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32話 精霊王の森

「誰かっ! お医者さまをっ! 誰かっ!」


 高貴な女性の部屋に侍女のさけびが響く。

 この侍女の名前はタリアと言う。


「マリアンデールさまが! マリアンデールさまがっ!! お医者さまを……誰か!!」


 タリアの叫びの理由、それは彼女の仕えるマリアンデールが倒れたためだ。

 助けを求めるタリアの叫びは廊下ろうかに移った。


 ……マリアンデール。

 この名はバッセル伯爵領にとって……否、マカスキル王国にとって特別なものだ。


 精霊王と淑女マリアンデールの物語のモデルであり、精霊王の寵愛ちょうあいを受けた貴婦人。

 バッセル伯爵領初代ジョシュア1世の母であり、当主のジョシュア2世の曾祖母そうそぼでもある。

 当年で89才となった。異例の長寿だ。


 バッセル伯爵家にとって、彼女の存在は特別な意味がある。


 30年ほど前の飢饉ききんの時は精霊王の森から「ボルトの子ら」と名乗るコボルト達が彼女宛に凄まじい量の食料を運び入れ、伯爵領からは餓死者を出さなかった。


 また、ジョシュア1世とその息子のブルーノ1世が相次いで急死し、伯爵領の混乱に乗じた隣国に侵略されたことがある。

 その敵の軍勢を、謎の黒髪の偉丈夫いじょうぶとスケルトン達が蹴散らした。

 この偉丈夫とスケルトン達は精霊王とその手勢と伝わっている。


 ……そう、彼女の存在は精霊王の加護の象徴なのだ。

 彼女の祈りは精霊王に届き、民を救うと広く信じられている。


 ……スッと、マリアンデールの目が開いた。

 その目は老いのためかなかば白くにごっている。


 タリアはまだ戻ってこない。

 大袈裟なことだとマリアンデールは思う。

 もう90才に近いのだ。気を失うことぐらいあるだろうに……と思い、タリアの粗忽そこつを心配した。



 やがて医者が大急ぎで駆け付け、彼女の脈を計りベッドに休ませる。

 ああ、起きてる自由すら無いのかとマリアンデールは嘆息たんそくした。


「マリアンデールさま? 何か?」


 タリアが心配そうに声をかける……気の優しい娘なのだ。良き夫を探してやりたいとマリアンデールは常々思っている。


 ……いえ、なんでも無いのよ……と言いかけ、ふと思い出した。


「……ペンダントを……」


 マリアンデールの口からしわがれた、力の無い声が漏れた。


「はい、お持ちします!」


 タリアが大急ぎでペンダントを届けてくれた。

 小振りの魔石があしらわれたシンプルなペンダントだ。

 若い頃の大切な思い出の込められたペンダントを固く抱いて、マリアンデールは眠った。




………………




 ずいぶんと長いこと眠っていたらしい。


 マリアンデールのベッドの周りには大勢の人が集まっている。


「皆様っ。マリアンデールさまが気がつかれました!」


 タリアの声が聞こえる。心配かけたようだ。

 「「おおっ」」と、どよめきが聞こえる。



……


……



 ……笛の音が、聞こえた。



 バルコニーで、いつの間にか横笛の音色が聞こえる。

 素晴らしい腕前だ。


「「まさか」」


 その場の誰もが、ある種の予感を得た。


 いつの間にか……そう、いつの間にかとしか言い様の無いほど忽然こつぜんと、

 バルコニーでは美しい男が横笛を演奏していた。


 黒髪の美丈夫だ。


 場違いなほど楽し気な曲を終えた後、静かに男は部屋に入り、マリアンデールのベッドに向かう。


 ……誰もが、しわぶきすら忘れ、男の振る舞いを見守った。


「あ……ああ……!」


 マリアンデールの目が大きく開かれた。


 彼女は衰病の身を起こし、ベッドから立ち上がる。


 医師が「まさか」と驚きの声を上げた。立ち上がれる状態では無かった筈なのに。


 数歩ほど歩き、マリアンデールは倒れ込む様に男の胸に飛び込んだ。


 老婆と、美しき黒髪の男が抱き合った。

 その時、マリアンデールは67年の時を戻り……マリーとなった。


「愛しています。今でも……ずっと……」


 マリーは男に愛をささやく。


「俺もだ。共にいられなくても、ずっと……ずっと愛している。

マリー……俺はお前を愛している……!」



 黒髪の美丈夫と白髪の老婆は、長い……長い口づけを交わした。


 それは奇妙な光景だったかもしれない。

 でも、タリアは「美しい」と感じた。



…………



 皆が我に返ると、そこには誰もいなかった。



 黒髪の美丈夫も、マリアンデールの姿も……誰も見つけることは出来なかった。



「精霊王さまがマリアンデールさまを迎えに来たのだ」タリアは確信した。



「精霊王が愛するマリアンデールを迎えにきた」


 この奇妙な「事実」が人々の口から口へとひろがるのに時間はかからなかった。


 バッセル伯爵領に淑女マリアンデールの墓は無い。

 何故ならば愛する精霊王のもとで幸せに暮らしているからだ。



 マカスキル王国の人々は今でも強く、信じている。








 むかし、むかし


 森の奥には精霊王という王様が住んでいました。


 精霊王は、その力の強さゆえに誰にも愛されず、とても孤独でした。


 とある国に、とても美しいマリアンデールという名前のお姫様がおりました。


 ある日、マリアンデールは森に迷い込み、困り果ててしまいました。

 その様子を見た精霊王は、困っているマリアンデールを助けてあげることにしました。


 美しい精霊王とマリアンデールは一目で恋に落ち、二人は結婚することになりました。

 二人は子供も授かりとても幸せに暮らしました。


 しかし、精霊王の強い力は度々マリアンデールを傷つけてしまい、それを悲しむ精霊王はとうとう母子を人間の国に帰すことにしました。

 愛し合う精霊王とマリアンデールは、長い長いお別れをしました。


 時が経ち、精霊王とマリアンデールの子供は立派な王様になりました。

 マリアンデールもお婆さんになりました。

 マリアンデールが病にかかり、その命を終えるとき、精霊王はマリアンデールを迎えに現れ、森に連れて帰りました。


 精霊王とマリアンデールは今でも森で仲良く暮らしています。

 これは精霊王の森に住む、コボルトから聞いた「本当のお話」。



 めでたしめでたし。


拙作にお付き合いいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] ガストン卿出世譚から過去作を読んでみようと訪れました 最後に泣かされました とても面白かったです
[一言] 「スコ速@ネット小説まとめ」の 「人外転生系のおすすめ作品 その7」スレで 紹介されていたので読ませていただきました。 。。。いやもう夢中というか、1話から32話 まで一気に。 月曜朝が辛く…
[良い点] ラストに涙した! 他の作品も読ませていただいているが 感情が1番動いた作品である
2020/05/06 19:07 退会済み
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