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地雷  作者: 秋山貴志
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#06 孤独色の世界

 雨は止む気配がない。

 蒼汰は空を見上げる。

 灰色をした空は、どこにこれだけの水を蓄えているのか不思議なくらいに、ずっと降り続く。

 彼は、八代と会ったときに座っていたベンチにいた。

 同じ位置に座り、同じように体育座りをしていた。

 まだ、ベンチの反対側に八代の姿はない。

 公園の遊具の中には、雨宿りできるものもあるのだが、彼は八代がわかりやすいようにとそこに座り続けていた。

 少し寒い。

 朝、食べた物はとうに胃を通過していた。

 雨合羽を叩く雨の音は、何も映らない自宅のテレビのように思えた。何も伝えない、何も聞こえない、そんな虚無の光景。

 雨ですべての色が流れ落ちるかのように、色褪せて見える世界。

 蒼汰はもう一度、手を見た。

 公園の水道で洗い流したが、まだ赤い気がした。

 八代の病気が悪化したのではないかと考える。

 彼は社会人なら誰でも一度は経験するというようなことを言っていたが、それが本当なのかどうかは蒼汰にはわからなかった。自分の父親も、たまに血を吐いていたときがあったからだ。

 それでも父親は病院に行くこともなく、死ぬこともなかった。

 どこかで今の生活の終わりを待っていたのだが、父親は死ぬことはなかった。

 彩奈を埋めたときのことを思い出す。

 顔に土をかけるのが可哀想に思えて、顔の上にハンカチを被せた。シャベルで彩奈を埋めていた父親に殴られたが、蒼汰はそうして良かったと思った。

 死ぬって、どうなるんだろう?

 天国ってあるのかな?

 だとしたら、彩奈はぼくのことを空の上から見ているのだろうか。

 もう会うことはできないのか。

 沸々と湧き上がる彼女への気持ちに、鼻の奥が痛くなる。

 うずめていた鼻先に、生暖かさを感じた蒼汰は、自分が泣いていることに気づいた。

 鼻水を啜り、ぐしゃぐしゃになった目の前をじっと見る。

 視線の先には柊の壁で作られたアプローチ。そして一段低い花壇には真っ赤なサルビアが花を咲かせていた。

 そしてその先には公園の入り口がある

 八代が来れば、すぐにわかる。

 少し暗くなってきたが、入り口には外灯もある。

 歩いて近寄ってくる八代を想像する。

 昨夜、寝ている八代の側に身を寄せてみた。彼なら気づいても怒ったりはしないだろうと思い、そっと近寄り、肌に触れた。

 温かかった。

 そして温もりを感じたまま、すぐに眠りに落ちた。

 彼が来たとき、抱き着いてもいいだろうかと考えた。

 自分の中で今まで必死に抑え込んでいたものが、溢れでそうだった。溢れ返れば自分がなくなりそうで、ずっと抑え込んでいた。相殺されることなく、ただひたすら増え続けるものをどうすればわからなくなったとき、彼と出会った。

 もうあの父親のところへ帰らなくても良いだろうか。

 八代がいてくれれば、そうできるかもしれないという気がした。

 そう思うと、少し嬉しくなった。

 彼が何者なのかは知らない

 でも、彼と一緒にいたいと思った。

 雨は少し小降りになる。

 雲も切れて、月明りが見えてきた。

 人影。

 蒼汰はベンチから立ち上がる。

 八代が迎えに来てくれた。

 細身のシルエットは彼に違いない。

 そう思って駆け寄る。

 しかし、近づくにつれ、それが背広をきたサラリーマン風の男だということに気づいた。八代はそんな服装ではなかった。顔が見える距離になると、見たこともない人物に落胆し、歩みを止めた。

 項垂れ、ベンチに引き返そうとしたときだ。

「君、柏木蒼汰くん?」

 自分の名前を呼ばれ、その男を見た。

 顔は笑顔だが、やはり知らない男だ。

「誰……?」

 近寄ってくる男から、逃れるように蒼汰は後退りする。

「怖がらなくてもいいよ。おじさんはね、警察官なんだ」

 蒼汰は咄嗟に駆け出す。

 連れて行かれれば、またあの父親のところへ戻ることになるだろう。自分という小さな存在が、こんな大勢の大人たちに抗うことを無駄にも感じるが、それでも彼は走らずにはいられなかった。

 八代が来るまで。

 彼が迎えに来るまで誰にも捕まるわけにはいかない。

 ベンチのところまで戻ると、すぐ側にある滑り台の陰から別の男が出てくるのが見えた。踵を返すが反対側には制服に身を包んだ女性の警官がいた。

 逃げ場がない。

 どの方向へ向かっても、彼らから逃げるのは不可能に思えた。

 半ば自棄になって初めの男の方へ走り出そうとすると、後ろから手を引かれ、前に進むことができなくなった。女性の警官の方だ。

 強引に振りほどこうとするが、蒼汰の力ではそれは敵わなかった。

 女性警官は「お願いだから、大人しくして!」と、少し懇願を込めた口調で蒼汰に言った。その言葉に、彼は何故か母親のような雰囲気を錯覚し、暴れるのをやめた。

「大丈夫だから。落ち着いて。ね?」

 女性警官はまだ若かった。

 ずぶ濡れになっているにもかかわらず、女性警官は彼を抱きしめる。

「怖かったね。大丈夫だからね」

 いい匂いがする。

 記憶の薄い母親の匂いに似ている気がした。

「ぼく……待ってないと……約束したから」

「八代さんって人のこと?」

 蒼汰は頷く。

 本人から名前を聞いたわけではないが、今朝、彼のアパートに来た警察の男がそう言っていたのを思い出していた。

「あの人は……八代さんは、悪いことはしてないよ。ぼくを助けてくれたんだ」

「うん。そうなんだね」

「本当なんだ。ご飯もくれた」

「うん」

「信じてよ。あの人は……良い人なんだ」

「うん」

 女性警官は、諭すような返答しかしなかった。

 蒼汰は本当に信じてもらえているかが不安だった。子供の言う事だから、それほど本気に聞いてくれていないのではないかという不安があった。それとも、あんな父親の子供だから信じてもらえないのか、あるいはあんなゴミ屋敷に住む子供だからだろうか。

 だからなのか。

 ぼくは、あそこの子だから、それだけで悪い子だと思われるのか。

 信じてもらえないのだろうか。

 女性警官は近づいてきた男の警官に向けて視線を上げる。

 明らかにこれからどうするかの判断を仰いでいる。男の警官は中腰になると「ずぶ濡れだね。パトカーで送ってあげるからついておいで」と、大きな手で蒼汰の髪をくしゃくしゃと撫でる。

「……帰りたくない」

 男性警官の手から逃れるようにして蒼汰は顔を背ける。

「ああ、家に帰りたくないんだね。わかってる。大丈夫だよ。ちょっとお巡りさんたちも君に教えて欲しいことがあるんだ。だから警察署に行こうか。お腹も空いているだろう? 何か好きなもの用意するよ。といっても、出前なんだけどね」

「あの人が……来るのを待ってる……」

 蒼汰のその言葉に、女性警官は八代の事を説明した。

「ああ……なるほどね。彼は、君を助けてくれたんだね」

「うん」

 男性警官の言葉に、彼なら理解してくれるのではと蒼汰は顔を上げた。

 彼は柔和な表情で言った。

「この場所、その八代君が教えてくれたんだよ。君がいるからってね」

「え……」

 蒼汰は枯れたように小さく唸った。

「なんで……」

 視線を落とした先に、雨で散ったサルビアの花びらがあった。

 何故か、蒼汰は裏切られたような気がした。


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