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最終話

 それから更に五年が経った。毎日変わり映えのしない、空虚な年月だった。待てども待てども、もうマーガレットがやってくることはない。彼女が居ることが異常だったのだから、元通りに戻ったのだと言えばそうなのだが、しかしこの寂寥感は度し難い。


 ああ、マーガレット。君は今頃どうしているだろうか。王都の宮殿で幸せに暮らしているだろうか。考える間でもないか、そうに決まっているのだ。器量の良い娘なのは私が一番よく知っている。国王に愛され、家臣に慕われ、今も笑顔で愛を振りまいているだろう。


 ああ、マーガレット。君が私にくれたあの日々は私の生涯の宝物だ。だから私は祈る、君に幸多からんことを。彼女が居なくなってから、私は日夜そう祈って過ごして来た。それが、私に捧げられる君への愛だ。



 今日も彼女に思いを馳せながら、森の平穏を見守った。まだ日は高い、だが一人でやることなどもう無いから、眠ってしまおう。そう思った時だった。


 私の寝床に魔女がふらりと現れた。三角帽を被り黒衣を纏った、絵に描いたような魔女だ。うっすら微笑んでいるのが不吉だ。


「ねえねえ、無気力が吹き飛ぶようなおはなし、聞きたくなあい?」


 遠慮しておく。性悪な魔女の話など、どうせろくでもないことだ。私は心で唱えるついでに、しっしと手で追い払う。


 が、魔女は見えない椅子に座るかのように空中で浮かび、足を組む。帰る気などまったくないらしい。


「さっき王都に出してる使い魔から聞いたんだけどさあ。キミのご執心だった辺境伯のお姫さま……マーガレットちゃんだったっけ? あの子、もうすぐ死ぬらしいよ」


 ――……。


 私の頭は真っ白になった。そして、私はその場に崩れ落ちた。目を塞ぐように顔に手を添えて。


 わかっていさ、人間は弱く儚い、私よりずっと早く死ぬ。いつかこの日が来るとは、わかっていた。


 だが、いくらなんでも早すぎるだろう! マーガレットはまだ二十になったかならないか……まだ、幸多き日々を生きられたはずだ。病か、事故か、それにしても、何と言う天命を……! これが定めだと言うのなら、私は神をも恨む。ああ、マーガレット……!


 その荒れる心を見透かしておきながら、魔女は苦い顔をして首を振った。私は思わず彼女の胸倉を捕まえた。マーガレットへの思慕を汚されて黙っていられない。


 しかし魔女は、私の腕に手を添えて、言葉を続けた。


「ちゃんとひとの話は最後まで聞きましょうね、悪魔ちゃん。あの元気なお嬢ちゃんが病で倒れる? 怪我を悪化させて死ぬ? そんな風に思うのかい? 違うね。……殺されるのさ。毒殺だよ。ど、く、さ、つ」


 な……ぜ。全身の血が冷えた。なぜだ、なぜあのよき娘が……人に、殺されるわけなど……。


「男の子を産んでしまったのさ。王の囲う他の女より早くねえ。まあ、女たちにゃ恨まれますよ。王の正妻、第一王子の母……この国の女の頂点を、あの子にかっさらわれたわけだからねえ」


 すなわち、人間の嫉妬、貴族の世界ゆえの確執。それがマーガレットを殺すのだ。


 思えば、マーガレットは幼少のころからそれに苦しんでいた。だから私のところに逃げるようにやって来た。その呪縛が、まだ彼女を苛ますのか! そんなことが許されてたまるものか!


 私は、言葉にならない雄叫びを上げた。


「はあ……だからあの時言ったじゃないか、さらってしまえって。マーガレットちゃんは、心からそうして欲しかったのにね。あの子なりに薄々気づいてたんだよ、王都に行っても大変なだけだって。それなのに、キミは勝手に決めつけて、彼女を――痛ったぁい!」


 私は衝動的に魔女を殴りつけていた。


 この世の全てに腹が立つ。マーガレットを陥れた者にも、人間の狂った欲望渦巻く世界にも、不幸な未来を知りながら言わなかったこの魔女にも、そして、あの時、彼女の心からの叫びに気づいてやれなかった、この私自身にも……! 迎えに来てくれたのだと、あんなに喜んでいたのに……! 私は、彼女の手を……!


 私は高ぶった感情のまま、黒い翼を目一杯広げた。太陽の光の下ではさぞ異質なものだろう。青空に飛べば、目立ちもする。……それでも。


 地面に転がってえづいていた魔女が、顔をしかめて忠告してきた。


「馬鹿かキミは。王都の警備なんて、辺境伯んちのウン十倍だぞ!? 今度はちょっと血が出たじゃ済まないさ。悪魔だなんて見かけ倒し、ちょっと頑丈で空が飛べるくらいのキミじゃ、袋叩きにされて死ぬだけだぞ!」


 知ったことか。姫君をさらうのは、化け物の役目だと、他ならぬおまえが言ったのだ。


 そして、囚われの姫を救うのは、彼女を愛した者のさだめだ。その先に死が待ち受けていたとしても。


 私は一息に飛び立った。照り付ける陽は身を焦がすように暑い、空は雲一つない快晴だ。だが……そんなものに構ってはいられない。一直線に目指すは王都。


 忘れないと約束した。だから、マーガレットは私のことを今も待っている。一刻も早く行かねばならないのだ。




 王都に辿り着いたのは宵の口だった。魔女が言っていた通り、巨大さは辺境伯の城とは段違いだ。そして、衛兵の数も。だから私の姿はすぐに見つかった。


「あっ……ああ……悪魔が居るぞおおおっ!」


 恐怖した絶叫と共に、私に対する攻撃が始まった。苛烈なものだ。避けきれぬ矢玉が私に突き刺さる。投石が私の身骨を打ち据える。銀色の血が私の体から流れ出す。


 それでも、私は止まらなかった。迷いはない。バルコニーの扉を蹴破り、城に押し入って、逃げまどう人を威嚇し退けながら、マーガレットを探し突き進んだ。この横暴さ、紛れもない悪魔そのものだ。それに気づいたとき、状況も忘れて自嘲した。



 ――マーガレット……マーガレット! 私は必死で呼んでいた。だが、言葉を持たない私の声では、ただの咆哮にしかならない。人間を恐れさせることはできても、私の知りたいことを知ることはできないのだ。


 だが心底思う。私が人外のもので良かった。こうして背に無数の矢を浴び、角をへし折られ、腕を切られようと、まだ前に進む力は尽きようとしないから。


 またも私の目の前に剣を構えた近衛が立ちふさがる。王の身がどうのと言っているが、そんなもの関係ない。だから、退け! 


 剣撃を浴びながらも彼らを薙ぎ払い、私はマーガレットを探し、扉と言う扉を開けて回った。



 どれだけ城内をさまよったか。攻勢を退けながら血を流し続けた私は、半ば気力のみで立っているような状態だった。


 死。魔女に言われたその言葉が現実みを帯びてきた。だが、立ち止まるわけにはいかない。


 追手をまいて迷い込んだ廊下のつき当りにも部屋があった。……マーガレット、君はどこに居るのだ。こんどこそ、と縋るように願いながら、私はその扉を開いた。


 あかりの付いていない部屋だった。外のかがり火がわずかにカーテンの隙間から差し込んで、室内をうっすら照らしている。私の目には十分だ。


 高貴な女性の部屋を思わせる内装だ。ドレッサー、クローゼット、壁には絵画が飾られ、片隅に天蓋付きのベッドがある。そしてその脇に人間が倒れている。……倒れている?


 私は目を凝らしながら、しかし確信めいたものを抱き歩み出ていた。白い薄衣を纏った、がりがりに痩せた、柔らかい金色の髪の、若い女。……マーガレット、なのか、本当に。


 彼女の傍らに片膝をついた。あの健康的な笑顔はどこへ行ったのか、変わり果てた姿だ。しかし、彼女は紛れもなく、私の愛しいマーガレットだ。間違えようものか!


 顔を見て、ぞっとした。まだ、生きている。しかし、しかし……この夜は、越えられまい。力なく開かれた目は、虚ろに闇を映すのみ。こけた頬には死相がありありと浮かんでいた。


 そんな彼女の乾いた唇がかすかに動いた。消え入りそうな声で、同じ言葉を紡いでいる。私は、耳を寄せた。


「悪魔、さん……どこ……どこ……」


 ああ……! 私はやるせない音を漏らした。


 理解した。彼女が床に伏せていたのは、私の到来を聞きつけて、死力を尽くしてベッドから這い出したせいだろう。マーガレットは、最後の命の炎を、私のために燃やし……待っていて、くれたのだ! 


 私はたまらず彼女を抱き寄せた。驚くほど体温が低い、そして幼少のころのように軽い。涙があふれて来た。


 マーガレットは、私の存在に気づいてくれた。虚ろだった目に、わずかばかりの生気が戻る。そして、うっすらと微笑んだ。


「むかえに、きてくれた……?」


 私は頷いた。何度も何度も首を縦に振った。迎えに来たのだ、ずいぶん、遅くなってしまったけど。


 マーガレットはぼろぼろと涙を流し、


「うれしい」


 と。そして。


「見て……」


 彼女は右手を持ち上げた。取ってみれば、薬指に、私が渡した蔓の指輪がはまっていた。ずっとつけて居たのだろう、輝石は取れて無くなっていた。


「左手に、かえて、ほしい……な……」


 私の胸に崩れながら、彼女はそう言った。だから私はマーガレットの手を取り、指輪を外すと、そのまま左手の薬指にはめた。この場所の指輪は、結婚の証だ。国王から贈られた豪奢な宝石の指輪が既にあったが、構わずその上に。厳つい外見の私の指輪の方が、不思議とよく目立った。


 マーガレットは自分の手を見て、満足気にほほえんだ。


「ありがと」


 そのまま、すうっと目を伏せる。……駄目だ、まだ逝くんじゃない! こんなとこで、君を死なせられるか!


 私は、マーガレットの体を横抱きにして立ち上がった。最後に会ったときより小さくなった気がする、そして軽い。それなのに、私の身はずいぶん重かった。足元を見れば、銀色の血だまりができていて、悟った。


 もう助かりはしない、彼女も、私も。


 それでも、帰ろう、マーガレット。私の、私たちの、辺境の森へ……!


 私は、部屋の窓を破り、傷だらけの翼を広げて、空へと飛び出した。



 

 満身創痍だ。血は、とめどなく溢れ、銀の雨のように、大地へふる。穴の開いた翼では、思うように飛べやしない。高度も下がり、蛇行をする。


 だが、マーガレットは、まだ息がある。意識があるのか、無いのかはわからない。時折私のことを呼ぶだけだ。それが私の支えになっている。遠くへ行きかける意識を、この場に繋ぎとめているのだ。


「悪魔、さん……」


 私は応えとして、マーガレットを抱く手に力を込めた。私はここに居る、もう離れない。どこまでも、君と共に――。


 

 余計なことは考えず飛び続け、どうにか森にたどりついた。マーガレット、見えるか、帰って来たのだぞ。もう下には木々が広がっているぞ――。


 そう気を緩めた瞬間、私の翼の力が抜けた。どうあがいても動かせない。私はマーガレットを抱きしめ、歯を食いしばりながら、夜の森の天井を突き破った。



 落ちた場所は繁みだった。小枝が傷口をつつき痛みが走る。皮肉なことに、それが私の意識を明瞭にさせた。


 マーガレットはしっかりと私の腕の中に居た。変わっていない……いや、うっすらと目を開いていた。


 予感がした。これが、最期だ。私はマーガレットの手を握った。……いやに冷たい。


 彼女の顔を私の涙が濡らした。


「泣いてる、の……? だめ……ヤダよ……」


 マーガレットは手を持ち上げようとした。しかし、力のこもらないらしく、包み込む私の手を押すくらいにとどまった。


 何をしようとしたかはわかる。笑えと、笑わせようとしていたのだ。たとえ、私に表情というものがあったとしても、この状況で笑えるはずなどないのに……最期まで、君は私を困らせてくれるよ、マーガレット。


 だが、彼女自身はしっかりと笑っていた。優しく、微笑んでいた。


「あのね、わたし、いま、幸せ……よ。きて、くれて……いっしょ、だから……。だいすき……だから……」


 細められた目は、そのまま伏せられた。もう開くことは無いだろう。やつれてはいるが、何の悩みも無いような顔つきで……まるで、眠っているだけのようだ。


 しかし、もとより細かった息は、すでにかすかとなっており、やがて……止まった。目覚めることの無い眠りについたのだ。苦しみの無い世界に、彼女は先立ってしまった。


 心が、苦しい。だが、私もすぐに後を追うだろう。しかし……まだ、行けない、少し待っていてくれ。


 私は、残された力を振り絞り、彼女の亡骸を抱えたまま、立ち上がった。


 

 進める足は、寝床の方には向いていない。少し進めば、花咲く場所がある。最初にマーガレットと出会ったあの花畑ほどではないが、美しい花がたくさんあり、静かで落ち着ける場所だ。


『ねえ、わたし、お花がいっぱいのところでねむりたいな』


 初めて出会ったあの日のこと、忘れるものか。あの時は、贅沢だと呆れたが、今度は、叶えてやりたい。



 体を引きずるようにして、私はようやく開けた場所にたどり着いた。そよ風が吹けば、あまやかな花の香りが花をくすぐる。……よい場所だ。昼になれば、蝶も舞うような。


 私は土の柔らかい場所を選んで、穴を掘り始めた。素手でやらねばならないから、かなり辛い。しかし、マーガレットが静かに眠れる場所を用意せねば。それだけは、成し遂げねば……それまでは、死ねない。私は、血の滴る体が悲鳴を上げるのも無視して、一心不乱に穴を掘った。



 ようやく人ひとり横たわれる深さの穴が出来たころには、私の体力も限界だった。知らぬ間に空も白んでいた。


 ふらつく足取りで、冷たくなってしまったマーガレットを抱き、穴に寝かせた。最後に、その手に、もう一度キスをして。


 手近にあった花をつみ、マーガレットの体の上にまく。無垢な少女だった時と変わらない、屈託ない彼女の顔を目に焼き付けて、それから、土をかぶせた。獣にも、鳥にも、彼女の眠りを邪魔させまい。その一心で、重い腕を動かした。



 そして、出来上がったのは、わずかに土の盛り上がった、貧相な小さな塚。墓標をたてて、立派にしてやりたいところだ、が、さすがにもう、厳しい。石のように体は重い、頭は、霧がかかったようだ。……すまない、マーガレット。不甲斐ない私を、許して、くれるか。


 見上げれば、空が、明るい。太陽に照らされ、花が、美しい。心が、満たされる。


 私は、そのまま、小山のとなりで、膝を抱いた。もう、眠ろう。ここで。どこにも、行かない。彼女と、共に、ながく、永く……。


 私は、目一杯、頬に力を入れた。彼女のささえは、無いけれど、これで、笑えて、いる、だろうか……。マーガレットの、ように……。



 では、おやすみ、マーガレット。あの世の、花畑で、また、あ、おう――


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