第六歌 謳う小鳥
―――金糸雀は歌わなくなった。
ただ、不思議なほどに曖昧な微笑を浮かべるだけ。
「俺だけのために歌って」
小夜鳴き鳥がそう囁くので。
甘い、甘い、その声で。
「何を、歌って欲しい?」
金糸雀が問うと、小夜鳴き鳥はふわりと優美に微笑む。
彼女からたちのぼるのは、茉莉花の馨り。
「桃が歌うのなら、何でも」
そう言われて、金糸雀は考え込む。
小夜鳴き鳥がそう言うのは知っているから、問う前から考えている。
「じゃあ、今夜はサティの『あなたが欲しい』を」
その選曲に小夜鳴き鳥が満足げにするのを見て、金糸雀はほっとする。
店の中央に置かれた古びたピアノの前に座る。
小夜鳴き鳥はピアノに寄りそうようにして、金糸雀の手元を見つめる。
やがて、ゆっくりと爪弾きながら金糸雀は歌い出した。
声。
歌声。
甘く、甘く、響く。
たったひとりのためにだけ、歌われる、その歌声。
小夜鳴き鳥はうっとりと微笑んでいる。
彼女から立ち昇るのは、茉莉花の馨り。
―――茉莉花の花言葉は、
優美、穏和、官能的、
そして、あなたは私のもの……
歌い終えた金糸雀に小夜鳴き鳥はその後ろから彼を抱きしめる。
「どうしたの?」
金糸雀が問う。
「……いいや」
問いには答えず、ただ、抱きしめている。
「あのひとは、気に入ったの?」
「うん。いい歌声を持ってる」
「そう。じゃあ、菫の『永遠』はそこにあるかもしれないね」
「でも」
ぎゅう、と抱きつく力が強くなる。
「でも」
「……ぼくとの別れは仕方のないことだよ?」
「桃」
「あたしたちは、互いの『永遠』にはなれない。知っている、ことでしょう?」
「けど」
振り向いた金糸雀を、じっと、小夜鳴き鳥は見つめる。
「『永遠』の相手候補になる人間が、いくら居ても、わたしの『つがい』はあなただけなのに」
「菫」
少しだけ、苦笑して、そっと指先を伸ばす。
涙の伝うその頬を、ゆっくりと撫でる。
「愛しているよ」
その声が。
その眼差しが。
映しているのが、互いだけならば。
怖いものなど、何もないのに。
ふいに、小夜鳴き鳥が動いた。
椅子に座ったままの金糸雀はずっと小夜鳴き鳥を見上げていた。
柔らかく、甘く、その唇に、自分の唇を重ねる。
「……不安なの?」
問いには答えない。
ただ、胸が苦しくて。
「……明日は、ここに居て」
「菫はどうするの?」
「桃と居る」
「……そう」
強く、強く、抱きしめられる。
金糸雀は遠くを見ている。
切ないほどに、遠くを。
愛しい者の腕の中で。
彼女には見えない、遠くを。
今日は二本立て!