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ピアノ

作者: 五福モモ

ローンで購入した新品のピアノが、支払いが続けられず、引き上げられる事になる。

ふてくされる妻、煮え切らない夫、不遜な態度の担当社員、その中で、仕事柄とはいえ誠実さを見せる、もう若くない、ピアノを運び出す、実直な初老の男性の話です。

『奥さん、灰皿ない?』


鼻の穴が大きいその男は、益々、二つの穴を目立たせ、少しばかり語気を強めて、私に言った。


『どうぞ』と丸い小さな灰皿を、男の前に差し出し、私はまた窓際に戻った。


男は、タバコを一本取り出し、『ライター貸して』『灰皿とライター、セットでしよう』太々しく言った。


私は黙って、百円ライターを男の前に差し出した。


男はタバコに火をつけ、大きく一服し、濁った煙をその膨らんだ鼻の穴からも、大量に吐いた。


(何故こんなにも威高なのか…

それは悪い、こちらが悪い、私たちが悪い、しかし、貴方がこんなにも態度を大きくする必要があるのか!)


その時の私には、男の、卑屈な日頃の鬱憤を、ぶつけられているとしか思えなかった。

確かにこちらが悪いが、この男に、必要以上に謝罪する気持ちにはなれなかった。


(そんな汚い煙で私のうちを汚さないでよね。)

心の中で叫んだ。

暫く男と私の無言の攻防が続いたところに、夫があたふたと帰ってきた。


相変わらず、口元に無用の笑みを浮かべている。


こういう顔なのか。


私は見ていると、いい加減、苛立ってくるその表情が見えない様に、斜めに顔を背け、『さっきから、ずっと、お待ちになっていました。』と言った。


『ああ…』と夫は言葉を発し、それで終わった。



居間の一角に置かれている、新品の電子ピアノの支払いが滞り、数度請求されても払えないので、引き上げられる事になった。


元々、夫が子供の為に、欲しくて買ったものなので、私は惜しくも何とも無かった。

だが、(支払いが続けられないなんて…娘ももう学校から帰って来るのに…)



こんな事は早く終わって欲しかった。



私は妻だが、購入、支払いには、全く関与していないので、何とも言えない。


夫も男も、行動をおこさない。



訳のわからない、無駄に思える時間が過ぎる中、玄関に、静かに控えている男の人に気付いた。


さっきから、そこに長い時間居たのであろう。


初老の身綺麗なその人は、ずっとそこで待っていたのだ。


白髪が勝る髪を綺麗に撫でつけ、ジャンバーにコットンパンツ、汚れをきちんと落とした運動靴を履いている。



私が、玄関の男性に注意を向けている間に、夫と男の間で、話し合いがついたのか、ピアノはやっと引き上げられることになった。


男は、玄関に居る初老の男性に、指示した。

男性ははじめて、穏やかな声で、『お邪魔します』と挨拶をして、家に上がって来た


私にもお辞儀をしてくれた。

私も『お願いいたします』と、深く頭を下げた。



紳士はピアノの前に立ち、少し思案してから、自分の着ていたジャンバーを脱ぎ、さっとビアノにかけ、その上から丁寧に縄をかけた。



結局、夫とその男性二人で、ピアノを運び出し、外の車に乗せた。



娘はまだ帰って来ない。



父と同じ位の年齢なのか、ジャンバーを脱いだ、その人の少し前屈みに曲がった実直そうな背中が、涙で滲んで、光を放ち、この上なく美しい物に見えた。






小さな誠実さが、人生において大切だと感じた事を書きました。

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