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第三話


 そんなある日のことだった。いつものように私の寝床――以前より森のふち寄りに引っ越していた――にマーガレットは現れた。


 よく来た。そう迎えようとしたが、違和感がした。


 顔が暗い。いつだって満開の花のようである娘の顔が。


 マーガレットは私の姿を見るなり、目に涙を浮かべた。そして、私の胸に飛び込んできた。私の硬い胸倉に彼女の額が押し当てられる。


 一体どうしたのだろう。マーガレットは泣きじゃくるばかり。彼女の柔らかい金の髪を撫で、目からこぼれる涙を拭って、落ち着くのを待った。 


 やがて、彼女は言葉を切らせながら教えてくれた。


「わたし、ね。王都に、行くことになったの。王様の、妃の、ひとりに、なるんだって」


 ほう、と私の口から感嘆の息が漏れた。この国の上級貴族には側室を設けるしきたりがある。だから王の妃は一人ではない。しかし、たやすくその座につけるということでもない。


 妃として招かれるとは光栄なことだ。現国王もまだ年若く、聡明な男だとのことだから、つり合いのとれぬ相手でもない。まあ、王の望みとなれば、断ることもできなかろうて。


 問題があるとすれば、王都が遠いことだろう。行ってしまえば、この森へは二度とこれまい。考えると胸がちくりとした。


 しかし、マーガレットの栄達のためなら、私の心など犠牲にされてよいものである。笑える身なら笑って見せたのだが、そこだけは生まれつきゆえどうしようもない。


 だが、肝心のマーガレットがどう思っているのか。様子を見ていればわかる。私に縋る手の力は強かった。


「ねえ悪魔さん、わたし、悪魔さんと結婚したい! あんなやつより、悪魔さんの方が、ずっとずっと好きだもん! 前から、ずっと!」


 ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、マーガレットは私を見上げた。首を絞められたアヒルの鳴き声に近い音が、私の口から飛び出した。


 胸が痛い、苦しい。それがマーガレットの幸せなら、私はそうしてやりたい。だが、現実はそうではない。私は悪魔だ、人間ではない。結ばれることは不可能だ。いくら焦がれても、叶わぬ恋もある。私は理解していた。


 では、仮にそうしてしまったら? 彼女の愛に応じるを優先し、しかし私に彼女を幸せにできるか?


 否。悪魔に嫁いだと噂されれば……おそらく彼女も私も、辺境伯の手により死を迎えることになるだろう。騎士団に追われ、この森ごと焼き払われる。そうなる未来が見えた。


 私は、マーガレットには幸せに暮らして欲しいのだ。私の隣ではないどこかで、美しき人間の姫君として。私はマーガレットを愛しているから。


 マーガレットよ、わかってほしい。そう言葉でさとせないのがもどかしい。しかし、きっと、彼女もわかっているはずだ。じゃじゃ馬で無鉄砲だが、馬鹿ではないのだ。


「わかってるよ、そんなの、出来ないって……。そんなことしたら……悪魔さんが……」


 潤んだ声が痛々しい。私のことなど案じてくれずともよいのに。だが、そんな心優しい少女だからこそ、マーガレットが愛おしくてたまらない。


 私は彼女を安心させるべく、頭をなでた。小さかったマーガレットはこの数年で見違えるほど大きくなった。だが、このふわふわの金の髪は、昔のままだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい……それでも……わたし……!」


 マーガレットの青い目が強い意志と共に私を貫いた。どくりと心臓が跳ねる。まさか、マーガレットよ、全てを捨てる気で私と――。


 その不安を他所に、彼女は首を横に振った。妄執を強く振り払うかのようにもみえたが、私はあえて気づかないふりをした。


 向いた顔は泣いていた。だが、泣きながら笑っていた。


「ううん、違うの。わたし、悪魔さんのこと、忘れないから。王都に行っても、ずっとずっと、忘れないから! だから……今まで、ありがとう、さよならっ!」


 マーガレットは私を押しのけると、踵を返して走り去っていった。慌てて伸ばした私の右腕は、所在なくしてゆっくりと下に落ちる。


 目をこすり駆ける彼女の姿が見えなくなるまで、私はただ立ち尽くしていた。私の心は空っぽになって、何も考えられなかった。


 

 やがて私はその場に座り込んだ。困った娘だった、最後まで。あんな泣き顔を見せられては……。私はもやもやとした霧を払うように首を振った。


 この別れもマーガレットが決めたことだ、私が手出しすることではなかろう。本音がどうであれ、彼女は王都へ行く決心をした。喜ばしいことだ、幸福へのきざはしだ。祝福しなければ。


「ほんとーにそれでいいのかなぁ?」


 不意に頭上から降ってきた声に、私の思考は中断した。見上げれば、真っ黒の鳥がこちらを向いて嘴を鳴らしている。……いや、鳥ではない、あれは魔女が化けたものだ。声ですぐにわかる。


 魔女鳥は私の目の前まで降りてくると、空中で羽ばたきながら、けっけと笑った。


「あれじゃあマーガレットちゃんかわいそうだよ。鈍感、石頭。キミはほんとうにひどいヤツだねえ」


 なにを言うか。王家に入る機会を得たなど、人間の世では稀なる幸運だ。私などに執着して、その幸せをみすみす逃してはならないだろう。それなら、私はもう彼女の近くに居ない方が良いのだ。


「あーあ……。なんていうかなあ。キミさあ、人間でもないのに人間の幸福がわかるわけ? っていうか、キミに他人の幸せを決めつける資格なんてないよ」


 確かにそうかもしれない。だが、マーガレット自身もそう決めた。だから、ただ「忘れない」と宣告して、私のもとを去って行ったのである。


 私が心の中で言えば、魔女は深い溜息を吐いた。


「素直じゃないってやだねえ。キミさ、もっと自分に正直になりなよ。あのお嬢ちゃんはさておき、キミはどうなの? よーく考えてみなよ。正直に、わがままに」


 うるさいやつめ。そう思いながらも、私は自らを省みる。マーガレットを失った、私の心は。


 ――嫌だ。彼女がこの森に来なくなるなど、私は寂しくてたまらない。受け入れがたい。


 何より、マーガレットは嫁ぐことをあのように嫌がっていた。あんな泣き顔を見てしまったら……期待に添えない私は苦しくて、不甲斐なくて、申し訳なくて。


 それに、あんな別れかたも許せない。そもそも出会いからして一方的なもの。私のところに押しかけて、私の心を奪い、そのくせ最後まで一方的に別れを告げていったのだ。こんなひどい話はないだろう。せめて、私の意志くらい聞いてほしかった。口は聞けなくとも心は通じ合える、彼女となら。


 だが、今さら騒いだところで、私に何ができると言うのだ。彼女は人間、私は悪魔。今までがおかしかっただけで、もとより共には生きられぬ仲なのだ、これ以上どうすれば――


「古今東西、お姫さまは化け物にさらわれるものだって、相場が決まっているものさ。それで、無理やり婚礼の儀をあげちゃったりしてねえ。ドラゴンも吸血鬼も、みぃんなそうするものだよ」


 意地悪い声で鳥が喋った。魔女のにたりとした笑みすら見える気がする。


「まあ、キミには無理だろうけどねえ。見せかけだけの悪魔だもの、心は臆病なネズミ。マーガレットちゃんのほうがよっぽど――うわっ!」


 空を切った私の爪をかわし、鳥はそのまま去っていった。やりどころを失くした私の苛立ちは、代わりに地面を打った。


 ……さらうだと? ふざけるな。


 だが、相手の城に乗り込む。一理あるとは思ってしまった。

 



 別れを告げられて数日後の夜、私は辺境伯の城へと飛んでいた。誘拐など下衆な真似はしない、ただマーガレットに会うために。


 はるか上空から城を見下ろす。マーガレットは城での暮らしのことはあまり話してくれなかった。しかし、自分の部屋の窓から私の森がみえるのだと嬉しそうに言っていたから、おおよその位置は予想できる。東側に向いていて、三階より上で――とあたりをつけて、私は急降下した。


 私の体は夜闇に紛れる。しかし城に近づけば当然、かがり火に照らし出され、見張りの目に触れることとなった。わかっていた、それは覚悟の上だ。


「て、敵襲! 悪魔だ、悪魔が襲って来たぞっ!」


 尖塔の見張りが叫び、警鐘が打ち鳴らされた。城のあちこちであかりが灯り、人間のざわめきが響き出す。あまりもたもたしていてはまずそうだ。私は窓という窓を覗き飛び回った。


 居ない、違う、ここじゃない! カーテンの隙間から覗くどこにも、マーガレットの姿は見えない。――どこだ、どこに居る、私のマーガレット。



 その時、斜め上方の窓が開いた。そこから身を乗り出したのが、マーガレットだった。金色の髪は夜空を背景に、透き通るように美しい。


「悪魔さん! わたし、ここよ!」


 マーガレットの顔は色めきだっている。着るものはネグリジェ一枚、髪には寝癖がついていて、化粧もしていない。城内の騒ぎを聞きつけて、飛び起きたという雰囲気だ。


 だがこの際何でもよい。私は彼女の元へ一直線に飛んだ。


 そして、彼女は嬉々として叫んだ。


「迎えに来てくれたのね!?」


 その言葉が私の心を揺さぶった。彼女は、それを望んでいるというのか。なら、私は――。


 迷いが私の動きを止めた。そして、私の翼に焼けるような痛みが走った。反射的にうめき声が漏れる。


 見れば、矢が突き刺さっていた。たしかにこの大きさ、かっこうの的だ。引き抜いた矢じりには、私の銀色の血がべっとりと付いていた。


 矢をへし折って捨てながら、下後方を見やる。なるほど、兵が集まり始めている。


 マーガレットが蒼白な顔をして口をおさえている。だがこの程度、心配することではない。人間よりはずっと丈夫なのだ。私はマーガレットを勇気づけるようにうなずいた。


 そして、この現状に、私の迷いは消えた。やはり駄目だ、いくら彼女が私と共に生きることを望んでも、周りがそれを許さない。このまま彼女の手をとり去っても、不幸を生むだけだ。人と人ならざる者、神がつくったその溝だけは、越えようがない。


 私はマーガレットを見つめた。と、同時に顔の横を矢がかすめて飛び、城壁に当たった。ええい、下手くそめ、マーガレットに当たったらどうしてくれる!


「ねえ、悪魔さん……!」


 今にも窓枠に足をかけ、私の腕に飛び込もうとする彼女を、慌てて制止した。ちゃんと意図は通じたらしい。マーガレットの顔から、笑みが消えた。やめてくれ……そんなに悲しそうな顔をしないでほしい。


 私は、窓枠につかれた彼女の左手を取った。柔らかく小さな手、その甲にキスをする。私からするのは初めてだ、下に人目もあることだし、少々恥ずかしい。


 そして、彼女の手を裏返し、一つの贈り物を渡した。細い蔓で編み、磨いた緑色の輝石を飾った、私の手作りの指輪だ。少々不格好だが、私の骨ばった手ではこれが精いっぱいだった。


 マーガレットは目を丸くしていた。その目が潤み、はらはらと涙がこぼれだす。


 これでさよならだ。だが、私も君のことは忘れない。言葉に出来ない想いの代わりに、彼女の頭をなでてから、私は城壁を蹴り身を返した。


 マーガレットが居るせいだろう、矢はもう飛んでこなかった。今のうちに、手の届かぬ高みへ昇ろう。


「悪魔さん! わたし、ずっと大好きだから! 王都に行っても、大好きだから! ずっとずっと――」


 背中に投げられる彼女の声が遠ざかる。最後に見下ろせば、マーガレットが私に向かって手を振っていた。笑っていた、笑いながら泣いていた。


 そして、彼女は自分の両頬に指を当て、押し上げる所作を見せた。あれは……私の笑顔をつくらせるためのアレだ。私にも笑って別れろと、そう言っているらしい。


 笑えるものならそうした。だが、彼女の手なくては、私の顔は表情を作れない。


 いや、そこではない。自分はあんな泣き顔を見せて置いて、私には笑えと言うのか! まったく、困ったことを言うものだ!


 とても笑えやしない。そのかわり、私は、泣いていた。頬をとめどなく熱いもの伝うのを感じて、初めて、泣いているのだと気づいた。私の体にも涙を流す機能があったのだ、そんなこと、初めて知った。


 私の血は銀色だ。それだけでなく外見は何もかも人間とは違う。でも、涙だけは……マーガレットと同じ透明だった。それが、嬉しかった。

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