2.「マイナス3回目のデートの話、というより、出会いの話」
「来てくれてありがとう、どうぞ、こちらに座って」
「ん、ども」
私が生徒会室の椅子を引き出すと、新田君は軽く返事をしてその椅子に座った。
「あれ、新田君」
書記の古林さんがちょっと驚いたような声をあげる。そういえば、彼女は新田君と同じクラスだった。
「ん? あ、古林さん、生徒会もやってたっけ?」
「えっ、うん、えっと、書記やってるよ」
古林さんが返事をすると新田君はちょっと考えて、そっか、とつぶやく。たしかに、古林さんはあまり生徒会としての仕事の露出が少ないので、印象が薄いのだろう。
「お話、はじめてもいい?」
「おー」新田君は向かい側の椅子に座る私のほうに向きなおる。「そもそも、なんで呼ばれたのかよくわかんないんだけど?」
新田君は特に緊張した様子もなく言う。生徒会室にくると、その雰囲気のせいか、大なり小なり緊張した様子になる人がほとんどだったのだけれど。
「シンプルに言うと、新田君には、学校で問題となっている人たちについて、教えてもらいたいの」
私の言葉に、新田くんはうーん、とうなる。
「問題……ねぇ、たとえば、誰のこと? っと、話せないようなことは、話さないから、よろしく」
「構わないわ」話してしまうと不都合が生じることもあるのだろう。「まず……A組だと、永沼くん」
「問題? 永沼が?」
「彼は……」私は手元の資料を軽く確認する「少し乱暴な言動が目立つみたいね。机や学校の備品に乱暴したり、女子が怖がってるみたい」
あー、と新田君は困ったようにうなる。
「それって、生徒会に投書みたいなのが届いたとか?」
「そうよ。……誰の意見かは、明かせないけれど」
「あいつんち、父ちゃんが怒るとすげーんだよ。どなったり殴ったりさ。それであいつも影響受けてついつい乱暴になりがちなんだよな。長男だしいろいろ苦労するみたいなんだよ。ストレスためてんだろうなぁ……」
新田君は肩をすくめるようにしながら言う。
私は新田君のつぎの言葉を待った。新田君の言葉は、つまりは擁護としてとらえるしかなかったからだ。本当は、ここに行けば本人と一対一で話ができるとか、家族と一緒なら説得しやすいとか、この先生の言うことなら聞くとか、そういう情報が欲しい。
これから問題を解決するために話をきいているのに「しょうがないよね」と言われてしまっても、問題はなにも解決しない。
「でも、何もしないわけにいかないんだろ? 生徒会としては」
新田君は見透かしていたかのように私に訊き、私は内心ですこし焦りながら「そうね」と涼やかに返事をしてみせる。
「ま、俺からやんわり言っておくよ。あいつだって誰かを怖がらせようと思ってやってるわけじゃないんだし。クセみたいなもんだから、時間はかかるかもしれないけどな」
「そんな、悪いわ」私は自分の胸に手を置く。「一応、『生徒会長』ですから、私が話をするわよ」
しかし、新田君は首を振る。
「いや、それはまずい。永沼とそんなに関わりがあるわけじゃないだろ? いきなり黒砂さんから言われたら永沼もまた悩んじゃうし、逆効果だよ」
「……それは、そうかもしれないけど」
それでも『完璧』であるはずの私が何もできないというのは、許しがたい。
「だから、カドが立たないように俺が言っておくって」
さとすように言う新田君。私はすこし考える。
新田君に大きな借りができてしまうけれど、生徒会の仕事が軽くなると考えるならメリットだ。
「……わかったわ。申し訳ないけど、お願いできるかしら」
「お安いごようで」
そう言って、新田君は笑ってみせた。
結局、そのあとも十数人について新田くんと話をしたのだが、ほとんどが同じような内容となってしまった。
新田君の論調は一貫していた。彼は私が『問題のある人』として挙げた人たちのことを悪く言うことも無ければ、擁護しすぎることもなかった。ただただ、行動については正すべきところがあると認め、けれど悪意でやっていることではないと言うのである。それを、それぞれの個人的な事情も含めて説明してくれた。
男女、先輩後輩に関わらず、一人として漏らすことなくである。その情報力はさすがの一言だった。
私、そして生徒会は結局のところ、問題があるとされたそれぞれの人物が実際にはどう考えていたのかについて、情報を持っていなかったという不十分さを突き付けられてしまった。
ほとんどの対象者との交渉は、新田君が担当することになった。一部、生徒会のメンバーと関わりがあるか、もしくは新田君自身もほとんど親交のない人物については生徒会がアプローチすることになったが、それは全体の三分の一にも満たない。
生徒会長である私をはじめとして、生徒会の人間がその肩書きを背負って出ていくと、相手が身構えてしまう、というのが新田君の主張だった。
『目的は、あいつらの行動が問題だと思われてることを伝えて、改めさせることだろ。なら、知り合いや友達が言ったほうが絶対早いって』と、新田君は話す。
それは正しかった。が、私としては新田君にそこまでさせてしまうのが申し訳なかったし、問題に取り組もうと意気込んでいた私の気持ちのやり場がなくなってしまった。
「ありがとう、なんだか、いろいろお願いしちゃう結果になって、ごめんなさい」
生徒会室の扉を後ろ手で閉めて、私は新田君に告げる。
「いいっていいって、俺の友達や知り合いばっかりだし。生徒会長の手を煩わせるほどのことじゃないしさ。なんかあったらまた教えてよ」
『生徒会長の手を煩わせるほどではない』言われて、私はついすこし、むっとした。
「そうね、さすが『Nステ新田』君ね」
そう私が声に出したとき、今までずっと柔和だった新田君の表情が一瞬、緊張を帯びた。瞬間、私は失言を反省する。このあだ名は、彼に対する陰口でもあるのだ。
怒るだろうか、と考えた瞬間、再度、新田君の表情が緩む。それから、ちょっといたずらっぽい笑いを含んだ。
「『女帝会長』には及ばないけど、ね」
「じょ……なに?」
私は思わず聞き返す。聞こえなかったわけではない。女帝会長。私はその意味するところを知らない。
でも、何か心に刺さったような気がした。
「知らなかった?」新田君は廊下の壁に背中を預ける。「俺が陰で『Nステ新田』って言われてるのと同じく、黒砂さんのことを『女帝会長』って言うやつもいるってこと」
「それって……」
「ニュアンスはいろいろだよ」新田君は私の言葉を遮る。「悪気なく使ってるやつもいれば、やっかみで言ってるやつもいる。会長は幅をきかせてる、学校を支配しようとしている、とか」
「……」
私は言葉を失う。ショックだった。
評価してほしいと考えたことがなかったと言えば、嘘になる。しかし学校のために頑張ってきたんだからもっと褒めてほしい、などと主張するつもりはない。
『完璧』を自負しつつも、謙虚にやってきたつもりだったが、私のことをそんな風に言う人がいるなんて。それをはっきりと示されたのははじめてのことだった。
「俺だってそうだよ」新田君が続ける。「『Nステ新田』も、なんの気なしに言うやつもいれば、口の軽いイヤなやつ、って意味で言ってるやつもいる。俺が実際にどう考えて、行動してるかなんて、おかまいなし。レッテルを貼るって、そういうことだよ」
そこまで聴いて、私はようやく、さっき口走ってしまった彼のあだ名について謝っていないことに気づく。
「ごめんなさい、気分を悪くさせてしまったみたい」
「気にしないでいいよ、隠れて言われたわけじゃない。黒砂さんが悪い人じゃないのは、わかってる」
私が黙っていると、新田君は頭の後ろをかいて続ける。
「んー、なんて言えばいいのかわからないけど……学校のことを考えてやってるんだし、俺の言うこともちゃんと聴いてくれたし。……今日はさ、もし、黒砂さんとか生徒会の人達が、自分たちが正しいって思いこんで、俺の友達とか知り合いをただ注意とかしようと思ってるんだとしたら、俺、協力しないつもりだったんだよ」
「そうなの?」
「ああ。でも、そうじゃなかった。話してるうちに、みんなちゃんと、学校のこと考えてるってわかった。だから手伝おうと思ってるんだ」
「……」
私はそこで、新田君を軽視していた自分に気づく。私は、彼から体よく情報を聞き出せればいいと思っていた。
それは、あだ名のことよりも、とても失礼なことだったのではないだろうか。
「ま、あだ名の事はお互いこれでおあいこ、ってことで」新田君は笑顔で言う。「お互い、有名になると大変だね。また何かあったら連絡してよ、今日の事でも、それ以外の事でも」
「ええ、協力してくれて、ありがとう」
私の返答に、新田君は私のほうをじっと見つめる。
「……何?」
沈黙が耐えられず、私がそう聞くと、新田君は私のほうへと歩み寄ってくる。
「『女帝会長』なんて言ってごめん。自分が言われたからって大人げなかったよ」
軽く頭を下げる新田君。私が何か言うことができる前に、彼は顔をあげ、続ける。
「でもさ、そんなに普段から気を張ってちゃ疲れちゃうぜ。いつもピリピリしてるなって思ってたけど、ほんとにずっとそうなんだもんな」
新田君はちょっと困ったような顔で笑う。
「生徒会の皆だって、それから俺だって、黒砂さんが頑張ってるのは知ってるんだからさ。気楽にやろうよ」
そう言って新田君は私の肩をぽんぽんと叩いた。
それじゃ、と言って、新田君は小走りに去っていった。
私はその後ろ姿を見送る。気づけば、陽はだいぶん傾いていた。
新田君はああ言っていたけれど、私の心には、自分でも説明できないもやもやしたものが生まれていた。
その場にしばし立ち尽くしていると、背後で生徒会室のドアが開く。古林さんがドアの隙間からひょっこりと顔を出した。
「黒砂さん? どうしたの?」
私は廊下の向こうを眺めて、つぶやく。
「……気、張ってたのかしら、私……」
私の独り言を聴いて、古林さんは小首を傾げていた。