7話
そして大広間には僕等2人だけが残されたわけだが。五月は先程から何事かぶつぶつと呟いている。玉坂さん達への呪いの言葉だろうか。
そんなことを考えていると五月がおもむろに言った。
「ねえ朝人、朝人はどう思う。私の仮説」
「え!?」参ったな。どう言ったものだろうか。
「正直に言っていいわ」
「正直なところ、僕も荒唐無稽な話に感じた。でも確かに超自然的な力でもないと説明できないような現象も確かに起きている、とは感じる」
さてどう言ったものだろうか。
「正直に言っていいわ」
「なら。正直なところ僕も五月の仮説は荒唐無稽に感じる。でも超自然的な力の存在でもなしには説明がつかないようなことが起きているのも間違いないとは思う」
「――そうかもね。確かに私の説は根拠薄弱だし荒唐無稽すぎるわ。
でもやっぱり趙さんが殺害された直後からこんな風に不思議な出来事――超自然的な力によるものか何らかのトリックによるものかは別として――が起こり始めるってのは偶然ではないのじゃないかしら。
そう名探偵としての私の勘が言っているわ」
勘かよ。まあ名探偵の勘とやらが女の勘とやらよりは信用できることを祈ろう。もっとも女の勘とはなかなか侮ったものではないが。
そういえば十戒のなかには名探偵は偶然や直観によって事件を解決してはならないなんてのもあったな。
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僕たちはその日を何をするでもなく過ごしていた。脱出する方法を必死になって探さなければいけないのだろうが、立て続けに起こる殺人事件のせいで最早皆その気力はなかった。
お互いに対する不信感から共同作業をする気になれないというところもある。
幸いこの屋敷は非常食には事欠かない一か月ぐらいであれば今残っている7人ぐらいは不足なく生活することができるだろう。
僕はとりあえず図書館を訪れた。ここには貴重な推理小説も多くある。例年ここで本を借りて読むのはこの島を訪れる楽しみの1つであった。
図書室の扉を開けると、その机の上に熱心に本を読みふけっている人物が1人いた。我々十戒のメンバーであり古本屋業を本業としている登場有夫さんであった。
「登場さん」と僕は声をかけるが、彼は無反応。集中すると周りの物音が聞こえなくなるのは彼の特徴だった。
そんなに面白い本を読んでいるのなら集中してもらっておいてもいいのだが、この状況下で気付いたら他人がすぐ近くにいるというのも心臓に悪いかもしれない。
僕は彼の肩をぽんと叩いた。その直後彼はぎゃふんという叫び声をあげて真後ろに倒れてしまった。
僕は大丈夫ですか、と声をかけて彼が起きるのに手を貸す。驚かさないようにと思って結局驚かせてしまった。
イテテとぼやきながら椅子に座りなおした登場さん。
「すいません。いきなりお声がけしてしまって」
「本当だよ。腰が抜けるかと思った」
そう言って登場さんはこちらを冷ややかな目で見た。
登場さんは気の大きいほうではない。それは平素もそうだが、この数日間で皆よくわかっただろう。もっとも僕もあまり豪胆な性格ではないので、そのことで共感こそすれ蔑むようなことはないが。
そんな登場さんの性格を考慮してびっくりさせないようにと思ったのだが、申し訳ないことをした。
「何をしてらっしゃったんですか?」
「別に。やることもないからね。この部屋で小説を読んでいただけだよ。瓶子君は?」
「まあ僕も同じようなものです。といっても推理小説は流石に読む気にはなれませんがね」
「ああ、それは同感」
しばし2人の間に沈黙が流れた。普段であれば僕と登場さんは会えばそこそこ会話を繰り広げる仲だが、こんな状況では何を話していいのかわからなかった。
「――実は先程の明智さんの説。私は比較的興味深く聞いていました」
「え? そうなんですか」
そういえば登場は僕と同じく五月の説に対して否定的な発言はしなかった。肯定的な発言もしていなかったが。それは僕も同じだけども。
「ときどきそういう感覚に襲われるんですよ。自分の生きているこの世界がまるで何かの小説の一部のようだって」
「へえ、興味深い話ですね」
登場さんは自らの過去を追想するようにその双眸を閉じた。
「はじめてそういう感覚を覚えたのは9歳のころでした。たとえばある小説の舞台となっている世界には作者が描いていないだけで私たちの世界と同じ情報量があるのではないかと思ったのがことの始まりでした」
「なるほど。でも仮にそれだけの情報量があるとして、それが一作者の頭のなかに全て入っているというのは考えにくいような気がしますが」
「そうですね。でもそもそも僕ら個人の頭の中世界すべてと言えるような情報量が入っているとは言えないんじゃないか? 例えばこの小説の主要な人物が僕等11人だとすれば。僕等が行きそうな場所とそこで会う人々を設定すればいいはずだ」
「確かにそうかもしれませんが、それだって並大抵のこととは思えませんよ。例えば趙さんは中国の出身だ。それがなくったって皆国外の知り合いの1人や2人いるでしょう。
人のつながりというのは数珠つなぎにすればどこまでも広がる。六次の隔たりという――知り合いの知り合い……という風に知り合いを辿って行けば6人目で世界中の誰とでも間接的につながることができるという考え方もあります」
「へえそんな仮説があるんですか」
「ええ。仮に間接的な知り合いの数がネズミ算的に増えていくとして1人の人に44人程度の知り合いがいれば、44の6乗で地球の人口である70億人に達するそうです。
もっとも実際には重複する場合もあるでしょうからことはそう単純ではないでしょうが」
「なるほど。でもこういうことかもしれません。
例えばAやBという小説の世界であるCという舞台があるとします。Cという世界について小説2作品で描ける情報量なんてたかが知れています。ここで小説で描かれなかった情報を不確定要素とします。
そうした不確定要素はそれが小説で描かれたり、作者が設定したりするまでの間、暫定的な状態で世界を構成するのではないでしょうか。
であれば小説のなかの世界が本物の世界と同じように運行されたとしても不思議ではありません。もっとも私たちが小説の世界の登場人物であるとすれば本物の世界を論じること自体滑稽ではありますが」
僕は驚いていた。どちらかと言えばリアリストだと思っていた登場さんがこんなにも空想的な思考を持っていたということにだ。
「そうした考えを普段持っている僕からしてみれば明智さんの話はそういうこともあるのかもしれないなという風に聞えたんです」
「でも仮にこの世界が小説の世界だとしても推理小説を検閲するのは小説を読む世界の人たちですよね。この世界のなかで僕たちをいくら殺したところで小説のなかのルールが変わるわけじゃないのではないですか」
「そうですね。そこのところには論理矛盾があります。……たとえば犯人は私たち《ノックスの十戒》や私たちが基づいているノックスの十戒に不満を抱いている人間だとします。
それは個人的な恨みかもしれませんし、文学的な志向なのかもしれません。いずれにせよ私たちが殺されることは犯人にとってノックスの十戒が失われることのメタファーなのかもしれません。
これも一種の見立て殺人ですね」
だとすれば、その動機はあまりにも文学的過ぎる。