1.briefing.「0回目のデートの誘いの話」
『少し情報交換をしたいのだけど、都合のいい日はある?』
携帯電話の液晶に映った、ほんのわずかな文字を足したり削ったりして、はや十数分。眉間に寄せたまんまのシワがじんじんと熱を帯びてきたような気がしたので、私は携帯電話を一度手放して、ベッドの上であおむけになる。
両手両足を乱暴に投げ出して、頭上の蛍光灯の光を眺める。きっと今の私は、学校のみんなが見ている『完璧な生徒会長』の姿からはかけ離れた姿だろう。そう自覚しながら、大きく深呼吸。
それでも、胸のあたりにつっかえたようなもやもやしたなにかは、そこに残ったままだった。
自覚はしている。否定するつもりもない。それでも、ちょっとくやしいと思ってしまう。
――自分が女の子であることを、こんなにも実感させられてしまうなんて。
ネームイーター番外編 懊悩する黒砂幸さん
ベッドから起き上がり、ふるふると首をふる。まだ風呂あがりの水分を残した髪は、すこし重たげにその動きに追従した。書きかけのメールを下書き保存して、これまでに彼とやりとりしたメールをざっと見返してみる。
「……なんて、事務的……」
自嘲気味にそうつぶやく。ふにぃ、と学校では絶対に出さないような変なため息を漏らして、携帯の画面上、メールの宛先欄の文字を見つめる。
新田孝一郎。
『完璧』であるはずの私の心を最近かき乱している男子の名前。
私の心の中に、いままでなかった色を届けた男子の名前。
新田君との最初のコンタクトは、生徒会長として校内の事情を知るために、自分とは違った人脈をもった人物と繋がりを作っておく、というのが狙いだった。
われながら色気も、高校生らしさもこれっぽっちもない理由だなといまは思う。それでも、そのときは必要があった。だからそうしたのだ。
私の通う学校には、いくつかの不良グループがあった。授業の参加態度が悪かったり、校内の設備を乱暴に扱ったり、気弱な同級生や後輩へのいじめだったり、不良としての中身はいろいろ。
学校の先生がたも手を焼いているそれら不良グループの存在を、生徒会長という立場から解決に導く。いわゆる校内浄化作戦が、私が目指したものだった。
生徒会長選挙のとき、実際にそれを声高に掲げたわけではない。けれど、私が立候補のスピーチで掲げた公言の中には『安心して生活できる学校』があった。その中身が、この浄化作戦につながったというわけだ。
浄化作戦の遂行には校内の人間関係をより深く知る必要があった。
そこで、校内の人間関係なら知らないものはないと言われている、『ニュースステーション新田』略して『Nステ新田』こと新田君に白羽の矢を立てたのだ。
『完璧』な私が、校内の情報を掌握すれば、怖いものはない。そういう自信があった。
結果、校内の問題は、完璧とは言えないとしてもある程度の解決を見た。――が、一方で私の心のほうにまったく別の問題が生じてしまったのはいったいどういうわけか。
これについて、当の本人も理解なんかできていない。
それでも、鏡を見なくても紅潮しているとわかるほどに熱を帯びた頬と、たびたび思考に割り込むノイズ、普段の冷静さを保てない自分はどうしようもなく、逃げようもなく、現実。
最初はこの気持ちだって否定していた。こんな風に、人に焦がれることがあるなんて、他人の話や物語で知ってはいても、まさか自分がそうなるなんて、考えたことがなかった。
しかも、相手はただ利害関係で近づいただけの、それまでなんのかかわりもなかった、別のクラスの男子。
好きなんかじゃない、こんな気持ち、私のものであるわけない――そう自分に言い聞かせるほどに、反動で私の心は押しつぶされるように切なくなって、そうしてついに、私は私に白旗を挙げた。この気持ちを、否定することができなくなった。
恥ずかしくて、どうしたらいいかわからなくて、誰にも言えないけれど――白状する。私、黒砂幸は、新田孝一郎君に、どうしようもなく、恋をしていた。
メールの文章は用意してある。画面に表示された「送信」のボタンにタッチするだけ。たったそれだけのことを『完璧』と言われる私がこんなにも苦労するなんて。
私はなかば意地で、でも形にならない想いも込めて、送信ボタンを押す。 携帯電話には『送信中』の表示が点灯して、消えた。
メールはもう、私の手を離れてしまった。あとは、返事を待つだけ。
体中の力が抜けた。でも、心から抜けてほしいはずの緊張は、抜けきらなかった。
これは『生徒会長』ではない私が、私として送るはじめての、誘いのメール。
断られる心配はない。新田君はそういう人だ。都合が悪くなったとしても、別の日程をかならず提案してくれる。
困ったのは、彼に協力を仰いでいた校内の問題はもはや解決し、『生徒会長』としての私にはもう彼と話をするための口実はないこと。
無策だなんて、無謀もいいところだけど。
私はベッドの上の枕に顔をうずめるようにしてぎゅっと抱きしめる。
「だって、我慢できなかったんだもの」
誰に対する言い訳なのかもわからないセリフをつぶやいた。