トキヨトマレ
風呂上がりで体を拭いていたら頭の中に声が響いた。
《あなたは選ばれた》
突然の幻聴である。今度耳鼻科に行こう。いや中二病こじらせただけかもしれないから精神科だろうか。
《無視をするな。選ばれし者よ》
幻聴に返事をするまじでやばいやつになってしまうではないか。
《ええい、いい加減反応しろ!あなたは選ばれたのだ》
しつこい。うるさい。こちとら風呂上がりでフルチンなのだ。
「何ですか?」
《ようやく反応したな。あなたは選ばれた。能力に!》
やばいな、俺の精神も行くところまで来た。能力とかいて《チカラ》とか読ませてくるし。ラノベを読むのを控えようか。
「だから何なんですかさっきから。何に選ばれたって?」
《だから最強の能力、時を止める能力だ!》
時を止める力?聞き捨てならない単語だな。
世の男の憧れではないか。最高にハイな能力だ。
「どういうことですか?」
《能力は、生まれながらにあるものではない。私たち人間に作用されるようなものでもない。能力が人間を選ぶのだ。そしてあなたは選ばれた》
「というかあなたは誰?何で俺に語りかけてるんですか?」
《私はテレパシーの能力に選ばれ、能力の管理を行う組織の一員だ。先日時を止める能力に選ばれていた人間が亡くなったため、適合者を探していた。》
「それで俺が…?特に変化はないですけど」
《能力を使うには適切な環境と、合言葉があるのだ。まあ、時を止める能力は使用を禁止されているがな》
「禁止されてるの?」
《強すぎる。世界の構造が変わってしまうのだ》
「何だよそれ…ちなみに合言葉って何?」
《それは私たちもわからない。まあ、とりあえず能力が発動しないように、今度私たちの組織に…》
その時、ドアが開く音がした。父が帰ってきたのだ。
俺はフルチンで風呂場から出た。
「おかえりー。ご飯できてるぜ。」
その瞬間、頭が割れるほど痛くなり、俺は意識を失った。
「いててて」
目を覚ますと、父はまだ玄関の前にいた。心配をさせてしまった。
「ごめん父さん、大丈夫だから」
反応はない。
「父さん?どうしたの?」
反応はない。ただのしかばねのようだ。
その時俺は違和感に気がついた。ドアがいつまでたっても閉まらない。父は靴を脱ごうとした態勢のまま。これは…まさか…
「時が…止まった…?」
そんな、バカなことがあってたまるか。夢でも見ているのか。
そもそも、頭にテレパシーが来たこと自体おかしかったのだ。あいつが言っていたことが本当なら、俺が気がつかない内に条件をクリアしてしまったとでもいうのか?
「おい!テレパシーの人!?どうなってるんだ?」
返事はない。俺の声が家中に響き渡った。
まさか、時が止まったからあいつも動かなくなった…?なんて役に立たない野郎だ。
ただ能力を伝えただけでお役御免になりやがった。せめて解除法を教えてくれ。
何の冗談だろうか。父は本当に動かない。どんなに呼びかけても反応はない。
一度心を落ち着かせるために、とりあえず服を着ようと部屋のドアノブに手をかけた。フルチンでパニック状態の男など見るに耐えない。
しかし、ドアノブはいくら力をかけても動かなかった。おかしい。テコの原理で弱い力でも動くようになっているはずなのに。
俺の頭に、とても嫌な、絶望的な考えが浮かんだ。
ドアは諦めて、一度ご飯を食べることにした。今日は久々に料理を作ったのだ。チキンソテーにオニオンスープ。大好物だ。
一度お腹をいっぱいにして落ち着かせよう。
俺は愕然とした。箸が持てない。机の上にアロンアルファでも塗られていたのだろうか。箸はピクリとも動かなかった。試しにチキンソテーを触っても同じ結果に終わった。動かない。
まさか…まさか。信じたくない。嘘といってほしい。
時が止まっている間、俺しか動くことはできない、なんて設定があるわけがない。
そんなはずはないだろう。時を止める男は大抵、殴りかかったり、ナイフを大量に投げたり、ロードローラーを持ってきたりするではないか。
俺の額に大粒の汗が浮かび、目に入った。非常に痛い。俺から発せられるものは動くようだ。
しかし、それはあまりに限定された能力ではないか。一体どう活用しろというのか。
幸い、父が帰った瞬間だったため、ドアは開いたままだった。かなり抵抗があったが、俺はフルチンのまま外に出ることに決めた。このままだと何も進展しない。
靴を履く態勢の父を器用に避け、俺はドアの隙間をすり抜けた。
そこには、本当に、不気味なほど静まり返った街があった。
人は歩いている。雀が飛び立とうとしている。タンポポの綿が揺れている。
ただ、そのどれも動くことはなかった。
写真のように、ありえないタイミングで止められていた。
夢ではなかろうかと、自分の頬を思い切りつねった。痛い。すごく痛い。ヒリヒリする。
夢ではないのか。夢であってくれよ。
俺は裸足のまま街を歩いてみた。本当に誰も動かない。風もない。俺だけが動いている街。
心がぐちゃぐちゃして落ち着かない。驚きと、ほんの少しの昂揚と、そして絶望と。思考が追いつかない。とりあえずウンコがしたくなったので、一度家に戻った。
我が肛門括約筋は優秀だ。余裕でトイレに着いた。ただし、そのドアは閉まっていた。当然だ。
「ちょい待てやぁぁぁ!!!」
俺は必死にドアノブを回そうとするがやはりビクともしない。なんてこった!!!
俺は、人間としての、尊厳を捨てた…
腸がスッキリすると、心もスッキリした。逆に開き直った。この状況を楽しんでやろうと決めた。
となればやることは一つ。男の夢を叶えようではないか。
俺は足早に街を歩いた。そこそこな規模の街なので歩いている人は多い。
俺はじっくりと吟味をした。
そう、時を止めた時にやることは一つ。時止めビデオの再現だ!!!
俺好みの女性を探していると、近所の高校生の集団を見つけた。俺は思わず目を背けてしまった。
俺が通っていた高校。三ヶ月前から行かなくなった高校。
集団から少し離れたところに、高校のマドンナがいた。学校一の美人。ただし性格は腐っている。裏で男どもを支配し、俺を追いやった張本人。
こいつにするか。
俺は彼女に歩み寄り、彼女の顔をまじまじと眺めた。本当に綺麗な顔だ。不気味なほど整っている。胸も大きく、ミニスカートから出ている足が眩しい。
俺は深く深呼吸をした。もちろん、女性に触れるのは初めてだ。
噂によると、女性はとても柔らかいようだ。肌はすべすべで、細くて、同じ人間とは思えないほどに。
俺は震える手で、彼女の胸に手を伸ばした。さらば、我が貞操。
彼女の胸に触れた瞬間、俺は衝撃を受けた。硬い!!!まるで岩のようだ!!!俺の握力じゃ握ることすらできない…?
その瞬間、俺はこの時止めの欠点を思い出した。
「ふざけんなぁぁぁ!!!」
俺の声が町中に響いた。もちろん誰も反応はしない。
その後、服を脱がせないか試したが失敗した。ミニスカートの中に潜り込んだときは、はじめは興奮したが1分で飽きた。
俺はセクハラも、復讐も諦めて家路を急いだ。途中で尖った石を踏んでしまい、足の裏がジンジンと痛んだ。
腹が減ったが食べることはできない。ネットも繋がらないから人と関わることもできない、足の裏は痛い。
「何なんだよこの能力は!!!」
俺は叫んだ。思い切り叫んだ。
「いつもいつも期待させるだけさせて裏切りやがって!!!俺の人生全部こうかよ!!!」
「あの女も!!!告白のふりをして周りの男に俺を恨ませて、リンチさせて、笑うだけ笑ったら俺を捨てやがって!!!」
「友達だと思ってたやつも誰も助けてくれなかった!!!父親も腫れ物に触れるような扱いだ!!!」
「それで今度は能力を得たと思ったらこれかよ!!!ふざけんな!!!クソみたいな設定よこしやがって!!!」
「生きてても何も楽しくねえ!!!」
その瞬間、猛烈に頭が痛くなり、俺は再び倒れた。
目の前に女性が立っていた。懐かしい香りがした
小さい頃の朧げな記憶。その記憶が正しければ、その女性は…その女性は…
「母さん?」
《久しぶりね。》
今日は信じられないことしか起こらない。俺は思わず母に駆け寄った。十年以上会っていなくても、すぐにわかった。
母に抱きついた瞬間、強烈な張り手が飛んできた。俺は信じられない気持ちで頬をさすった。
「父さんにもぶたれたことないのに!!!」
《だから私がぶったんでしょーが》
「何でだよ!?」
《だってあなた、今日、時間が止まらなかったら、死のうとしてたでしょ?》
俺はひやりとした。
「なんで…知ってるの?」
《あの世からずっと見てたからね。あなたが練炭と睡眠薬を隠れて買っていたことも。最後の晩餐に、あなたの好物を使ったことも。》
俺は何も言えなかった。母には全てバレている。俺は、今日の夜、たしかに死のうと思っていた。
高校に行かなくなり、ネットしかやることのない毎日。日に日に俺が生きていく意味がわからなくなった。
俺は何か悪いことをしただろうか。意地の悪い女に騙され、馬鹿な男に殴られ、それで俺だけが損をするような世の中に生きていく価値があるのだろうか。
引きこもると、そんな思考がぐるぐると回った。ネットを通じた友達にはこんなことは言えなかった。父にはもっと言えなかった。
そして、アマゾンで俺は…
《バカねーあんた。あんな可愛い子があなたに告白するわけないじゃないの》
「ええー!?そういうこと言う!?息子に!?」
母はこんな人間だったのか。記憶が曖昧だから覚えていなかった。知らないほうが良かったかもしれない。
《大体何で死ぬのよー。まだ世の中の表面すら知らないひよっこがよー。勝手に価値がないなんて決めつけんなよ》
「いや口悪いなおい!」
《そのせいで一回しか使えない願い事使ってこんな面倒くさいことしなきゃ行けなくなったじゃないの》
「どういうこと?」
《私たちは、一度だけ世の中に干渉できるの。できることの範囲は、生前の徳の高さによって変わるけど。私は当然最高クラスよ。お陰で最強の能力、時止めをあなたにあげたんじゃない》
「クソみたいな縛り付きだけどね」
《贅沢言わないの。というか、それが狙いなんだからいいのよ。》
「えっ?」
《あなたが体験したのは、あなたが死んだ後に行く世界。それに近いもの。》
《あなたは誰とも話すことができなかった。何にも干渉することができなかった。死ぬというのはそういうことよ。》
「そんな…まじで…?」
《まじよ。あなたは死後の世界は素晴らしいものと決めつけてたみたいだけど。》
「救いはないのか…」
《この世界で一番辛かったことは何?》
何だろうか…服をきれなかったこと?ドアが開かないせいで野糞をする羽目になったこと?女子の柔肌が柔らかくなかったこと?
どれも違う。答えはもう知ってる。
「孤独だったこと」
《誰にも気がついてもらえなくて、話せないのは寂しいでしょ。人間、一番応えるのは結局一人になるとこなのよ》
《あなたはこれから人生で辛い事ばっかりでしょうよ。対して顔も良くないし、うじうじ悩むし。でも、それでも人と関われることは幸せなことなのよ。どんなにクソヤローばっかりでも、歯を食いしばって耐えなさい。どんな世の中でも、死ぬよりマシよ。》
「母さんは、それを伝えるために、わざわざ…?」
《そりゃそうよ。だって私は母さんだもの。》
母さんの姿がぐにゃりと歪んだ。目頭が熱い。
涙を拭いても、母さんは歪んだままだった。
「どうしたの?母さん」
《そろそろ時間かー。短いんだよ神のおっさんめ》
「時間…?」
《そろそろ戻らなきゃ行けないみたい》
戻る?死後の世界に?あのクソみたいな、残酷な世界に?
「待って、母さんまだまだ話したいことがあるんだ。あんなに辛いところに行かないで!!!俺が時を止めたままなら、ずっとここにいられるでしょ!!!」
《ルールなの。しょうがない。それにあんたは戻らなきゃ行けないでしょ。クソみたいな世の中に。
それに、私は辛くないわ。どんなに一人でも、生きていた頃の思い出があるから。あの人と、あなたとの思い出が。だから大丈夫。
あなたもそんな思い出をたくさん作りなさい。
成長したあなたに会えて、本当に良かった》
「母さん…」
《湿っぽいのは嫌だからね。笑いなさい。笑っときゃなんとかなるわ》
何と雑な母だろうか。俺は無理やり笑顔を作った。
「行ってらっしゃい」
次の瞬間、周りの騒音で俺は目を覚ました。
というか、俺の周りに人だかりができていた。
そこには、全裸で行き倒れになった変態の姿があった。
「変態だー!!!捕まえろ!!!」
その時、俺の股間を隠すようにタオルが飛んできた。顔を上げると、そこには憎きマドンナが立っていた。
「バカ。変態。早く隠しなさいよ!!!」
俺はありがたく股間を覆った。どんな風の吹き回しだろうか。
「あれから学校来なくなったから、私が悪いみたいになったじゃない!!!」
「お前が悪いだろうが!!!」
「うるさいわね!私も、やりすぎたって反省してるわよ…いいから早く帰って服きなさいよ!それで、明日からは学校きてよね…」
俺は思わず吹き出してしまった。人間の悪意の塊みたいな存在だったのに、こんなにあっさりと改心してしまっていいのか。
「何よ!!!早く帰れ!!!変態!!!おまわりさーーん!!!」
「何警察呼んでんだこのやろう!!!いちごパンツのくせに!!!」
「何で知ってんのよ!!!おまわりさーーーん!!!」
本当に警察が走ってきた。やばいやばい。早く逃げよう。
「明日学校でとっちめてやる!!!だからちゃんと来るのよ!!!」
そんな言葉を聞きながら、俺は全速力で走った。
人々がそんな俺を振り返る。ちゃんと動いている。俺の存在を認識して、反応してくれている。なんて、なんて幸せなんだろう。
もう少し生きてみようか。今死んだら母さんに殺されそうだし。
でも、とりあえず、家に無事に帰るまでは、皆俺の痴態を見ないでくれ!!!
どうか、そこまで
「トキヨトマレ!!!」