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日本書紀本文神話を浚ってみる  作者: 村咲 春帆
卷第一 神代上/かみよのかみのまき
4/5

第四段 日本書紀本文神話を浚ってみる

第四段(本文)


 伊奘諾尊いざなきのみこと伊奘冉尊いざなみのみことは天浮橋の上に立ち、共に推し量って言うことには、「底の下にどうして国が無いだろうか(いやあるに違いない)」と。それで天之瓊矛あめのぬぼこ【瓊は玉である。これを「ぬ」と言う】でもって、指し下ろしてこれを探り、それで青海原を手に入れた。その矛先の滴った潮が凝り固まって、一つの嶋が出来上がった。これに名づけて磤馭慮嶋おのころじまと言う。

 二神はそこで、その嶋に降り住み、よって共に夫婦となって洲国を生みたいと望んだ。そこで磤馭慮島をして国中之柱くになかのみはしら【柱、これを「みはしら」と言う】とした。そうして陽神は左回り、陰神は右回りと国柱くにのみはしらを分かれて巡り、同時に出会い、顔を合わせた。その時に陰神が先に唱えて言うことには、「うれしいわ、美しい少男おとこ【少男、これを「おとこ」と言う】に会えて」と。陽神は喜ばずに言うことには、「私は男である。理として当然先に唱えるべきである。どうして婦人が(その理に)反して先に言うのか。事は既に不祥であって、以て改めて(柱を)回るのが良い」と。そこで二神は戻って再び互いに出会い、これを行った。男神が先に唱えて言うことには、「うれしいぞ、美しい少女おとめ【少女、これを「おとめ」と言う】に会えて」と。それで女神に問うて言うことには、「お前の身は何かを成すことがあるか」と。(女神が)答えて言うことには、「わが身には、一つ、雌の元となるところがある」と。男神が言うことには、「わが身にもまた雄の元となるところがある。思うに、わが身の元となるところを以て、お前の身の元となるところと合わせたい」と。そこで、陰と陽とは始めてまみえ合い夫婦となった。出産の時に至るに及んで、まず淡路洲を以て(出産の)おしるしとした。出来栄えが不快であったためで、それ故にこの(洲の)名を淡路洲と言う。そこで、大日本おおやまと【日本、これを「やまと」と言う。以下皆これに倣う】豊秋津洲を生み、次に伊予二名洲を生み、次に筑紫洲を生み、次に双子として、億岐洲と佐度洲とを生んだ。世の人が場合によっては双子を生む者があるのは、これを真似たものである。次に越洲を生み、次に大洲を生み、次に吉備子洲を生んだ。これによって、大八洲国の号が起こったのである。(陰陽の神々が生んだ洲は以上であるから)とりもなおさず、対馬嶋、壹岐嶋、及びここかしこの小嶋、皆これは潮の沫がこごってできたものである。また言うことには、水の沫が凝ってできたものであると。


 *


第四段(おさらい)


 北海道が発見されておらず、東北や沖縄もぼんやりとしか把握されていなかったっぽい当事の日本地図に鑑みれば、どうにも日本のへそのように見えてくる淡路島。

 仮に日本史上最古の島だったと主張されたとしても、感情論的にはさもありなんと思わないこともないですね。



 閑話休題よだんをもどして


 神世七代のラストを飾る伊奘諾尊・伊奘冉尊ペアが、七代目の御代(としか言い表しようがないでしょう)にしてようやく、何か仕事をしたらしいという『日本書紀』第四段。


 陰陽の二神から生まれたのが洲(しま)。

 潮だか水だかの泡が凝ったのが嶋(しま)。


「生」の字が用いられず、生もうという神々の意志とは与り知らぬところで出てきちゃった「胞(出産のおしるし? 破水? 胎盤?)」という扱いの淡路洲。

「生」の字が用いられるその他の洲々。


 生んだとか言い張ったところで、意思を持った有機生命体が相手という訳じゃなし、第一子生み損ない説とかナンセンス極まりないと思うんですが。

 実際、洲の化身(?)が云々だの、洲の名を冠した神が云々だのとかいうエピソードは出てこない訳ですし?

 何より「神でさえ第一子は生み損なうものだ」という前例(?)が公的な歴史書にある、ということで生じるデメリットの方が、大きいんじゃないですかね。

 下剋上だの皇位の簒奪だのを企む輩にとっては、何より心強い拠り所になり得るんじゃないでしょうか。


 そう考えてみると、壬申の乱で大友皇子(天智天皇第一子)を討って皇位を簒奪した天武天皇(舒明天皇第三皇子)の命で編まれたとされる『古事記』では「第一子生み損ない説」が採られているというのは、実に暗示的な感じがしてしまいますね。


 第一子がどうのとか論じているより、胞(出産のおしるし?胎盤?破水?)も胎児も汗(潮だの水だのの泡でも別に構いませんが)でさえ、「神から生じたすべてがシマ(字は問わない)となったのだ!」という理解の方が、よほど「神は偉大だ!」という感じがするんじゃないかと思いますが、どうでしょうか。



 ちなみに。

 第一から第十まである一書は、おおむね3つに大別できる気がします。


 細かな違いはあれど、磤馭慮嶋しか取り上げられないパターン(第二から第四)。

 どこの誰だか分からない者が、どこだか分からないところで本文並にガンガン島を生みまくるパターン(第六から第九)。

 本文の要約のようなふりをしつつ噛み合わないパターン(第一・第五・第十)。


 …うん、こんな感じ。



 まずは第一グループ(仮)。


「一書第二」では伊奘諾尊・伊奘冉尊ペアが、天の霧の中、「私は国を得ようと思う」などと言い出し、天瓊矛で探ってみたら、運よく磤馭慮嶋に突き刺さり、「良かったなあ、国があったのだー!」と大喜び。おしまい。



「一書第三」では伊奘諾と伊奘冉が(何故に呼び捨て?)、高天原にて「当然国があるはずだ」と言い出し、天瓊矛でかき混ぜて(高天原にいながらにして?)、磤馭慮嶋を作ったよ。おしまい。



「一書第四」では伊奘諾と伊奘冉が(またも呼び捨て)が相談して、「脂のようなものが浮いているよね、中に国があるんじゃないの」、それで天瓊矛で探って、一つ島を作ったよ。名を磤馭慮嶋と言うよ。おしまい。



 お次は第二グループ(仮)。


「一書第六」では二神(どこの誰と誰?七代目ペアのつもり?)とやらは共に夫婦となって、まずは淡路洲、淡島を出産のおしるしとして大日本豊秋津洲を生み(どこで?)、次に伊予洲、次に筑紫洲、次に億岐洲と佐度洲とを双子に生み、次に越洲、次に大洲、次に子洲(吉備子洲のこと?)。



「一書第七」ではまずは淡路洲を生み(どこの誰がどこで?)、次に大日本豊秋津洲、次に伊予二名洲、次に億岐洲、次に佐度洲、次に筑紫洲、次に壱岐洲(『古事記』版のみで生まれる洲)、次に対馬洲(これも『古事記』版のみ)。(で、越洲と大洲と吉備子洲は?)



「一書第八」では磤馭慮嶋を出産(どこの誰がどこで?)のおしるしとして、淡路洲を生み(どこで?)、次に大日本豊秋津洲、次に伊予二名洲、次に筑紫洲、次に吉備子洲、次に億岐洲と佐度洲とを双子に生み、次に越洲。(大洲は?)



「一書第九」では淡路洲を出産(どこの誰がどこで?)のおしるしとして、大日本豊秋津洲を生み(どこで?)、次に淡洲(あれ? 『古事記』版のみで生まれるものの、数に入れてもらえない洲じゃない?)、次に伊予二名洲、次に億岐三子洲、次に佐度洲、次に筑紫洲、次に吉備子洲、次に大洲。(越洲は?)



 ラストは第三グループ(仮)。

 順番は意図的です。


「一書第十」では陰神(どこの誰? 伊奘冉尊のつもり?)からまず「美しいわ、愛しい男よ」と声を掛けるや(どこで?)、すぐに陽神(どこの誰? 伊奘諾尊のつもり?)の手を握り、ついに夫婦の営みをして(やり直しナシ?)、淡路洲を生んだ(どこで?)。次に蛭児(ひるこ。児? って子ども? 既に島じゃないし。次世代の神?)。



「一書第五」では陰神(どこの誰? 伊奘冉尊のつもり?)からまず「美しいわ、いい男よ」と声を掛けた(どこで?)。そのとき陰神の言葉が先だったのを理由に不祥とみなして、さらにまた改めて回った(どこを?)。そして陽神(どこの誰? 伊奘諾尊のつもり?)からまず「美しいな、いい女よ」と声を掛けた(だからどこで?)。ついに交わろうとした(どこで?)、ところがその方法を知らなかった(神なのに? 別に神流でいいじゃん。神なんだし)。そのとき鶺鴒が飛んできて(神が世界を作る前からいたんだ)その頭と尾を振った。二神はご覧になって学ばれ、すぐに交合の方法を覚えた。



 わざわざ最後まで残しておいた突っ込みどころ万歳の「一書第一(≒『古事記』)」では、(どこからともなく颯爽と登場する)天神とやらが伊奘諾尊・伊奘冉尊ペアに「豊葦原千五百秋瑞穂之地ってとこがあるから、てめえら行って治めてこいや」などと言い出し(上意下達)、天瓊矛を与えたんだとか(え? 院政? むしろ影の指令? ていうかどちら様? それ以前に七代目ペアはパシリ?)。そのくせ行った先に広がっているのは青海原(豊葦原千五百秋瑞穂之地とやらはどこに?)。


 磤馭慮嶋作りはまあルーティーン・ワークとして、八尋の御殿を作るのはやりすぎだろう(そんなに広いのか? 滴でできた島が?)。


 とりあえず天柱を立てたところで、何故か話題は互いの体のことに。

「本文」とは違い、洲国を生みたいとか一言も言ってないし、「豊葦原千五百秋瑞穂之地ってとこがあるから、てめえら行って治めてこいや」っていう指令を受けただけなのに何故にこの流れ?

 職務放棄?

 陽神と陰神が出会ったらやることは一つ的な、そういう流れですか?


 何はともあれ天柱を回る約束をし、陽神の指示通り、陰神は左、陽神は右(「本文」とは逆)から回ることに。

 陰神から声をかけるくだりは本文と変わらないものの、そのまま夫婦の営みに突入。

 蛭児(ひるこ。児? ってことは子ども? 子作りしたくなった訳?)を生むも、何故だかさくっと葦の船に載せて流す冷淡さよ(ていうか二神の目的が見えてこない)。

 自分達の間違いにも気づかず、そのまま子作り第二弾、淡洲出産(今度は洲? ってことは島? 子じゃないの?)。

 これも気にくわなかったらしく、子(ああ、島が子扱いなんだ。子作りで文字通り児が生まれたんなら喜べばよかったのに、「蛭児」)の数には入れず無視。


 ここでようやく、何かおかしいと気づいたらしく、上司(天神)の指示を仰ぎに帰る(サラリーマンの悲哀?)、現場の二神(子作りって指示範囲だったですかね?)。

 上司は上司で占い(=神頼み。さらに上位の神へのお伺い?)でそれに答えるという不思議さよ(あれ? 天神って中間管理職?)。

 しかも回答は断定じゃないというね。


 とりあえず陰神から声をかけたのがまずかったっぽいという占い(神頼み)の結果を基に、吉日まで占ってもらって(神でも分からないの?)再チャレンジ。

 今度は陽神は左回り、陰神は右回り(「本文」通り。特に指示はないから思いつき?)して、指示通り陽神から声をかけたうえ、宮を同じくして住んで、またまた子作り。

 こうして生まれた子が、大日本豊秋津洲、淡路洲、伊予二名洲、筑紫洲、億岐三子洲、佐度洲、越洲(『日本書紀』版のみ。『古事記』版では壱岐洲)、吉備子洲(双子は生まなかったらしい。『古事記』版では第二陣扱い)。これによって、これらを大八洲國と言う。


 ちなみに『古事記』版との最大の違いはその生まれ順。

 淡道之穗之狹別嶋(淡路洲)→伊豫之二名嶋(伊予二名洲)→隱伎之三子嶋(億岐三子洲)→筑紫嶋(筑紫洲)→伊伎嶋(?)→津嶋(?)→佐度嶋(佐度洲)→大倭豐秋津嶋(大日本豊秋津洲)ですからね。

 「まともな子ども」とやらのトップバッターが淡路島であり、次席が四国である理由は何だろう? 『古事記』って実は淡路島周辺の歴史書? それを全国版に書き改めたのが『日本書紀』? …なんてね。


 それにしても。

 言うのは勝手ですが、結局「豊葦原千五百秋瑞穂之地」ってどこのこと?

 そもそも天神の上司がどこのどなたさんなのかを知りたい。

 帝釈天か?



 こうして一書にひとつずつ当たってみると、どうにも本文には太刀打ちできないような印象を受けてしまいます(そしてこれを唯一の本文としてはばからない『古事記』は大丈夫か? いやいっそ『日本書紀』目線の『古事記』は膨大な原資料の中の一扱いなのか?)。

 それにしても。

 本文のすぐ隣に、一書(異説)とはいえその筆頭として、この説話(一書第一)が採られた理由は何なんだろう。

「一書第一(というより第一子生み損ない説)」を何としてでも公的な歴史書にねじ込みたい一派でもいたのかな(偏見)。

 皇位の簒奪や下剋上を狙っているとかいう理由で?



 ちなみに、よくよく読めば、第一子はおろか第二子も子の数には入れられておらず、言うなれば「まとも」な子どもは第三子からですよという世間へのアピールなのか(しかもちゃっかり「大日本…」とか名乗ってるし)。

 下剋上を成し遂げた天武天皇が「舒明天皇第三皇子」というところに、実に暗示的なものを感じてしまいますね。


 あるいは上意下達で、神でさえ組織の中では命令される存在なのだということをアピールしたかったのかな。

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