第九歌 逢魔が時の秘密
「楓」
声をかけられて、楓は振りかえる。
「久しぶりだね、颯二」
「ちょっといいか」
「ん? うん」
廊下の片隅。あまり陽光のささない方へと連れてこられて、楓は颯二をじっと見た。
「どうかしたの?」
「ああ。じいさまの形見分けしてたら、気になるもんがあってさ」
「気になるもの?」
「これ、なんだが」
差し出されたのは、一枚の写真。
古ぼけて端々がすりきれている。
「? 写真?」
「ここに映ってるやつ、見てみてくれ」
そこに、居たのは。
柔らかな笑みを浮かべた金髪の少女と、彼女に寄り添われるようにして椅子に腰掛けている男性。
「こっちは曽祖父様だよね?」
「ああ」
「でも、こっちは……」
それは、間違い無く。
「もも?」
「……偶然にしちゃ、似過ぎだろう?」
颯二は困った顔をする。
「ばあさまがさ、破り捨てようとしたんだけど、どうしてもお前さんに見せたくて持ってきたんだ」
「あ、ああ」
「……あの子たちのこと、俺らは何も知らないんだよ」
「うん」
「おかしいと思わないか?」
「え?」
魅入られるように写真を見ていた楓は顔を上げる。
颯二は真剣な顔をしている。
「あれだけ目立つ容姿をしてるんだから、他の学生どもが噂しないわけないだろ?」
「……そういえば」
「俺らだけで居る時とかしか、彼らは現れたりしないんだよ」
思い当たる節はいくつかある。
「けど」
「これは、推測に過ぎない」
楓の言葉を遮るようにして、颯二は言う。
「だが、聞いてくれ。楓」
「何?」
「彼女らには、もうこれ以上関わらない方がいい」
「なんで」
「恐らく、彼女らは人ではない」
その一言が重く圧し掛かる。
「そ、んなことっ」
「実際、こういう証拠だってあるんだ」
「似てる人かもしれないじゃないか」
「楓」
「私は、信じない」
「だが」
「私は、信じないよ」
そのまま、楓は駆け出していた。
颯二は、彼女にそれ以上何も言えなかった。
昼の陽光の中を、楓は歩く。
今はただ、会いたかった。
それだけで何もかも、信じられると思った。
だが、どれだけ歩いても彼女の家は見つからない。
「……どうして」
ふいに間近でちりん、と鈴が鳴った。
楓が振り返ると、沢山の鳥かごを下げた車を引いた老人が、背後に居た。
「あ……」
「小鳥の棲家をお探しかな」
「何?」
「金糸雀を知っておるだろ? 金の髪をした、名前は『桃』という」
「カナリヤ……」
思い出すのは、あの本の一節。
「貴方は一体」
「真実が知りたければ、その先へ行くといい」
老人が指差す先には細い路地があった。
「今はちょうど逢魔が時」
くつ、と老人が笑う。
「お前さんが出会うのは魔か、聖か。その目で確かめるといい」
おりしも、夕闇が辺りを染めていく時刻にさしかかっていた。
楓はただ、導かれるままに、その道を歩いていった。
窓の外から、楓はその光景を見つめる。
菫は椅子に腰掛けた桃の頬をそっと撫でる。
「少し、痩せた?」
「そうかな」
桃は微笑んでみせる。
「ちゃんと華を取ってる?」
触れ合うほどの距離で、くん、と鼻を鳴らす。
「取ってるよ。ちゃんと」
ゆっくり、ゆっくり、その顔の輪郭を菫の指先がなぞっていく。
「桃」
唇を触れ合わせる。
ゆっくりと、離れる。
「あの人の馨りがするね」
「ああ」
「葵さん、今日も待ってるんでしょう?」
「うん」
「はやく、行ってあげなきゃ」
「桃」
菫の目が細められる。
「私は、あなたが居ればいいよ」
「菫」
見つめあう視線は、甘やかに交差する。
「待ってるから、行ってきて」
「ああ」
そのまま、菫は扉へ向かう。
桃は、彼に見えないよう、息を吐き出した。
からん、と扉が鳴る。
「あれ? 菫、何か忘れも、の」
桃は言葉の途中で相手に気付く。
「……楓」
蒼白な表情の彼女を見て、桃は悲しげに眉を寄せる。
「どうして」
「ひとつだけ、教えて欲しい」
楓は、震える唇で言葉を紡ぐ。
「何を」
桃はあくまでも落ち着いている。
「今の、は」
「ああ、見てたんだね」
少しだけ苦笑いをして、ため息をつく。
「……もう、ぎりぎりだから。ちょっと菫に分けてもらったんだけど」
「何を」
「あたしたちは、互いが居なければ生きていけない」
ゆっくり何度かまばたきをしながら、桃は言葉を続ける。
「あたしたちは、互いの足りないものを補い合う。たった一人の、欠けた半身を見つけるまで。『永遠』の相手に巡り会うまで」
「……どういうことか、分からない」
「そう?」
かたん、と音を立てて椅子から立ちあがると、桃は楓の前に立つ。
ゆるりと、その手が彼女の頬に触れる。
「桃?」
少しずつ平静を取り戻し始めた楓は、訝しげに彼を見る。
「こうして」
そっと、唇を重ねる。
香るのは、金木犀。
「触れるだけで。生きていく糧を得る」
「……何かを奪うの?」
「そうじゃないよ」
くす、と桃が微笑む。
「だって別に楓は具合悪くなったりしないでしょ?」
「ああ」
「こうして愛しい人に触れるだけで、満たされていくんだよ。あたしたちの内側は」
そっと、寄りそう。
「そういう造りなんだって。よくは、自分も知らないんだけど」
「……私たちの曽祖父に会ったことがあるのね。彼が、若い頃に」
「……うん」
少し躊躇して、桃は頷く。
「……隠さないの?」
「楓に、隠し事はしたくない」
見上げる瞳。
嘘も偽りも無い、目。
「何故?」
「好き、だから」
愛しい微笑み。
腕の中の温もり。
「人間じゃないのね」
「少なくとも、人間ではないみたいだね」
苦笑して、それから、目を伏せる。
「楓に会うの、辛かったんだ」
「え?」
「会うたび、すごく、好きになっていったから」
それから、顔を上げて微笑む。
「颯一郎さんよりも、ずっと」
「桃」
「でもあたしは、人間じゃないから」
「違う」
ぎゅっと抱きしめる。
桃は不思議そうに楓を見上げる。
「違うの。嫌だったのは、そういうことじゃないの」
「じゃあ、何が」
「あの人が、菫さんが、桃に触れることが、たまらなく、嫌だったの」
窓の外から、見てしまった光景。
「……楓」
「私じゃ、ダメなの?」
愛しい。
「私じゃ、桃の半身にはなれないの?」
桃はその腕の中、首を横に振る。
「そんなこと」
「じゃあ、なんで」
「嫌われてしまうのが、怖かったんだ」
そっと、その背に腕を回す。
「真実を知っても、楓があたしに会ってくれるかどうかが、怖かったんだ」
「桃」
その頬を、一筋、涙が伝う。
楓の唇がその涙に触れる。
あまやかな、蜜の味。
「楓」
触れ合う、唇。
何度か、触れ合うたび、少しずつ。
深く、深く、口づけを交わす。
唇を離す頃には、息が上がっていて。
でも、しっかりと互いの手を握る手は離れないままでいた。
二人の心を、示すように。