次がわざとらしく声を出す。その声に反応した隆景がキョロキョロと周りを見渡し、すぐにユニホームを脱いだ。それを見た直政更に声を殺しながらも笑いを堪えている。


「あーあれだろー?ピースオブケイクってやつだろ。あれなかったら、仲間じゃねえなあ。」


 笑いながら言う直政の声を嗅ぎつけた隆景が扉に隠れた一同の姿を発見し、今度は恥ずかしさで言葉にならない声を出した。それを見た直政が更に笑い転げる。


「ピースオブケイク、だってさ。」


「うるさい!お前ら、いつからいた!」


 ニヤニヤと様子を窺っていた元親が言葉を追加する。顔を真っ赤にした隆景が叫ぶと、蜘蛛の子を散らしたように散乱する一同。そこら中からクスクスと笑う声がまだ聞こえる。


あまりにダサい台詞だが、一連の自身の行動を水に流すには言うしかないと心に決めた隆景。この顔から火が出そうな状況を打破できるなら何でもいいと、無理に落ち着きを取り戻すため一つ咳払いをした。


 そして彼は練習を再開させるため、再びキャッチャーマスクを身につけ、選手たちを指さした。


「あとバカ共の発音が違う。正しくはa piece of cakeだ。学んだか?」




『計算高き曲者』終わり


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