第十歌 永遠の恋人
夜の帳が降りる頃。
美しい声で囀る小鳥。
馨しい芳香を放ちほころぶ華。
花の香りが強くなる。
夜を重ねるたび、朝を迎えるたび、花の香りは強くなる。
ベッドの上で、楓は手探りで相手を捜した。
その温かな感触を引き寄せる。
抱きしめる。
「ん……」
ほんのかすかに吐息をもらして、ゆっくりとその瞳が開く。
「どしたの?」
「いや」
桃は微笑んでその手を伸ばす。
「おかしなの」
きゅうと抱きしめ返して、くすくすと笑った。
その笑顔も。
愛しくて、たまらなくて。
楓は離さないようにと、腕にこめる力を強めた。
抱きしめられたままの桃はまばたきをした後、ゆっくり目を閉じる。
その指先にほんのわずかに力をこめてみる。
互いが、互いを、感じられるように。
その全てを、信じるように。
「おい」
「ん?」
「なんか、上の空だね?」
「そんなことないよ」
菫は笑顔を作ってみせる。
葵は彼女のそんな様子に顔をしかめた。
「なんかあったの?」
「ううん。ただ」
こつこつ、とその指先が机を叩く。
「なんか、最近桃がそっけないから」
「またあいつの話かよ」
やれやれ、と葵がため息をつくと、菫は頬を膨らませた。
「なぁに? いいじゃない、別に」
「まぁ、もう、慣れたけどなぁ」
こうして過ごしている時間の間も、菫が桃を忘れる時はない。
「ほんと、大事なんだな」
「桃がいなかったら、わたしは生きてけないから」
「のろけんなよ」
ぐい、と腕を引っ張られて、菫は葵の胸の中に倒れこむ。
「ちょっ、何するの、葵」
「私のことは?」
「葵のこと?」
「好き?」
問われて、一瞬だけ逡巡する。
「好きだよ」
「なぁに? 今の間は」
「今はまだ、桃の次くらいに好き」
くす、と菫が微笑む。
葵はその唇に自分の唇を押し当てた。
菫は抵抗しない。
柔らかな、ただ、触れるだけの、口付け。
「どうかしたの?」
「どうもしないよ」
少しだけむっとしている葵を見ながら、菫は笑いを噛み殺すのに精一杯だった。
甘い、金木犀の馨り。
図書室で、楓は桃と一緒にいる。
颯二はそんな二人を見つめる。
あまやかな、馨り。
それが、息苦しくて。
颯二は程なくして図書室から飛び出した。
細い路地をあてもなくさ迷う。
その内、鳥かごを沢山下げた車を引いた老人に、颯二は出会った。
「何をお探しだい?」
くつくつ、と老人が笑う。
「あんた、誰だ?」
鳥かごの中に、鳥は一羽たりともいない。
「そんなに金糸雀に大切なものを奪われるのがいやか」
「なっ」
頭に血が上って、顔が真っ赤になる。
「俺は、そんなことはっ」
「それはどうかな」
「あんたに何が分かるっ!」
「そうさな。わしには何も分からんよ。お前さんの曾祖母なら、何か知ってるかもしれんがね」
「な、に?」
「あの人は昔、金糸雀から大事なヒトを奪い返した人だから」
くつくつ、と老人が笑う。
それは何処か、嘲笑めいた響きを持っていた。
颯二は身を翻す。
曾祖母に、話を聞くために。
「けれど」
誰もいなくなった路地で老人の声が響く。
「あの女性は失敗したんだったか」
くつくつ、と笑う声。
「結局、金糸雀に愛しい男は持って逝かれてしまったものなぁ」
くつくつ、と笑う声。
それ以外には何も無い。
その路地には何も無い。
否。
路地すらも、本当は存在していないのだ。
だからそこには、何も無い。
「そんな……」
桃は目を見張る。
鉢植えの華は今にも開きそうになっている。
「華が、咲くの?」
呟きを聞く者はいない。
「早過ぎる。まだ、時間はあるはずなのに。誰が、時間を進ませたの?」
かり、と親指の爪を噛んだ。
「まだ、まだだ。まだ菫には時間が必要なのに。まだ、あたし以外の誰かを好きになれていないのに」
きゅう、と手を握る。
ぎざぎざになった爪が手のひらにくいこむ。
「どうしたら、いいの」
その術を知る由もなく。
桃はそこに、立ち尽くしていた。
華が咲く時、二組の少女たちの関係はどうなってしまうのか。
いよいよクライマックスです。




