第八歌 比翼連理とその悲哀
「ねぇ、楓」
その日も、楓は桃の元を訪れていた。
時間があれば訪れてカウンターの彼女の指定席になりつつある場所に腰かけながら桃の話を聞くのが、ほぼ毎日の日課と化していた。
「何?」
「『比翼の鳥』って、知ってる?」
「……いや」
ティーカップに注がれた紅茶をこくん、と飲みこむ。
桃はその動作を眺めながら微笑んだ。
「異国のね、想像上の鳥のことなんだけど」
「ああ、そうなんだ」
「雌雄一対の鳥でね、目と翼が片方ずつしかないんだよ」
腕を広げ、まるで鳥がはばたくように、してみせる。
「だから、互いが互いの欠けたものを補い合うの。こう肩を組むみたいにして、いっしょに飛ぶんだって。互いがいなくては、生きていくことが出来ないんだよ」
「互いがいないと、ね」
桃は微笑んでいる。
でも、その笑みが寂しげに思えて、楓は立ちあがって手を伸ばした。
「うん?」
両手を取って、しっかりと握る。
「どうかしたの? 楓」
「……こっち、来て」
「うん」
手をそっと離すと、桃は移動して楓の座っている席の隣にちょこんと腰かけた。
「どうしたの?」
返答をするわけではなく、楓はただ、桃をぎゅっと抱きしめた。
「……なんだか」
「うん」
「桃が、儚くなっちゃいそうで」
「……うん」
「怖いの。最近、すごく」
「そうなの?」
その腕の中で、桃は楓を見上げる。
やさしく柔らかく唇を重ねる。
それ以上の行為に進むことはない。
ただ、やさしく。
ただ、甘く。
「楓が、望むなら」
「え?」
「『永遠』に一緒に居られるよ」
きゅう、と抱きしめ返されて、でも、その言葉の真意はわからなくて、楓は心の底から戸惑っていた。しかし、それと同時にどこか得体の知れない不安も、彼女の胸中を覆わんとしていたのだった。
楓が帰宅した後。
珍しい来客に、桃は少し目を見張った。
「葵、さん」
「少し話せるか?」
「大丈夫ですよ。どうぞ」
カウンターの席に座る彼女は不機嫌そうで、桃はとりあえず紅茶を沸かす準備をし始めた。
「何もいらないよ」
「そうですか?」
「お前にとって、菫は何だ?」
単刀直入に問われて、桃は少しだけ苦笑する。
「それを聞きに?」
「ああ」
「菫から、何か聞いた?」
「ただ、お前は大事なヒトとだけ」
「なるほど」
少し思案する桃を葵は見つめる。
「あたしと菫は友人なんかじゃないよ。それは、分かってるんでしょう?」
「ああ」
「じゃあ、他に何が聞きたいの」
「愛してるんだろ?」
葵の目は真っ直ぐに桃を捕らえる。
「愛してるよ。だってあたしたちは『つがい』だから」
ふ、と笑う。
「互いが生きてくために、互いが必要だから。でも、それだけなんだ」
「? どういう意味だ」
「そのまま。でもね、この関係はかりそめなんだよ。本当に、本当に菫が誰かを好きになれば終わる関係なんだ」
ただ、と目を伏せる。
その表情を、葵が見つめる。
「あたしが居たら、菫はその『誰か』を見つけることを放棄しちゃうから、あたし以外のすべてを拒絶してしまうから、それだけが、ツライんだけど」
「お前、何言って」
「葵さん」
今度は逆に、真っ直ぐな目で桃が葵を見つめる。
「菫があなたを選んだことを、あたしは信じてるから」
ゆっくりとまばたきをして、微笑む。
「どうか、菫を離さないであげて」
「でも、菫の心のうちでお前はでかいんだよ」
「それは、少しずつ変わるはず。まだ、時間はあるから」
つい、と視線を逸らした先。
あるのは、白い蕾をつけた鉢植え。
「まだ、時間はあるはずだから」
「お前……」
「あたしの幸せは、菫が幸せになることなんだよ」
ふふ、と桃は笑う。
「あたしでは、『永遠』に側には居られないから」
どこか、悲しげなその瞳と、その不思議な物言いに、葵は言葉を無くす。
ふいにからんからんと音を立てて扉が開いた。
「あれ? 来てたんだ」
菫は葵の姿をみとめて少し驚いた顔をする。
「ああ、菫待ってたんだよね」
ね、と念を押されて、葵は仕方なく頷いた。
「そうなんだ。じゃあ、ゆっくりしてけよ」
そうは言いながらも菫の視線は桃に向けられていて。
葵は少し胸が苦しくなりながらも、そこから、離れられずにいた。
ふたりが何を探しているのか。
ふたりはどこへ行こうとしているのか。
少しずつ明らかになっていきます。