ワイファー・エンブリアの嘆き
『シャイファー・エンブリアに起こった出来事』の父公爵視点?
「……はぁ」
エルワイス王国の筆頭貴族たるエンブリア公爵家の当主、ワイファー・エンブリアは執務室で盛大に溜息を吐き出した。
彼は今、後悔をしていた。
理由は長男を排除し、次男を残したことだ。
*****
彼は公爵家の一人息子として生まれた。
恵まれた家庭環境で、貴族としては珍しく恋愛結婚した両親に愛されて育った。
基本的な教育は施されたものの、どうにも人の良い彼は筆頭貴族としてはどこか物足りない人物と評価された。
公爵家の領地は先祖代々安定した統治をしていたため現状維持だけでもいいのだが、周囲は何か新しいことを期待する。
しかし彼は凡庸で、新しい事をと願われても何もなかった。
領地を実質総括している代官に聞けば幾つもの選択肢を与えられたが、どれがいいかな、と悩んで結局決定することができない優柔不断さを露呈させた。
色々な場所で駄目な部分を周囲に見せつけ、陰口を叩かれることになった。
やがて婚約者と無事婚姻し、公爵家当主となっても優柔不断さは鳴りを潜めず、周囲は彼を侮った。
いくら人のいい彼でもストレスは溜まり、けれど自分が努力するという考えはなかった。
その結果、彼は生まれた息子に全てを丸投げした。
厳しいと評判の家庭教師たちがいると聞き、それならば妥協なくしっかりと教育してくれるだろう。そう周囲からの声を聴き、即座に雇った。
さらに彼は公爵家たるもの、戦場で活躍しなければ、と陰口を叩かれていたので、じゃあ息子は鍛えよう。とこれまた厳しいと評判の武術の師範を雇った。
教育方針は教師たちに任せた。
自分で何かを決定することが出来ない男は、全てを丸投げした。
嫡男が倒れたと聞いた時、彼の溜まりに溜まったストレスは限界を迎え、爆発した。
陰口を叩かれる彼は今までは耐えていたが、家庭教師をつけたことで息子が立派な人間になると信じてそれを吹聴した。
けれど他者からすればそれは他力本願の極みで、公爵が自分で努力をせずに息子に頼るなど嘲笑されること必至。
より陰口が酷くなり、嘲笑が以前より目に付くようになって公爵は怒りを溜め込みまくり、それでも息子がきちんと育てばとなんとか我慢をして、耐えてきた。
それなのに、その息子は倒れた。
家庭教師による暴力と暴言の結果にも拘わらず、公爵は息子に裏切られたと思い、自分のいう事を聞かない奴はいらないと自己中心的な怒りを向けた。
衝動の赴くままに息子を追い出し、これからどうしようかと悲劇の主人公のような自己憐憫に浸っていたら、妻が産気づいたと報せがあり、彼は名案を思い付く。
新しく生まれる子供に教育を施せばいいんだ!
そう考えた彼は今か今かと子供が生まれる瞬間を心待ちにした。
そして生まれた次男に、彼は長男に失望したこともあって多大な期待を寄せた。
この子はあれとは違う。
この子こそが希望だ!
公爵は次男を溺愛した。
陰口を叩かれると次男の可愛らしさを豪雨のように周囲に垂れ流し、嘲笑されても次男の素晴らしさを濁流のように垂れ流す。
やがて公爵に関わろうとする人間は減った。
それを周囲の人間は次男を認めたと勘違いした公爵は上機嫌になる。
邪魔をする人間がいないことで公爵の暴走は留まることを知らず。
やがて成長するにつれて想像通りに美しく成長していく次男をまるで至高の存在にするように傾倒していった。
ある日、使用人が亡くなったと報せが来た。
愛しい息子との交流に勤しんでいた公爵は、だからどうしたと無視した。
使用人の命よりも息子との交流を優先したが、長男の世話をしていた使用人だと聞いてそういえばそんな奴がいたなとこの時になって思い出した。
それに愛しの息子が食いついたことで、息子が会いたいというならと久しぶりに会ってやることとなった。
しかし久しぶりに会う長男は次男と比べるまでもなく、可愛らしさの欠片のない小憎たらしい存在だった。
なにより親子の大切な会話を邪魔するなど、公爵はとてもではないが許せなかった。
今すぐ追い出そうとしたが、愛しい息子が一緒に居たいと願ったので寛大な心で許可してやった。
そこで彼は思う。
公爵家の当主としての生活は、とても大変だ。
自分がとても大変な思いをしているのだから。
そんな大変な思いを、愛しい息子にはさせたくない。
ならばアレにさせよう。
そもそも元はアレにやらせようとしていたのだ。
ならばアレにやらせて、愛しい息子には穏やかに暮らしてもらおうと。
そこからの行動は早かった。
雇ったまま、給金だけ支払い続けて放置したままの家庭教師に再び指示を出し、教育を再開させた。
これで万事うまくいくとその時は満足した。
それも僅かな時間だけだった。
愛しい息子が泣きながら抱き着いてきたので話を聞けば、アレが愛しい息子を虐めたと。
公爵は激怒した。
愛しい息子を虐める者に容赦はしない。
でも生贄がいなくなれば愛しい息子が大変な思いをしてしまう。
彼は家庭教師にもっと厳しく、性格の矯正をしろと指示を出した。
それでも愛しい息子は泣きながらアレに虐められたと抱き着いてくるので、公爵は荒れ狂った。
月日は流れ、本格的にどうアレを排除してやろうかと思案していたら、国王に呼ばれ城へ赴けば、王女との婚約を相談された。
「おお、王女殿下との婚約ですか。愛しの息子とのものであれば、光栄というものでございます」
「うむ。貴公の息子、シャイファーといったか。次期当主として勉学に励んでいると聞く。ならば我が娘を不幸にはせなんだろうと悩みに悩んだ結果だが、まかせる」
公爵はてっきり愛しの息子だと思っていたが、国王は公爵がアレと呼ぶ長男を指定してきて、一瞬我を忘れて叫びだしそうになった。
しかし国王に対して無礼な事をすれば処罰されるのを恐れ、渋々下がった。
ただ、内心では罵倒の嵐だ。
愛しい息子を差し置いて王女と婚約を命じられるなど、アレは本当に邪魔だ!
愛しの息子に相応しいのが王女であって、アレには分不相応だ!
しかし、国王の命令に逆らうわけにもいかず、彼には従うしかなかった。
自らの血を分けた息子でありながら、公爵は長男が心底邪魔でしかなかった。
王女との婚約から始まり、そこから王子や他の高位貴族たちと交流。話によればかなり気に入られているとのことで、常に苛立つことになった。
さらに王女が公爵邸にやってきた際、わざわざ愛しい息子が会いに行ってやったというのに、アレが追い出そうとしたと聞いた時には執務室で大いに暴れた。
ただ、王女が愛しい息子を気に入ったようだと聞き、すぐに上機嫌となったが。
「ふむ、やはり見る目があるな」
それから王女のことが気に入った愛しい息子の願いを聞き、嫌々ながらもアレに王女と会わせるように命じた公爵。
仮面のように変わらない無表情のアレが渋り、殴りつけたくなるのを必死に我慢して実行させる。
その結果、愛しい息子は王女との交流に成功したものの、アレが王城という場所ですら愛しい息子を虐げたという報告を受けた。
もう我慢ならんと、公爵は国王へと手紙を書いた。
その内容は長男がどれだけ公爵家──いや人間として不適格で、このままでは国に害をもたらすことになると、十枚ほどの枚数に細かい文字でビッシリと書き連ねた。
その熱意が伝わったようで、国王からは婚約の相手を愛しい息子に変えることはできるかと返信が来た。
公爵は歓喜した。
国王の目にもアレは不必要なものだと映ったのだと。
国王が味方に付いたと確信し、大手を振ってアレを邪魔しないように閉じ込め、その間に国王と謁見すれば国王も可愛い娘を不幸にするような者などいらぬと宣言した。
王女は愛しい息子を気にかけて可愛がっていたし、なにより王女からもアレとの婚約はどうにかならないかと相談を受けていたようだ。
公爵が謁見している間も王女と交流させていたが、まるで恋人のように仲睦まじい様子を見せていたので、国王と公爵は婚約者の変更を決めた。
ただ、そうするとアレが逆恨みする可能性があると心配したが、国王が大丈夫だと断言したことで安心した。
そして、国王陛下が招集した場において、アレの排除が決まった。
最後まで可愛さの欠片もないアレに、公爵は殴ってやろうかと思ったが愛しい息子を泣き止ませることが最優先と、すぐさま公爵の頭からアレのことは消え去った。
*****
公爵としては後々に至るまで語り継ぐほどの記念になる日、と当時は思った長男の追放から早数年、公爵は頭を抱えていた。
これからの公爵家の未来は明るいぞ! と宴を催したのは良かったが、それからの公爵家はどんどん評判が悪化していった。
原因はただ一つ。
彼が愛しの息子と呼ぶ公爵家の新しい次期当主。
これからは公爵家の人間として、さらには王女の婚約者として様々な人間と交流せねばならないと、お披露目も兼ねて大々的にパーティーを開いた。
愛しい息子の可愛らしさなら、参加した人間全員に愛されることになるだろうと、考えつく限りの貴族や大商人を招いたパーティー会場で。
愛しの息子は泣き喚き、公爵に抱き着いた。
愛しの息子が嬉しくて喜びのあまり参加者の一人である大商人の娘に抱き着いたのが発端だ。
まさか抱き着かれるとは思ってもいなかった娘は驚いて愛しの息子を突き飛ばしたのだ。
それに激怒した公爵は商人風情が! と商人の娘を追い出そうとした。
親である大商人が庇い、そのまま会場を辞した。
それを見た他の商人たちも続々と去っていき、貴族たちもなんだかんだと理由をつけて帰ってしまったせいで早々に閑散としてしまった。
怒った公爵は去っていった者たち全員にもう関わらないという手紙を送るという暴挙に打って出た。
その時は愛しの息子を受け入れない者など不用だ! と鼻息を荒くしていたが、すぐに後悔することとなった。
何か入用になっても、商人が公爵の手紙を理由に取引に応じず、またほかの貴族たちも同様に公爵との交流を断る場面が続出。
どうしたものかと悩んだ挙句、そうだ! 愛しい息子に説得させよう! と思い立つ。
愛しい息子が説得すれば、皆喜んでまた交流を再開するだろうと。
だから息子を飾り立て、商人の所に意気揚々と送り出したのだが。
帰ってきたのは泣き喚く息子と、大量の紙束を抱えた侍従だった。
話を聞けば、店の前で馬車を降りて店に入り、商人との面会をと侍従が交渉している最中、息子が商品を勝手にいじり、窘められたことで泣き喚き、周囲の品物を感情の赴くままに壊し、ぐしゃぐしゃにしてしまったのだという。
屈強な用心棒に睨まれ、馬車まで追い返され、さらには駄目にした商品の賠償しろと請求書の束を持たされて帰ってきた。
その請求書を見た公爵は驚きのあまり書類を放り投げてしまった。
商人の店は貴族向けの高額商品を取り扱っていたので、それらの弁償額は高位貴族の屋敷数件分に匹敵した。
いくら公爵といえどそれを支払えるかと聞かれると難しい。
様々な物を切り捨てれば可能ではあるが、それをするとまた困ったことになるのは見えていた。
公爵はなりふり構わず王女に泣きついた。
王女の権力を使ってなんとかしようとしたのだ。
王女のとりなしもあって弁償は分割で支払うことになり、助かった公爵は息子と王女を一緒に行動させた方がいいと息子に徹底させた。
王女にべったりと張り付く息子に、これでなんとかなるだろうと思ったのも束の間、国王から苦言を呈された。
王女に張り付くために朝から城に送り出していた息子が、多くの者から邪魔だと。
頼みの綱の王女もまだ王族として色々とこなさなければならないことがあり、公爵の息子だけを相手にしている訳にはいかない。さらには未だ公爵の息子が未成年で、婚約者のままではあるが、例え婚約者だとしても淑女の着替えを覗くなど言語道断。
さらには王子や国王の執務室に侵入して書類をぐしゃぐしゃにしたり落書きしたり、城の備品を壊したり、王妃お気に入りの花壇を荒らし、仕事中の侍従や侍女に悪戯をしかけて物を落とさせ、お茶をこぼさせて火傷させたり、ついには驚かせた侍従が階段から転げ落ちてしまう。
いくら何でもこれは不味いと公爵は息子を諭そうとしたが、泣き喚き、どうにもならない。
ひとまず屋敷でほとぼりを冷まそうと軽い謹慎を言い渡したが、翌日も意気揚々と城に出かけたと侍従に聞いて、すぐに連れ戻せと命じた直後に頬を腫らせて泣きじゃくる息子が帰ってきて驚いた。
今日も執務室に無断で侵入し、悪戯をしていた息子に我慢の限界を迎えた王子が平手をかまし、城を追い出したのだ。
もう二度と城に入れるなとの命令付きだ。
国王から王女との婚約は破棄できないとの言質はとったが、それとて何度も婚約者を変更していれば王族として面子がたたないというだけで、可能ならばさっさと公爵家を見捨てて別の人物に変えているというものだ。
だから国王から厳しく息子を躾けて、王女に相応しい男に仕立て上げろとの勅命が来た。
さらにこれ以上王女の──王家の権力を頼りにするな、とのお達しも来た。
公爵は溜息を吐く。
ああ、どうしてこうなったのか。
遠くから息子の泣き喚く声が聞こえる。
長男と同じ家庭教師に息子を鍛えろと命令したが、たった十秒で泣き喚いて勉強するどころではないし、師範の顔を見ただけで逃げ出す始末。
どうしてこうなったのか。
・公爵
自己中心的他力本願型脳内芥子畑男。
自分に都合のいいことしか目に入らず、聞こえず、覚えない。
ぶっちゃけ全ての元凶。
次男の矯正が難しいにも関わらず、長男を戻そうとかの考えはない。むしろ長男のことは頭の中から削除している。
・王女
次男の外見を気に入って可愛がり、公爵からの長男の悪評を聞いて信じ込んで、じゃあこの子がいいわ! と婚約者を変更したらただの我儘な餓鬼だと判明して、けどもう変更できないと聞いて後悔中。
・国王
娘のためとよく調べもせず動いた凡愚。
・王子たち
公爵からの長男の悪評を信じ、次男の外見を気に入ったために最初はよかったが、邪魔ばかりされて激おこ。
人を見る目がないことを実証してしまった。