6話
僕たちは急いでほかの皆を起こした。いつものように円卓上の机に座る。最初の夜は11人でここで飲み明かしたというのに、今はもう7人にまで減ってしまった。
「それで裏口も玄関口と同じように開けることができなかったんですか」
ナイトキャップをかぶったままの土塁さんが言った。
「先ほど試しましたが」と玉坂さん「やはり玄関口と同じように開けることはできませんでした」
「しかし」と雲然さんは見上げながら言った。「参りましたね。あれでは遺体を調べることも弔うことも」
「そ、そもそも犯人はどうやって抜道さんをあそこまで運んだんでしょうか」と登場さん。
「トランポリンであそこまで飛んでひっかけてきたとか」と雲然さん。
「我々の中でも」と玉坂さん「最も体格のいい抜道さんを担いであそこまで飛んでさらにはシャンデリアにひっかけるのか? 絶対に無理かどうかはわからないが苦しいな。
それに我々が寝泊まりする各部屋からトイレやキッチンに行くには必ずこの大広間を通る必要がある。そんな大掛かりなトリックを誰もが通る可能性のある大広間で行う意味がわからない」
「そういえば僕は昨夜、深夜といっていい時間帯でしたけど、大広間を通っています。グラスを取りに行くためでした」と僕。
「そのときは抜道さんの遺体はシャンデリアの上には?」
「――すいません。はっきりと、確実になかったとは言えません」
「無理もないですよ」と登場さん。「私たちだって最初玄関に向かうとき大広間を通ったときには気づきませんでしたから。私なんて玉坂さんが指摘しなかったら今でも気づいていたかどうか」
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「とりあえず」と玉坂さん。「弔いも犯人の究明も大事なことだが、何より大事なのは自衛のためにここを脱出することじゃないか」
「そうね。玉坂さんに私も賛成だわ」と五月。「そのうえで少し試したいことがあるわ」
そう言って五月は自分の座っていた椅子を担ぐと、近くの窓までつかつかと音を立てて歩み寄る。
何をするつもりなのかと見ていたら、突如その椅子を窓に向かって思い切り振り下ろした。
僕たちは窓ガラスが割れると思って、備えた。しかし結果として窓ガラスは割れず五月が振り下ろした椅子は鈍い音とともに弾かれる。
「一体何がどういうことなんですか」と登場さん。
「わかったことは二つあります」と五月。「この窓ガラスはちょっとやそっとじゃ破壊できないということです。これは前からそうでしたか? 私はまだこの別荘二回目なので」
「いや」と僕。「ちょうど二年前のことだけど、庭で誰かがボール遊びをしていて、窓ガラスに当ててしまったとき、物の見事に割れたのを覚えているよ」
「さらに」と言って五月は閂に手をかける。それをスライドさせようとして力を入れているのがわかった。しかし閂は何かに固定されているかのようにびくともしない。
その後僕たちは手分けして建物中のガラス窓というガラス窓の閂を動かそうとしてみたり、椅子を振り下ろしたりしてみた。しかし1つとして閂を動かすとも、ガラスを割ることはできなかった。
「これはどういう風に解釈したらいいんでしょうか」とリカルドさんは肩で息をしながら言う。別荘中の窓ガラスに椅子を振り下ろすのはなかなか大変な作業であった。
「カーマイクルさんが突如として別荘中のガラスを防弾ガラスに変えたとか?」と雲然さんは笑いながら言う。自分でも半ば冗談のつもりで言ったのだろう。
「絶対ではないですが」と土塁さん「考えにくい仮説ですな。それに閂が動かないことの説明にはなりません」
誰かが確かにと言った。
「確かに言えることは」と五月。「玄関も裏口も何故か開かない。おまけに窓を開けることも叩き割ることもできない。私たちはこの別荘に閉じ込められたということです」
「まるで推理小説みたいだと思ってたが」と玉坂さんが自嘲するように笑いながら言った。「ひょっとしてこいつは幻想小説なのか?」
「皆さんにお聞きしたいのですが、ロナルド・ノックスが十戒において中国人を登場させてはいけないと言っている理由についてどのように考えていますか」と五月は尋ねた。
「何故今そんなことを問うのかわからないが」と玉坂さん。「当然人種差別的な意味から中国人を推理小説から排除しようとしたわけではないだろう。
時代背景から考えればノックス自身がそのような思想を持っていた可能性はあるが、だとすれば時代遅れな考え方としか言えず、継承するにしても読み替えていく必要があるだろうな」
それを受けて語り出したのは土塁さんだった。
「当時の中国人は東洋の神秘ではありませんが怪しげな呪術や奇術を用いるという印象が強かったのでしょう。実際当時の小説にはその手の中国人がよく登場しています。
ちゃんと作中内で種明かしのされる奇術であればまだしも呪術やなんでもありの奇術を容認したのであればトリックも何もなくなってしまいます。ですからノックスはこのような形でそれを戒めたのでしょう。
あるいは当時文学の世界にまで流行いていた黄禍論――黄色人種を脅威とする考え方――そのものを戒めようとしていたという見方もありますな
いずれにせよ我々《ノックスの十戒》の見解、ひいては担当である趙さんの見解はそのようなものだったはずです。
ですから趙さんの検閲は中国人であるかどうかより、なんでもありの奇術や超能力、呪術のようなものが実在するものとして推理小説に登場しないかそのようなものだったはずです」
「その通りです」と五月。「《ノックスの十戒》においてノックスの十戒5番目の解釈はそのようなものでした。そしてその担当者は趙さん」
「まさか明智さん……」と登場さんが呟いた。
「はい」と五月。「趙さんが殺害された昨日の夜からこっちにかけていくつか異常なことが起こっています。まず抜道さんの遺体が異常な場所に出現したこと、玄関と裏口の扉が開かないこと、窓ガラスの閂が動かないこと、窓ガラスが割れないこと」
「それでは」とリカルドさん。「まるで趙さんが亡くなったから世界のほうまでなんでもありの世界になってしまったかのように聞こえますよ」
「まだ私自身事件の全貌を掴み切れていませんが、それに近いことが起こっているのではないかと思います」
「馬鹿馬鹿しい」
そう言ったのは玉坂さんだった。
「超能力や呪術が存在しないなんてのは推理小説以前の問題だ。そんなものはこの世に存在しない」
「私も今回ばかりは玉坂に賛成だな」と雲然さん。
「科学でなんでも説明できるとは思いませんが」とリカルドさん。「そうした超自然的な現象が世の中に溢れているとも私は考えられません。
それに趙さんが亡くなったせいで、世界からもそのような制約がなくなってしまうというのはやはり私には理解できません」
「もう少し冷静に考えたほうがいいですな」と土塁さん。
その後、なんとなくこれ以上議論しても仕方がないという空気になり、大広間には僕と五月だけが残されてしまった。