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第十一歌 夜に咲く華

 夜の帳が降りる頃。


 美しい声でさえずる小鳥。


 かぐわしい芳香を放ちほころぶ華。




 華が、咲く。




 桃は俯いていた。

 ただ、泣いていた。

 楓は彼に手を伸ばす。

「どうしたの? 一体」

 桃は首を横に振る。

 力なく。

「桃?」

「……っもう」

 嗚咽をこらえるようにして、必死に声を絞り出す。

「もう、一緒に、居られないんだ」

 涙がほろほろと零れていく。

 潤んだ大きな目が、楓を見つめる。

「あたしは、菫を見捨てることなんて、出来ないから」

「桃」

「でも」

 ぎゅう、と抱きつく。

 その手に力をこめる。

「でも、楓と離れたくないよ」

 涙は零れる。

 楓は何を言ったらいいか分からなくて、ただ、桃を抱きしめる。

「どうして、一緒にいられなくなるの?」

 問いかけに、桃はすん、と鼻をすする。

「次の満月には、華が咲くから」

「華?」

 楓の脳裏をよぎったのは、曽祖父が遺した本の一節。




『その華を見なければ良かったと後悔する。

 至上の美たる大輪のその華を見なければ

 私は私の最愛の者の手を離さずに済んだのに。』




「華が咲く……って、どういうことなんだ」

 桃はぎゅうっと楓に抱きつく。

「華が咲いたら、眠るんだよ」

「眠る?」

「次に目醒めたら、また、永遠の相手を捜すんだよ。その、繰り返しなんだ」

「その、眠る期間ってのは、どれくらいなんだ?」

「……本当は、百年」

 桃はまばたきをして、じっと楓を見る。

「でも今回は颯一郎さんと約束してたからその半分の時を眠っていたんだよ」

「百年……」

 それだけの月日が経てば、二度と会うことはかなわないだろう。

「華が咲くのを止める術はないのか?」

「……ないわけではない。でも、あたしにはそれは出来ない」

 だから、と桃は泣く。

 楓はその小柄な身体を持てる限りの力を持って、抱きしめていた。

 離したくは、なかった。

 永遠に。




 不自然なほど人気のない学院の構内で。

 桃は颯二と擦れ違う。

 ふいに、彼は足を止めた。

「颯二、さん」

 呼びとめられ、颯二が振り返る。

「何?」

「そうか。あなただね」

 真っ直ぐに見つめられ、颯二は居心地悪げに目を逸らした。

「何が」

「あなたが、菫に、言ったんだね」

 震える声。

 見なくとも分かる、その表情。

「それがどうかしたのか?」

「……あなたは颯一郎さんの血縁である前に、あの人の血縁でもあったんだったね。忘れてたよ」

 はっとして桃を見る。

 泣きそうなほど潤んでいるのに、しっかりと見つめてくる瞳。

「……けど、あたしは二度と同じ間違いはしない」

 真っ直ぐ過ぎるほどに見つめられ、颯二はその場を歩み去る。

 桃はそこに佇んでいた。

 握られた指先は強く力がこめられ、白く、見えた。




 月が、満ちてゆく。




「ひとつだけ」

 桃は人差し指を立てて、微笑む。

「あたしは菫に逆らえないけど、ひとつだけ、菫にも譲れないことがある」

「どんなこと?」

「ひとつだけ、約束をしてもいいの」

「どんな約束でも?」

 楓に問われて、桃は頷く。

「どんな、約束でも」

「なら」

 囁かれた言葉に、桃は目を見開く。

 そっと、その頬に口付けをする。

「約束する」

 忘れないように、しっかりと互いを抱きしめあう。

「約束するよ、必ず」

 交わされた誓い。

 満ちゆく月の光の下で。




 静かな、月夜。




 いつの間に、その場所に居たのかは、わからない。

 ただ月の光だけが降り注ぐ、その場所。

 菫と桃が向かい合う、その場所。

 楓は彼女らを見つめる。

 彼女らを挟むようにして向かいに、葵が居ることに気付いた。

 でも、言葉は交わされない。

 指先ひとつ動かすこともままならない。

 ただ、見つめることしか、出来ない。

「桃」

 うっとりと菫が微笑む。

 桃はそんな彼女を見つめる。

「愛してるよ」

 囁かれる愛の言葉に、桃が微笑む。

「あたしも、菫を愛しているよ」

 菫の指先が桃の左胸をなぞる。

 ふいに、指先がその肉を割りねじこまれた。

 桃の顔が苦痛に歪む。

 楓は目を見張る。

 目の前で起きている出来事に。

 やがて、ずるりと何かがそこから引き出された。

 桃の身体は崩れ落ちる。

 やがて、さらさらとその身体は光の粉になって消えた。

「桃は、わたしだけのもの」

 くす、と菫が微笑む。

 その血に濡れた指先は、何か輝くものを手にしている。

 ゆっくりとそれに口付けをする。

 光は菫に吸いこまれていく。

「わたしたちは互いだけで生きていく」

 ひどく幸せそうに菫が微笑む。

「菫っ!」

 葵の手が伸ばされる。

 届かないことは知っているはずなのに。

 けれど、その瞬間、菫の表情がわずかに揺れたことに楓は気付いた。

(もう少し、時間があれば)

 桃が言っていた言葉。

(菫はきっと、あたしよりも葵さんを好きになれたはずなのに)

 悲しげな寂しげな表情を、忘れることは無い。

「菫、やめろ!」

 そう言われて、菫は俯いた。

 ゆるく首を横に振る。

 やがて、ゆっくりとその輪郭がぼやけ始める。

「……いつか」

 ふわり、と菫は笑って見せた。

 葵はまだその手を伸ばしたままだ。

「また、逢えたら」

 一筋、涙がその頬を伝った。

「その時は、きっと……」

 そして、菫の姿は消えた。

 代わりに現れたのは、大輪の華。

 美しく豪奢なはずなのに、どこか、儚げな華。

 白く咲き誇る花弁は、かすかに揺れる。

 永遠よりも長い一瞬。

 その華に、二人は見惚れていた。

 消えてしまった、愛しい人を、思いながら。




 目が醒めた時、楓はベッドの上だった。

 まるで、夢のような出来事。

 けれどそれが現実であることを、楓は知っている。

 でも、約束したから。




「花守は花を守るために居る。だから、花の言うことは絶対なんだけどね」

 くす、と桃は笑った。

「花はね、眠るために糧を得て花を咲かせる。花は糧がなくても咲くことは出来るけど、咲いて枯れるだけになってしまう。二度と咲くことはなく消えてしまうんだ」

 そして、と桃は自分を指差す。

「花守は花が咲くための糧。そのためのつがい。だから、あたしたちは互いを必要としている。永遠の伴侶に巡り会うまで、あたしたちは互いを必要として生まれ変わり続けるんだよ」




「約束、したから」

 小さく楓は呟く。

(時の流れを遡ってでも、かならず、楓のところに戻ってくる)

 桃は微笑んだ。

(その時に楓がまだあたしのことを一番好きでいてくれたなら、必ず、あたしたちは永遠の恋人になれる)

 それは約束と言うよりは、願掛けに近い。

 いつ再会出来るかなど、見当もつかないのに。

 次に会えるのは百年の後かも知れないのに。

 それでも、楓は信じていた。

 必ず、もう一度、巡り会えることを。




 誰もいない講堂で葵は目を閉じて考える。

 愛しい人が、そばにいた日々のこと。

 今は、そばにいない、彼のことを。

「もう一度、逢えるよね」

 それは確信。

 たった一度だけ、一緒に夜を過ごした。

 肌を重ねたわけではない。

 ただ、一緒にいただけ。




「葵、見て」

 菫はそう言って空を指差した。

「虹だよ」

 雲と月にかかる虹。

 夜に見られるなんて思ってもいなくて、感嘆の声すら上げられない。

「ねえ、知ってる?」

 にこ、と菫は笑った。

「何を?」

「真夜中の虹を見た恋人同志はね、百年一緒に居られるんだって」

「百年、ねぇ」

「ああ、でも葵とは恋人じゃないか」

 あはは、と菫は笑った。

 少しだけ拗ねた顔をして見せると、もっと笑った。

 ただ、それは幸せな時間。

 忘れえぬ、時。


 


「もう一度、必ず、逢う」

 それは誓い。

 たったひとつ、自分に課した誓約。

「だって、そうでしょう?」

 聞こえるはずも無い相手に、囁く。

「わたしたちは百年の恋人なんだから」




 信じていた。

 必ず、もう一度、出会うことを。

 否。

 信じているのだ。

 信じ続けているのだ。

 ずっと。

 ずっと、ずっと、ずっと……


次回、最終回です。

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