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思い出  作者: 大隈健太郎
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物語を始めるにあたって、

麻生イミ、計佐治に愛を込めて。




思い出

            大隈 健太郎


           

     1

 

 昭和十八年 春

熊本・小国 麻生家の広間

 

 その日は快晴で雲一つない不思議な空気の日であった。結婚式に集まる人たちは静かに、そして厳かに並んで和室に座っていた。花嫁が和装の装いを整えて、部屋に現れても、その空気はほとんど変わらなかった。

 二十畳もあるその畳部屋には、質素な料理が並んでいた。花嫁は部屋の真ん中を歩き、その先には小さな写真立てが置いてあり、その中には日本海軍の制服を着た真面目そうな男の写真が入っていた。しかもその写真の男は厳格ではあるが、ものすごく固い表情を見せていて、写真写りも良く、凛々しい姿をしていた。花嫁は図らずも、この男と結婚することになっていた。帝国海軍兵卒の男と。しかし、花婿は今ここには不在で、その花婿であるはずの写真と新郎の代理人、そして親族や仲人たちだけの素朴な結婚式を挙げるだけだった。

 花嫁の名は上城イヨ、十八歳。凛としてて華のある、そして幼さも残る純朴な女性だった。写真の相手は麻生計佐治、現在二十七歳。上城家の長女、イヨはこの日、この麻生家の次男とのもとに嫁ぐ事になる。

 計佐治は、軍の仕事で朝鮮半島に赴任中で、その仕事が忙しく、式には出られなかった為、急遽、写真だけでの結婚式をとり行うこととなったのだ。

 イヨにしてみれば、結婚式当日が、結婚相手の写真だけという、なんとも奇妙滑稽な式に戸惑いつつも、きちんと形式に則って三々九度を行なったことで、一応の結婚式をそれで終わらせたのだった。イヨにしてみれば、この縁談の話は最初で最後のもので、しかも突然のことだった。

 

 彼女は数週間前までは、山口県にある軍の兵器工場で挺身隊として働く一人の少女だった。昼は工場のベルトコンベアーで運ばれる部品のチェック係。夜は宿舎で消灯時間まで女友達と尽きることのないほどのおしゃべりをして過ごした。

 そんなある日、突然、故郷の熊本の小国から両親が訪ねてきて、縁談の話を持ってきた。本人の知らないところで決まっていた結婚の話。顔も知らない相手で十も歳の違う人との縁談を聞かされて、イヨは最初、「そんなのイヤ!」と両親に告げた。しかし、父親に、こう言われた。

 「お前は上城家の長女なんだ。どうか家を出て、上城家の皆を安心させてほしい。分かるな、イヨ?」

 「でも…」

 「頼むイヨ。結婚しなさい」

 それから、そのあとすぐに小国へ連れ戻されたイヨは、仕方なく縁談を承諾した。そして今、その結婚の儀をとり行っているのであった。

 そしてイヨは、この結婚を機に、激動の戦時下を体験することになることとなるのは、この時は知る由もなかった。

 

 

 夫となる計佐治という男は、現在日本の併合下にある朝鮮半島の北に位置する洛山区ラクサンクにいる。梅雨が明ける六月の下旬に、彼女は海を渡り、北へ向かわなくてはならなかった。

 何の因果でこんな形で嫁に行かなければならないのか・・・。しかし、七人きょうだいの長女であるイヨは、いずれは家を出なければならない運命であった。それにしても、こんな突然に結婚し、家を出て朝鮮半島にいる顔を写真でしか知らない相手のところまで行かなくてはならないとはイヨ自身、夢にも思わなかったのだ。

 

 イヨは彼女の父と新郎の兄、そして新郎の母と共に、博多から船に乗って釜山プサン港へ着き、そこから鉄道で清津セイシンを越えて朝鮮半島の北方の田園地帯、洛山区までの長い旅を終え、とうとう結婚相手の男、その洛山区の駅で麻生計佐治と初めて会った。背が高く、無表情で軍服の似合う真面目そうな人であった。写真通りの人と言ってもいいだろう。しかし、その男も、妻をめとって良いのか困惑している様子であった。彼にも事情があるのだろう。お互いに親が決めた縁談で出会ったのだから。

 

 その日の夜は、ぎこちない宴会を計佐治の家で取り行った。

 「ははははっ、めでたいめでたい!」

 特に宴は盛り上がることもなく終わりを告げた。

 

 翌日、父たちはイヨを計佐治に預け、朝一番の船で帰路につく事になった。

 イヨの父たちの見送りの際、手を振る計佐治の兄と母。しかし、イヨの父だけは、うつむいて顔を上げることが出来なかった。やはり、嫁に行った娘に別れを表すことが出来なかったのだろう。ひょっとしたら、うつむきながら涙をこぼしているのかもしれなかった。ずっと顔を下に向けながら去っていく。イヨもそれを感じ取ったのか、別れに涙が止まらなかった。そして大きく手を振った。

 

 桟橋で計佐治と一緒に見送りを終えたイヨは、彼と一部屋だけ借りている家へと戻っていった。

 


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