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5.「1回目のデートの話、というより、1を求めて走るアキレスのような話」

 服を選ぶのにこんなに時間をかけたのは、初めてだった。

 理由は簡単。私は今日、おそらく人生で初めて、自分以外の誰かのために着る服を選んでいるから。

 自分に合う服は知っている。ワードローブの中にはそういう服しか入っていない。では、それを他人に合わせるとしたら。

 余裕を持って準備を始めたのに、結果的にギリギリまで悩むことになった私は、やや明るめのブルーのパンツに、それよりはやや落ち着いた色合いのキャミソールとカーディガンを選んで、小さなリボンをあしらったカチューシャをつける。

 メイクはどうしようか迷ったが、結局、普段友人と会うときと変わらない程度にした。

 姿見の前に立ち、前に喫茶店で話したときの新田君の姿を思い浮かべて、横に二人並んだ姿を想像する。

 それは我ながら恐ろしく恥ずかしい、想像というよりももはや妄想だったが、客観的になることを心がけて、私は服装を決定した。


 駅の時刻表で、約束の時刻に間に合う電車に遅れていないことを確認して、一安心。

前回からちょうど一週間。私はふたたび、新田君と会うことになった。

『情報交換』という名目で送った誘いのメールには、すぐに返事が返ってきた。断られることはないと判り切っていたのに、承諾の返事が返ってきたとき、私は不覚にも少し舞い上がって口角があがっていた。

 学校でもクラスの友人や古林さんから『なんだかうれしそうだね』などと言われてしまう始末で、私は自分自身が思っていたよりも自己コントロールが得意ではないことを思い知ることになった。

 今度の場所は電車で何駅か行った繁華街の喫茶店で、ケーキが有名な店だった。

 その場所を提案したのは新田君のほうで、友達から聞いて興味を持ったが、行く機会がなかったのでぜひ、ということだった。

 前に会った時もコーヒーフロートを選んでいたことを考えると、彼は結構甘党なのかもしれない。

 ホームに立って、今日なにを話すかをぼんやりと考える。情報交換、と言っておきながら、内容を決めてはいなかった。

 とはいえ、学校のことで気になることがないというわけではない。いくつかの部活の動向や、人間関係、活動実態など、細かいところを突けば『生徒会長』として確認しておきたい話題はある。電車の中で確認しておけばいい――

「あれ? 黒砂さん?」

 突然話しかけられ、私は驚き、振り向くと――そこには、新田君が立っていた。

「に、新田君……」

「おはよう。なんだ、同じ電車だったのか」

 おはよう、と返事をする。さっきまで頭の中で考えていたはずの話題は、霧散してしまっていた。

 目的地の駅で待ち合わせのはずだったのに、こんなところで出会ってしまうなんて。

 いや、もともと電車の中で話題が尽きることを恐れた私が目的地の駅での待ち合わせを提案したのだから、この事態は十分予測はできた。――それでも。

「……不意打ちは、ずるい」

 気持ちのやりばがなくて、私は口の中でつぶやく。

「ん?」

「なんでもないわ」

 私の返答に、新田君は不思議そうな顔をしたが、ちょうど電車到着のアナウンスが流れたので、彼の疑問はそのままアナウンスと共に流されることになった。

 ほどなくして、到着した電車に二人で乗り込む。

「いやー、なかなか一人や男友達とは行きづらいし、助かったよ」

「どういたしまして。新田君は甘いものが好きなの?」

「んー、特別、というわけでもないけど、好きだよ。けど話題になってる店ならやっぱ行ってみたいじゃん。甘くても辛くてもさ」

「情報通、だから?」

「どっちかっていうとミーハーじゃね?」

 言って、新田君は笑う。

「黒砂さんは? 甘いの好き?」

「好きだけど、でも食べ過ぎは……」

「じゃあ今日だけ解禁ってことで! ほら、二人で行けば二種類頼んで交換もできるしお得だ! ってわけで生徒のために協力よろしく、生徒会長!」

「こんな時だけ生徒会長扱いは、都合が良すぎないかしら」

 調子のいい新田君に軽く釘を刺して、私は悪戯な笑みを浮かべてみせた。

 一方、新田君と自然に話せている自分に安心する。

 その時、カーブに差し掛かった電車が少し揺れた。

 つり革につかまっていなかった私は、バランスを崩す。ハンドバッグを持っていない方の手を手すりへとのばしたが――届きそうもない。

 つかまるところもなく、転ぶまいと、私は身体をよじったのだが。

「っと」

 新田君は腕を掴み、支えてくれる。

「ご、ごめんなさい」

 心臓が大きく鼓動をはじめ、私は視線を落とした。新田君に掴まれた腕が熱いような気がして、私は思わず腕をさする。

「あ、ごめん痛かった?」

「う、ううん、違うの、大丈夫」

 否定しながらもその先を続けることができず、私は黙ってしまう。

『支えてくれてありがとう』と言っていないことに気づいたときには、もう遅すぎた。

 気まずい空気が流れて、それから先、私たちは電車に揺られるまま、無言で目的地への到着を待った。

 窓を通り過ぎていく景色を眺めながら、私は思う。

 今、新田君の目に私はどう映っているのだろうか。

 私は、どうすれば新田君にとって魅力的に映るだろうか。

 世の中に溢れているたくさんの恋人たちは、どうやってゼロからイチになったのだろう。

 私はこの問題を解く公式を知らない。

 見通しの立たないことが、こんなにも辛く険しいなんて。

 ガラスの反射ごし、新田君が所在なさげな顔をしているのを盗み見て、私は自分のふがいなさで唇をきゅっと結んだ。

 それでも、私は願う。イチになることを目指して少しずつでも距離を詰めれば、いつかはゼロからイチになれるかもしれないと。



「おおお、やっぱり美味いなこれ、噂に聞いた通りだよ」

 テーブルに運ばれてきたフルーツタルトの一口目、新田君は嬉しそうにそう言って、次はどこにフォークを立てるかを真剣に悩みだした。

「ええ、すごく美味しい。とっても甘いのに、上品で優しい味」

 言いながら、私は口の中に残った幸せな甘さの余韻に浸り、それからブラックコーヒーを一口飲んだ。

 私が選んだのはモンブランだった。


 新田君の目当てのお店は、閑静な住宅街の中にある落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。八人も入れば満員になってしまいそうなそのお店の中は、ゆったりしたテンポの器楽曲が流れ、店主の趣味の品なのであろうアンティークな小物がところどころに置かれていた。

 私たちが入ろうとしたときには、壮年の夫婦が客として座っていたが、ちょうど席を立つところだったようで、いまは私と新田君の他に客はいない。

「そこらへんのデパ地下のケーキより安いのに、全然こっちのほうが美味いなぁ」

「もっとお客さんいっぱい居てもおかしくないわね。運が良かったのかしら」

 言いながら、私はもう一口モンブランを口にする。きめの細かいクリームはたっぷりと栗の風味を含み、ふりかけられた粉砂糖とマッチして豊かに口の中に広がっていく。

「……これは、思わず口角が上がっちゃうわね」

 まだスプーンが届いていないカップケーキの部分も、大いに期待ができる。

「うう、黒砂さん、あの……」

 妙にかしこまった声が聴こえ、ケーキから新田君に視線を移すと、新田君はスプーンをもった片手を私のモンブランの上でふらふらさせていた。

「……どうぞ、一口」

 私はモンブランのお皿を新田君の手元に差し出す。

「やったっ! こっちもどうぞ」

「ありがとう」

 私はフルーツタルトを目の前に、どこにスプーンを入れようか一瞬迷う。

 間接キスなどと浮かれたりするような年齢でもないが、嫌が応にでも意識はしてしまう。

 結局、新しい部分へとスプーンを落とす。

「このモンブランもうまいなー、これは店のケーキ全種類食べられないのがもったいない」

「……そうね」

 返事をしながら、スプーンを口へと運ぶ。『また一緒に行きましょう』と素直に誘えない自分が悔しい。

「ん、ほんとうに、このタルトも美味しい……」

 悔しさを忘れさせるように、タルトの甘さが口いっぱいにひろがっていく。香ばしいさくさくのタルト生地と、贅沢に盛りつけられた彩豊かな季節のフルーツ。きっと、秋に訪れればまったく違った顔のタルトになるのだろう。

 私たちは交換していたケーキの皿をそれぞれの手元に引き戻す。

「んで、情報交換、だっけ? 何か俺に聞きたいこと?」

「ああ、そうね、ええと……あまり緊急な話、というわけでもないのだけど……」

 私はそう返事をして、頭の中で『生徒会長としての私』を用意しようとする。が。

「あ、黒砂さん」

 呼ばれて私は思考を中断。新田君が続ける。

「緊急じゃないならさ、今日は『生徒会長』はお休み、っての、だめかな?」

「……でも」

 私はそこで口ごもる。

 生徒会長としてじゃないと、私は新田君とお話することが見つけられない。

 一方で思い出す。新田君は『生徒会長ではない黒砂幸』が見たいと言っていた。

「……わかったわ」

「やった。生徒会への協力は、あとで必ずするから。メールできいてくれてもいい」

「ありがとう、助かるわ」

 私はそう答えて、手元のコーヒーを口に運んだ。

 生徒会長としてならこんなに素直にふるまえるのに、と、私は奥歯を嚙んだ。


「そういえばさ、この前友達に彼女ができたんだよ」

 タルトを食べ終え、注文していたアイスティーを半分ほど片付けた頃、新田君はふとそんな話をはじめた。

「……学校の人?」

「そうそう、同じクラスでよくつるんでるやつでさ。誰だと思う?」

「それだけじゃさすがに、見当もつかないわ」

 新田君と同じクラスということは、すなわち古林さんも同じクラスということだ。最近、古林さんが特別にそういうことを話していたという記憶はない。

「まぁ、それは置いといて、相手がなんと、あの国分さん」

「国分……千華さん?」

 国分さんの事は知っている。私と同学年の女子生徒で、元気はつらつ、といった言葉が似合う活発な印象の子だ。長いツインテールがトレードマークで、確か弓道部だっただろうか。同性から見ても魅力的なほどの健康美人である国分さんを射止めたとなれば、ちょっとした話題になることは想像に難くない。

「そうなんだよ。その国分さんにオーケーもらったやつの相談にのっててさ。いやー実際厳しいんじゃないかって思ってたけど、こういうミラクルもあるんだなって驚いちゃったよ」

 屈託なく話す新田君。言葉だけを見るとひどい扱いだが、語調には親しみが溢れている。それだけの信頼関係を築いている相手ということなのだろう。

 誰かはわからないけれど、想いをきちんと言葉にする勇気を持ったその男子生徒には、素直に尊敬の念を抱いた。

「でも……」新田君はそこで少し、口ごもる。「ちゃんと言うのって、やっぱ大事なんだろうな。言わなきゃ伝わらないもんな。大輪田は偉いよ。玉砕も覚悟でちゃんと言ったんだから」

「そうよね。すごいと思う」

 いつかは、私も自分の気持ちにきちんと向き合って、決着をつけないといけない。

 ……と、そこまで考えて、私は新田君の言葉をもう一度振り返る。

 新田君はいま『大輪田』と言っただろうか。

「大輪田……大輪田君なの? 国分さんの相手」

「ん……?」私の質問に、新田君は不思議そうな顔をして、直後に自分が無意識に大輪田君の名前を挙げていたことに気づいたようだ。「やべっ、つい。まぁいいか、あいつらも特段隠すつもりもないみたいだし、……そう、大輪田なんだよ。黒砂さんも知ってる?」

「ほとんど話したことはないけれど、顔と名前は一致するわ」

 答えながら、私は心の中で深い溜息をついた。

 大輪田亮君といえば、古林さんがずっとずっと想いを寄せていた、古林さんと同じ文芸部の男の子だ。何度か、古林さんから相談をもちかけられたことがある。

 彼に気持ちを打ち明けることで関係が変わってしまうのが怖くて、なかなか想いを打ち明けられないと言っていた。

――恋愛経験のない私には、実のあるアドバイスはできなかったけれど。

古林さんは、恋に敗れてしまったということか。

 胸がちくりと痛んだ。このことは新田君には話さないほうがいいだろう、と私は判断する。

 大輪田君の友人である新田君にとってもうれしい話題ではないだろうし、なにより古林さんの、大輪田君への秘めた恋心は、彼女が私を信頼して私だけに明かしてくれた話だ。

 手元のカップを口に運ぶ。時間が経ってだいぶぬるくなってしまったコーヒーは、喉の奥に深い苦味を届けた。


 それから他愛のない話をしばらく続け、私は新田君と同じ電車に乗り、自宅への最寄り駅へと帰ってくる。

「今日はありがとう。とっても楽しかったわ」

「おお、俺もあの店に行けてよかったよ。今日話せなかった、生徒会に必要なこと、あったらいつでもメールしてくれ、答えるから」

「ええ、わかったわ」

「それじゃあ」

 言って、新田君は去ろうとして、立ち止まる。

 私のほうを向いて、一言。

「そうそう、言い忘れてた、今日の服もすげー可愛かった」

「……からかわないで」

「はいはい、またね」

 言い返した私の頭の中で、素直に返せない自分へのふがいなさと、褒められたこと、『またね』と言って貰えた嬉しさがぐちゃぐちゃになる。顔はきっと真っ赤になっている。

 立ち去る新田君をしばし見送って、私も帰路へつく。

 思わずため息が出た。

 もっと一緒にいたかった。

 たとえば、帰ろうとする彼の袖をちょっと掴んでみたりすれば、それだけでこの時間を延ばすことができただろうか。

 優柔不断な私の脳裏に、さっき喫茶店でした会話が再生される。

 行動しないままでいたために、失ってしまうこともある。

 古林さんが想いを伝えない間に、恋に敗れてしまったように。

 昼間の考えは間違いだった。ゼロからイチを目指して少しずつ距離を詰めて、少しでも近くに行こうとしている間に、目指したイチが消えてしまうこともある。

 気持ちを伝えたことで、上手くいった人が居て、気持ちを伝えないまま、そのチャンスを逃してしまった人が居て。

 そして私には伝えたい気持ちがある。

 伝えなくては、伝わらない。ちゃんと伝えよう。

 生徒会長という肩書に頼らない、私の気持ちを。

 その決心は、私の心に緊張をもたらしたけれど、一方で心強さももたらした。


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