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思い出  作者: 大隈健太郎
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 翌日の昼過ぎに、途中でロシア兵によって、貨物列車は止められてしまった。見張られていたのだ。

 一人残らず貨車を降ろされる。そして夕方になろうとする頃、全員で三十八度線まで徒歩で歩くことになった。

 一山越えなければならなかった。何十キロあるのかわからなかったが、イヨたちは夕暮れ時から更に南へと歩き始める。

 そして夜になると山の中で、イヨを含む日本人の一行は雑木林の中で眠り、疲れを取った。。

 夜が明けると、また歩き始める。イヨたちは重い荷物を抱えながら、頑張って歩いた。そして休憩を挟みつつ、何十キロも歩いていた。今度は夜になると竹林に囲まれた広場で就寝した。

 イヨももう限界まで歩いていた。

きつい・・・もう二晩は歩いている。いつになったら国境までたどり着くのだろう?しかし、日本へ戻れると信じてイヨは頑張った。


 次の日の昼、とうとう三十八度線の川にたどり着いた。朝鮮の人たちが川岸に舟を並べて待っていた。

「日本人のみなさん、わたしたちがあんたたちを舟に乗せて三十八度線を越えさせます。十人ずつに分かれて舟に乗ってください。」

 流暢な日本語で指示する朝鮮の人。そしてイヨたちを川流の先へと連れて行ってくれた。途中、ロシア兵に見つからないか心配だった皆であったが、それは杞憂だった。朝鮮の人は安全にイヨたちを逃がしてくれた。


 岸に着くと、そこはもう三十八度線を越えていた。

岸に上がると同時に、その場にいる日本人みんなが突然の安堵感で大泣きし始めた。イヨも谷崎さんと抱き合い、泣き始める。もう安心だ、と思い、張りつめていた気持ちが一気に解放されたようだった。

三十八度線を越えた者たちは、皆同じ気持ちになるという。自分たちの旅の終点がそこで一区切りできるからだ。そして安堵感。今、イヨたちはその真っ只中にいると言える。


 すぐ近くに、アメリカ軍のトラックが数台待っていた。おそらく日本人の引き揚げを予想して用意していたのだろう。保護された日本人たちはアメリカ軍の軍用トラックに乗って、日本人収容所へと連れていかれた。

 

 アメリカ人によって、イヨたちは旅の汚れを落とすために、DDTという消毒殺菌剤を一人ずつ浴びさせられると、次に身体検査で健康状態を調べられた。

 一晩そこで過ごすと、イヨたちはすぐに南下することになった。

 

 ソウル、釜山と南下したイヨたちは、釜山港で大型船に乗せられ、博多港へと海を渡る。

「イヨちゃん、ようやくわたしたち日本へ帰れるね。」

「ええ、長かったですね。」

 甲板の上で語り合うイヨたち。海の向こうを見つめながら。

夜、船内ではどんちゃん騒ぎが待っていた。喜びのあまり、踊りだす男たち。

 イヨたちはそれを座って見ていた。

と、突然数人がイヨたちのところへやって来て言った。

「あんたたちも前に出て何か歌えよ。缶詰めやるぞ。」

 イヨと谷崎さんは一緒に歌った。盛り上がりながら船は日本に向けてずっと航海していた。

 

翌日の早朝、イヨは船の甲板へと上がった。青空の下、海鳥たちがたくさん飛ぶ中、陸が微かに見えてきた。あれは、日本だ。とうとう着いたのだ。我が故郷へ!

 イヨはその陸地を見ながら、万感の思いにふけった。

     


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