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1.スーパースター

「はあ、見つからないなあ。」


 ある休日。明智は練習の邪魔にならないように、グラウンドの隅っこにある、屋根のついたベンチの上に寝転んでいた。


 先日、大学からスカウトしてきた投手、仁科盛信の祖父が経営している会社で練習をさせてもらう約束ができた明智。それからもう一人スカウトした井伊直政を連れて何度もここにやってきている。


 他所の会社の人間にも私有地を使用させる仁科の祖父はなんと立派な人柄だろう。明智はついつい自分のオーナーと比べ転職すら考えるが、それで成功するほど世の中が甘くないことを知っている。


 相手は有名な会社なのだ。今から転職したとしても、到底入社できないだろう。


 諦めて現状に妥協した明智は、自分のオーナー織田が出した無茶な指令に則り、社会人野球の選手を集めることにした。だが、これが上手くいかない。


 悩みはずっと同じなのだ。スカウトする対象が絞れないこと。


現役の選手を誘っても断られるので、今は野球をしていない人間を探しているのだが、その状況下においても野球に対する情熱を再燃させる人間が少ない。

自分のツテにも当たってみたが、揃いもそろって冗談としか受け取らず笑い飛ばすのだ。


 況してや横暴極まりないオーナーは強い選手を望んでいるため、明らかに現役から離れた選手を取り込むわけにもいかない。手の空いた強い選手など簡単に見つかるはずがないのだ。


「はあ、転職したい。」


 いつしか明智はそう呟いていた。既に大学生二人を巻き込んでいるのだから、今更転職もできないことは頭では理解している。今辞めてしまったら、仁科と直政になんと言えば良いのか。間違いなく直政の右ストレートが飛んでくるだろう。


 気を取り直し、アテを洗い出すために座り直す。既にスカウトした二人は今日も元気に野球をしているなと顔を上げたとき、明智の顔のすぐ横を球が猛スピードで通り過ぎていく。


 思わず小さな声が漏れた。その視線の先には仁科に頭を叩かれる直政がいる。それでも懲りずに彼は明智に向かって叫んでいた。


「おい、このハゲ!二人で練習とかどう考えても限界ありすぎだろ!永遠にキャッチボールしとけって?!」


 続けてせめて三人は用意しろと叫ぶ直政。それは仁科も思っていたのか、今度は怒る直政に対し叫ぶのを止めるだけで叩かない。


 直政の肩に関しては一目置いているどころか敬意を払っている明智だが、素行の悪さは否めない。礼儀正しい仁科も、彼を止めるためにはしばしば力押しをするほど、直政は暴力的になるのだ。あの肩の良さは人を傷つけるための武器になりかねない。


 今だって明智に向かって全力のレーザービームのような球を投げた。当てない自信はあったのだろうが、至近距離を通過されては恐怖を感じる。


 だが野良猫のような彼の言っていることはまともだった。確かに彼らは今のところ、キャッチボールか永遠に球が返ってこないバッティング練習か、個人でできるベースランを行なっている。


 そのキャッチボールですら、外野と投手では投げ方が違うため、練習にならない。まともにできるのはベースランくらいだが、足を怪我したことのある仁科は、走ることに関して無理ができない。


 せめて三人は欲しいというのは、そういうことだろう。バッティング練習のときに、球が返ってくる環境が欲しいのだ。


死んだ目で壁に向かって球を投げていた仁科の後ろで、自棄になった直政は元気いっぱいにベースランを行っていた。その上に、自分が打った球を自分で捕球するために走るという荒技に出た結果、少し息が上がっている。その状態で良くもあれほど叫んだものだ。


「明智さん。練習も大事ですけど、俺たちも探しましょうか。」


 不機嫌な直政を連れて明智のもとに帰ってきた仁科はそう提案した。スカウトマンは自分の仕事だからと主張した明智だが、目の前の彼らも拙すぎる練習内容に限界らしい。このままでは辞められるかもしれない。


「アテが無いわけではないんですけど。」 


「あるんですか?」


 彼の提案に明智は眉をハの字にし、たどたどしい言葉で返した。思わぬ朗報に食い気味で反応する仁科と、その横で水分補給をする直政。明智の曖昧な口調には理由があった。


 紹介されたのは数週間前。同じ会社の経理を担当している前田利家(まえだ としいえ)に話を伺ったときだ。


 利家は社内でも虐げられている明智に手を差し伸べる数少ない人間の一人で、会社の近くに住居を構えている。


 明智以上に細い目をした彼は穏やかな口調で経理の修正を依頼して周り、多少の頼みなら調整してくれる、社内でも聖人だと評される優しさと柔軟性を持っている。

だからと言って上の人間から嫌われていることもなく、むしろ彼の先輩である柴田や社長、挙句には明智の天敵である羽柴にすら好かれている。

 そんな非の打ちどころがないような利家を、明智は心から尊敬していた。


 ある休日、野球選手を集めることに翻弄していた明智は経理関の書類をすっかり提出し忘れていた。それを思い出した彼は、会社が休みなので仕方なく利家の自宅まで書類を届けることに。


「いやあ、悪いねえ。もっと早くに気づけば良かった。」


 休日に訪ねたにも関わらず、玄関から出てきた彼はそう言って明智から資料を受け取り、喉が渇いただろうと家の中に招きいれた。


 そこでお茶を飲みながら、ここが会社ではない事をいいことに、何故これほどまで見つからないのか、どういう人間を探しているのか、愚痴混じりで利家に訴えたのだ。


そして誰かいい候補はいないのかと尋ねてみることにした。何故なら居間には複数の野球関連のグッズを置いていたから。利家自身が野球をしていたなど聞いたことがないが、知り合いに一人くらいいるかもしれないと、一部の望みにかけたのだ。


「野球か。している知り合いは確かにいるけど……」


 そう言葉を濁す利家。深い関係ではあるが所在がよく分かっておらず、利家自身も煮え切らないところがあるようで、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「どんな人ですか?」


 食いつくように目を輝かせて尋ねる明智に、利家は少し待つよう告げ席を外した。次に戻ってきたときには、誰かと話している声が扉越しに聞こえる。少し間があり、利家と一緒に入ってきたのは彼の妹、前田風香(まえだ ふうか)


 艶のある黒髪を顎下くらいに切りそろえた彼女は眼鏡をかけた、いかにも文学少女という感じ。今はまだ大学生で就職先はもう決まったらしい。その仕事は公務員。


 なんとも利家の妹らしい、健全な女性だと感心する明智。すると彼女は徐に口を開いた。


「野球をしているのは、私の、彼氏、です。」


「てことは、大学生ですか?」


 もじもじと恥ずかしそうに話す風香は明智の質問に首を横に振った。所謂年上の彼氏らしい。出会いは高校の頃。彼は野球部に所属しており、風香はそのマネージャーをしていた。


 当時その彼は、文化系から運動系まで複数個の部活動を掛け持ちするような不思議な先輩だったが、悪い人ではないという印象だったため付き合うことになった。


「高校最後の甲子園で、優勝の後に告白されて、断れなくて。」


 視線を逸らしながら顔を赤くする彼女は終始照れているようで、覚束ない話し方をしている。明智は若くて初々しい話だとお茶を飲みながら頷いていた。


その光景を頭に思い描いたとき、大事なことを聞き逃したようでもう一度聞き直す。


「え……こ、甲子園、優勝?!」


 急に大きな声が出てしまった明智に驚いた風香は目を丸くし頷く。それもよく聞けば、彼は四番打者を任されていたらしい。あらゆる部活を兼任しながら。


「すごいじゃないですか!」


「いや、でも、ほんと変わった人だから、すごく悩んで……」


 手を振って否定する風香を見た利家は家の引き出しから新聞記事を引っ張り出し、テーブルの上に置く。そしてそれを指差しながら小さくため息を吐いた。


「高校球児なのに髪伸ばして金色に染めて、一時、お茶の間を騒然とさせていた。ニュースとかでも叩かれて大変だったのに、当の本人はどこ吹く風で。」


 利家が見せたのは優勝の記事ではなく、彼本人が異例の審議にかけられたことを報道する地元新聞。その名前は野球が好きだった明智にも見覚えがあった。


「え、ちょっと。滝川慶次(たきがわ けいじ)って、あの。プロに行かずにアメリカ行くって言った。」


 明智の発言に利家は頷いた。彼も慶次が挨拶に来た時は腰を抜かすくらい驚いたらしい。

 あのニュースで話題になった男が普通に玄関前に立っており、普通に手土産のお菓子を渡してきたのだ。


「実物見たら驚くなんてもんじゃないよ。本当に金髪だし、でかいし、悪戯好きを通り越して悪さするし。あの人を見たら会社で何があっても可愛く思えるくらい。」


「あの、決して兄は慶次君が嫌いではないんです。ただ水風呂に落とされたことが衝撃だったみたいで……私も衝撃でしたけど。」


 明智は新聞の写真を見ながら風化の必死な主張を想像してみた。あの滝川慶次に水風呂に入れられた利家を。しかもよく聞けば理由などなく単なる思いつきでやった悪戯だとか。そんなことが度々あれば心が広くなる、いや怒りの沸点が上がるのも理解できる明智。


 当時の滝川慶次といえば、身長百九十センチで、奇抜なルックスと目鼻立ちのはっきりした顔立ちで人気がある一方、高校野球連盟からは目の敵のように扱われていた。


 度々批判の声はあがり、恐らく本人にも届いていたはずなのに、慶次はそれを楽しむかのよう毎試合髪型を変え、ネットでは注目の的に。その髪型と言うのが、編み込んできたり、パーマをかけてきたり、ツインテールだったりと、髪の長さがよく伺えるものばかり。


 彼がこれほどまで常識はずれのマナー違反をしていたにも関わらず人気があったのは、慶次本人の野球の実力。


 先程の風香の話で、片手間でいろんな部活をしていた事が信じられないほど、彼は名スラッガーだったのだ。


 どの試合も毎回一度はホームランを打ち、決勝戦のときには二本ホームランを放った。しかもそのうちの一本は、逆転満塁ホームラン。チャンスな場面とお祭り騒ぎには滅法強い彼の実力は、見た目など気にならないほど観客を魅了していた。


 そんな男がインタビューで答えた言葉。


「俺はアメリカで野球がしたいです。だからプロにはいきません。」


 その宣言通り、慶次は卒業後アメリカに渡ったらしい。その直後までは話題になっていたが、今はすっかり聞かなくなってしまった。


 時の人。社会的に見ればそれで終わる話だが、身内としてはそうは行かないはず。


 利家が言うように、所在がわからないのであれば、恋人である風香は心許ないだろう。それもアメリカという遠い国で。


「だから紹介してあげいんだけど。」


 利家は力なく謝罪の言葉を追加する。今はプロ野球選手、それもアメリカで活躍しているというのなら仕方ない。諦めようと明智が笑顔で返したとき、風香が絞りだしたような小さい声で会話に割り込んだ。


「あの、兄さん。私ずっと言えなかったけど。慶次君、たぶん今、野球してないの。」


 風香の告白に利家は穏やかな顔のまま聞き返す。日本にはなんの音沙汰もないと思っていたが、どうやら風香とは連絡を取っていたらしい。

慶次本人から野球をしているかどうかという連絡はない。しかし風香には確信があった。


「私、ずっとネットで英字新聞読んでて……慶次君、頑張ってるかなって。でも、この前の新聞で、退団したって。」


「本当に?でも帰ってこないじゃないか。」


 疑う利家に風香は自分の携帯の画面を見せた。そこには英語がびっしりと書かれており、一目では真偽がわからない。明智にも回ってきたが、明智もそれほど英語が得意なわけではなく、判断がつかない。そこで風香はある一文を訳してくれた。


「レフト ザ ベースボールチーム。野球球団を退団した。」


 それを見た利家は静かに頷く。彼はもう野球を続けていないのだ。風香は気がついていたが、何も言わない慶次に言及できずにいた。


 隠し事が苦手で裏表のない性格の彼が、いつまで経ってもその事を報告しない。それが気になって、何も言えずにいた。


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