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第二話


 一度寝付いたマーガレットは泥のように眠り、日が高くなった頃にようよう目を覚ました。そのあいだ私は身動き一つ取れなかったから、筋肉も関節もこわばって、石像のようになってしまっていた。


 全身の関節を鳴らしながら身を伸ばす私に、マーガレットは開口一番、


「ごはん」


 とせがんだ。頭が痛い、胃も痛い。人間の子どもとはそれほどによく物を食べるのか。私など三度眠って一度食べるほどで十分だと言うのに。昨日の食事量も決して少なくは無かった、むしろ多い方だ。


 いや、空腹は命に関わることだ。だから、しょうがないのだ。私はマーガレットを一瞥してから、ふたたび食糧の採取にたった。


 ところが。


「待って、待ってぇ!」


 マーガレットが駆け寄って来た。どうやら足は治ったようだ、よかった。……いや、そうじゃない。なぜ付いてくるのだ、邪魔くさい。

 

 私は恨めしい気持ちとともにマーガレットを見た。しかしこの鋭い眼光も気にせず、彼女は手を握ってきた。まるで親の手を取るように。


「だって、わたしはこれから悪魔さんといっしょに暮らすのよ。いろんなこと、知らないと」


 ……何だって!? 誰がそんなことを言った、勝手に決めないでくれ。だいたい、私が人間と一緒に暮らせると、そんな夢を見ているのか。困ったやつめ。


 と、を上げられたら叫んでいただろうが、そうできない私は目一杯頭を横に振るのみだった。


 意図は通じたらしい。が、聞き入れてはくれなかった。マーガレットはすまし顔で口を開く。


「やだ。わたし、みんなより悪魔さんの方が大好きだもん。やさしいし、かっこいいんだもん」


 私は頭を抱えた。やたらに恐れられるのも心外だが、ここまで恐れ知らずなのも困りものである。いや、褒められたこと自体は気持ちよいが、それはそれとして。


 無理な話だ。私は人間とは違う、ともに暮らすなどもってのほかだ。人間なら人間らしい生き方をすべきなのだ、人間の社会の中で。こんなところに骨を埋めるなど、自ら幸福を捨てるようなものだぞ、マーガレットよ。未来ある娘のその選択、断じて受け入れがたい。


 私はあえて怖い顔をして――と言っても、普段となんら変わらない。表情をつくる筋肉が存在しない――そして、マーガレットの眼前につめ寄った。


 これは大人の男でも逃げ出す顔だ、優しさのかけらも無い。マーガレット、優しいかっこいいなどとおまえの幻想なのだよ。


 しかし、と言うか案の定と言うべきか。マーガレットはまったく臆すことなく、むしろにっこり笑っている。


 そしてマーガレットは私の両頬に手を添えた。なんだ、と思うより先に、私のなけなしの肉がつままれ、全力で上に引っ張られた。


 史上最高の痛みが走った! あたりまえだ、面の皮が剥がされかけたに近いのだ。私は悶絶し、地面に転げまわった。


「ご、ごめんなさい……」


 マーガレットの緊張した声が聞こえた。


 いくら子どもとて、許されることとそうでないことがあるだろう。私は怨みを込めてマーガレットを睨んだ。


 彼女はうつむき気味にして、口をもごもごさせる。


「だって……笑ってほしかったから……」


 ……はあ。やれやれ、感情を押し付けるなどとは困った娘だ。私は角を撫でた――人間で言うと、困りはて頭をかくようなものだ。


 マーガレットは胸の前で指をくみ、控えめに言った。


「悪魔さん、わたしのこと、きらい?」


 今にも泣き出しそうな声音だった。


 別に私は人間のことを嫌ってはいない。だから首を横に振った。


 それをマーガレットは拡大解釈し「好きだ」と受け取ったらしい。ぱっと顔をほころばせた。


「わたしも大好き!」


 マーガレットはこの世の春が来たとばかりに喜んだ。踊り回っているしまつ。


 一方私は己の浅はかさを呪った。今以上に言葉が通じぬことを不便だと思ったこともない。


 しかし、勢いのまま頬にキスされたことについては、みじんも悪い気はしなかったが。



 それからマーガレットは私から一時も離れなかった。森を巡回しながら食事をとり――油断すると毒草に手を出そうとするものだから、止めるのに必死だった――、泉で水浴びをし、花畑の鑑賞に行き。


 そこで私がうたた寝をしている間も、彼女はずっと私の尻尾にじゃれついて遊んでいた。目を覚まして尻尾が花輪まみれだったことには閉口したが……まあ、たまには同行者がいるのも悪くないと思った。


 しかしながらこのまま続くのは良くない。マーガレットは人間だ、人間の世界で生きるべきなのだ、そしてその権利もある。私のようなものと同じ生き方をするなど難しいし、彼女にとってもむごいことだ。貴族の娘に生まれてきた幸運を、みすみす捨てることもあるまい。


 だから私はマーガレットを帰すことにした。


 夜、彼女が眠ったあと、私は小さな体を抱きかかえて飛び立った。思ったより軽い、これなら楽に運べる。


 空高く飛び、辺境伯の城を目指す。黒い私の体は、夜の闇に紛れて人目につきづらい。かと言って、一度見つかってしまえば問答無用で攻撃されるから、細心の注意を払って人里に近寄る必要がある。


 そして結局、マーガレットを城に放り込むことは断念した。近づけば尖塔の見張りに見つかってしまいそうだったから。向こうから見れば私は残忍な悪魔で、マーガレット誘拐犯だろう。大騒ぎになる。


 私は人間より身体能力はあるが、こちらは一人。袋叩きに遭えばひとたまりもない。よく勘違いされるのだが、私には魔法的な力など何もない。あれは魔女の専売特許だ。


 だからといってマーガレットを連れて帰るわけにもいかない。私はひと気のない町はずれの教会の前に降り立った。


 聖堂は昼夜を問わず開かれている。朝になれば、司祭にでも見つけてもらえるだろう。私などよりもっと良い保護の手が入るはずだ。


 私は神体の膝下にマーガレットを託して、教会から去った。これで一安心だ。私の静かな眠りが帰ってくる、喜ぼう。




 あの夜から十夜が経った朝だ。


 私は今、起き抜けの頭を抱えていた。目の前に、頬をふくらませたマーガレットが居るのだ。


「どうして置きざりになんかしたのよう!」


 かんかんのところ悪いが、どうしてと聞きたいのはこちらだ。なぜこんなところに居る。……いや、わかっている。また城を抜け出して来たのだろう。


 先日のドレスではなく、農民が着るような質素で動きやすい衣服を纏っているあたり、計画的なのが見て取れた。


 マーガレットはむすっとした顔のまま、私の背中にしがみついてきた。


「もうはなれないんだから。悪魔さんが飛んでも、わたし、くっついて――うわあっ!」


 無視して翼を広げて見せれば、マーガレットはあっけなく枯草の上に尻餅をついた。さすがに人間の小娘に背中を取られるほど甘くは無い。


「……いいもん! 今度はぜったい寝ないから、むりやり帰そうとしたって、ダメなんだからね!」


 ぷん、とそっぽを向いて、私の寝床に座り込んだ。


 ……まったく困ったお姫さまであることだ。勝手に言っているがよい、眠らずにいられるはずないのだから。我慢比べなら私の方がずっと有利である。たいして変化の無い数百年を生きて来られたくらいなのだ、こちらは。


 案の定、私の後ろをついて回ったマーガレットは、夜になると疲れてぐっすり眠りこけた。多少は頑張って睡魔にあらがっていたが、負けるときは実にあっけない。


 そうして彼女はまた教会で目覚めることになったのである。



 そして、さらにそこから七日後。今度は白昼だ。


「もーっ! 悪魔さんのばかぁっ!」


 耳をつんざく絶叫に目を白黒させながら振り向けば、頬を膨らませたマーガレット。ひどい既視感に、私は再び頭を抱えたのだった。



 送りかえしても送りかえしても、マーガレットは懲りずに遊びに来る。ついに私は根負けし、来るなら来ればよいという考え方に変えた。今日は来るか来ないか、戦々恐々するのに疲れたのだ。どしりと気楽に構えていた方が、精神衛生上よろしい。


 そしてマーガレットはマーガレットで、なにか思うことがあったのだろう。はじめこそ私が無理に連れて行かねば帰らなかったものが、しだいに数日過ごしたら自分で帰るようになった。私としては、見送りが森のふちですむようになったので、危険が減ってありがたいことこの上ない。


 しかし困った娘なのは変わらなかった。おてんばで私の目の届かぬところも平気で走り回るし、私にちょっかいもかけてくる。角に色を塗ったり、持ち込んできたかつらをかぶせてきたり。あの、頬を引っ張って笑顔をつくらされるのは、毎度やられた。そのたび私はのたうちまわったのだ。


 そして何が一番困るといえば、マーガレットが隣に居ないと寂しく感じるようになってしまったことだろう。数百年を一人で過ごして来た、この私が、だ。


 例えるなら、私の心の片隅にマーガレットが住み着いているような。それを邪魔だと思いながら、彼女の暮らす家の扉が開くのを、私はどこか期待している。


 この感情は何なのか。マーガレットの存在が嬉しい、なのに素直に喜べない。むずがゆい思いは一体何なのだ。私は答えを出しかねていた。


 

 そんなある日、魔女が私のもとにやって来た。魔女は使い魔を操り偵察を行う、だからマーガレットの存在を知っていたのだろう。その上で私の心を読み、笑った。


「ああ、キミねえ『恋』しちゃってるよねえ。いや『愛』してるかなあ。いやあ、いいもんだ」


 くつくつと魔女は笑った。美人の顔をしているが、それは魔法で取り繕ったもの。精神はそうとうな老婆だ。そのせいだろう、人を上から見下すような鼻につく言い方は。


 しかし、恋、愛。その意味するところは知っている。生涯の伴侶となる相手に抱く感情だ。


 はて、この私が? マーガレットに? あり得ない、あの子は人間で、私は……まあ、悪魔ということでいいだろう。あの子もそう言うのだ。


 とにかく、私とマーガレットの間には、越えようがない壁がある。だいたいあれはまだ子どもだ。マーガレットの歳から逆算すれば、私など原始人だ。だから、違う。断じて違う。恋とか愛とか……そういう感情で繋がることはない!


 そう心の中で叫んだら、魔女はますます笑い転げた。


「キミさあ歳くってるくせにうぶだねえ。好きなんだから好きって認めてやんなよ。マーガレットちゃん、かわいそ。あ、そうだ……キミ、媚薬でも飲んでみない? 向こうに飲ませてもいいけど。お安くしときますぜい」


 そんな魔女の冗談に無性に腹が立ち、私は生まれて初めて殺意を抱いて人に牙を剥いたのだった。……あいにく、魔女には笑い逃げられてしまったが。


 ああ、あれがマーガレットに近寄らぬよう気をつけねば。あれぞこの森の真の悪魔、マーガレットを守るのはこの私だ。沸き起こる庇護欲、自分でもどこからくるのか不思議なものである。


 ――恋、そして愛。魔女が残した言葉が頭の中でぐるぐると回っていた。



 

 私とマーガレットとの逢瀬は年単位で続いていた。一年、三年、そして五年。まさかここまで執着されるとは思わなかった。


 最近では、マーガレットが現れることが当然のように待ち構えていた。むしろ顔を見せない日々が続くと、何かあったのではと不安になるしまつ。笑顔でやって来た彼女の体を抱きしめれば、ようやく重荷が降りる。


 そして、持前の健康的な顔つきの中に。令嬢らしいしとやかな色香が混ざって来たマーガレットを見ると、時の経過をなお重く感じる。背も伸び、抱えて飛ぶには少々力が要るようにもなった。人間の成長とは、なんと早いものだ。


 そう・私にとっての一日と彼女にとっての一日は、人生にあたる比重が全く違う。その時間を私ごときに捧げてくれるのは嬉しくもあるが、しかしそれで良いのだろうかと不安でもあった。

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