ライトの初恋~Can't take my eyes off you~
「それでは、あとは若いふたりにお任せして」
というお決まりのセリフを残して、若くない人たちは部屋を出て行った。障子を開けると、縁側の向こうは純和風の中庭。
残暑がようやく過ぎ去った9月のある日。風は穏やか。
ちょろちょろちょろちょろ……カコーン。
中庭から鹿威しの音が聞こえた。
ちょろちょろちょろちょろちょろ……。
低いテーブルを挟んで、俯く若い男女。気まずい沈黙。文字通りに、モジモジしている。曲がってもいないのに襟を正してみたり、前髪をこねてみたり、鼻の下をスコスコしてみたり。
どきどきどきどきどきどきどきどき。
胸の奥。ハートがエイトビート。それにしても、ちょっとテンポが速すぎる。
(何か話をしないと……)と男は思った。
彼はライトという若干のキラキラ感のある名前だった。見た目はハンサムなほうなのに、恋愛経験なし。彼はこのお見合いにかけていた。
それは、何故か。
遡ること、1か月。まだ暑い盛りの8月のある日曜日。お節介な親戚のおばちゃんが風呂敷包みをもってやって来た。
この時、ライトは炎の筋トレにいそしんでいた。汗だくになって、発声に必要な腹筋を養成していたのだった。
おばちゃん、そんなことはお構いなしの勢いで、
「ちょっとライトちゃん!いいもの、持ってきたのよ!」
おばちゃんが、「良いもの」と言って持ってきたものが、「良いもの」だった試しはない。今でも忘れられない出来事があった――。
子供の頃のライトが、「お魚が好き」と言ったら、彼女は次の週に大きなレジ袋をぶら下げてやって来た。
「ほら、出してみて?ライトちゃんが大好きなモノよ」
「何かしら」
母が楽しそうに言う。ライトもつられるようにして袋に手を入れた。なんだろう、冷たい。おそるおそる取り出す。
「ほぉら!ライトちゃんが好きなお魚!」
(違う、そうじゃない!)
ライトはすがるように母を見上げた。母の笑顔がこわばっている。肉厚で美味しそうな、アジの開きを見てリアクションに困っている。
「わぁ~美味しそうね。ライト、今夜のおかずにさっそく焼いてあげるわよ」
ライトが好きだと言ったのは、群れをなしてキラキラ泳ぐアジの姿だ。開かれて、干されたやつではない――。
ライトは腹筋を続ける。幼い頃の記憶で、ちょっとだけ胸が痛んだ。
「ライトちゃんたら!どこにいるの!隠れたって無駄よ!出てらっしゃい!」
バタン!部屋のドアが開いた。ノー・ノックだ。アウト・オブ・デリカシー。
「まぁた!バカみたいに腹筋ばっかりやって!ボディビルダーにでもなるつもりなの!?そんなだからモテないのよ!」
(何を根拠に!?)
と、反論したいのはやまやまだった。事実、モテていないので文句が言えない。でも、そんなムキムキのマッチョじゃないし。細マッチョだし……。ぶつぶつ。
「ほら、リビングにいらっしゃい!」
おばちゃんの勢いは留まることを知らない。ライトの腕をつかんで引っ張り出した。こうなると、もう諦めるしかなかった。ライトが着替えてから行くと言うと、その場で着替え終わるのを待ちそうな勢いだったので、さすがに退室して頂いた。
「あなたのお着替えなんか、生まれた時から見てるのよ?」
そういう問題ではない。
着替え終わったライトがリビングに出て行くと、ソファに母とおばちゃんが並んで座っていた。嬉しそうに、顔を寄せ合って何かを見ている。大げさな表紙のついた見開きの冊子みたいなものだった。
父はその時、ほぼ趣味でやっているような中古CD店で、苦学生が持ってきたCDの査定をしていた。
ちなみに、自宅のリビングから直で、店に行けるシステムになっていた。バックルーム兼リビング、といったところだ。
「あ!ライトちゃん!ほら、早く!」
ライトが開いているソファに座るや否や、おばちゃん開いて見せたのは、明らかに着飾った女性の笑顔の写真。誰が見ても、見まごう事なき「お見合い写真」だった。
そして、彼女はとても、魅力的だった。瞳には強い光が宿り、きらめいていた。すごい吸引力だ。ダイソン?それともシャーク?ってぐらい。
ライトの目は、写真の女性にくぎ付けになった。言葉が出てこない。ただ、胸の奥から何かが溢れてくるような感じがした。
「素敵なお嬢さんよね!」
能天気な声を上げる母。
「でっしょう?可愛いのよ。いい子よ?ライトちゃんにぴったり。ね?ライトちゃん、そう思わない?……」
おばちゃんの、楽しそうな声がフェードアウトしていく。やがて無音になった。
と、その時だった。
静けさを破るようにして、聞こえてきたメロディがあった。CDショップのBGMだ。懐メロ感溢れる8ビートサウンド。やがてディスコティックなキラキラ感が追いかけてくる。
ヒゲに胸毛の長身の二人組がくねくねと踊り、ドレスを着た女性が振り返り、マイクを握って歌い出す。
ライトはおもむろに、テーブルの上に乗っかっていたテレビのリモコンをつかんだ。深呼吸をひとつした後、スパッと立ち上がった。
流れてくる曲はサビに差し掛かろうとしている。
ライトは、大きく息を吸い込み、心からの声をメロディに乗せて、リモコンをマイク替わりにして、歌い出した。その瞳は喜びに満ちて輝いていた。
呆然と見守る母とおばちゃん。やがてふたりも頷きあい、その辺にあった孫の手やら、大人女子向けのステキな暮らしをご提案する雑誌を丸めたものやら、を握ると立ち上がった。
次のサビ来たところで、手に持ったそれらをマイク替わりに、声を合わせてハモり出した。
家の中が愛に満ちた歌声であふれ返り、それは窓をすり抜けて、表通りを行く人たちの足を止めた。
いつの間にか天井にはミラーボール。光を乱反射して、部屋の中を七色に輝かせる。あるいは透明な水の中、煌めきながら泳ぐアジの魚群か。
とにかく素晴らしかった。世界の色が一瞬にして塗り替えられた経験だった。
ライトは生まれて初めての感情が、胸の奥から溢れ出てくるのを、抑えることができなかった。
歌い終えると、やがてアウトロがフェードアウトし、静かになった。どこからともなく拍手が沸きあがる。
中古CDの値段で粘っていた苦学生や、家の外をたまたま通りかかったセールスマン、ラブラブ、ブラブラしていた学生カップル、その他いろいろな人たち。魂を揺さぶる歌声に、感極まって、瞳を輝かせていた。
セールスマンは、今日は早く帰って妻を抱きしめようと思った。きちんと愛情を伝えなくちゃいけない。付き合い始めた頃のように!
カップルはお互いに肩を寄せ合い、ずっとこの人といたいと思った。
いつまでも、いつまでも拍手が鳴りやまなかった。
「君の瞳に恋してる」――。
まだ恋もまともに体験したことのないライトは、写真の女性に夢中になってしまった。運命のような、説明のつかない、深いものに心をつかまれたのだった。
いきなり、ロックンロールとは言いがたいラインナップでお送りいたしました。次回をお楽しみに☆