第三段 日本書紀本文神話を浚ってみる
第三段(本文)
そもそも八神なのだ! 乾坤の道は互いに混じあって成立する。だからこれらは男女をなす。國常立尊から伊奘諾尊・伊奘冉尊まで、これを神世七代と言うのだ!
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第三段(おさらい)
『日本書紀』本文、魂の叫び、再び。
(置き字「矣」は強調の意味です、ハイ)
凡八神矣。
そもそも八神なのだ!
自國常立尊迄伊奘諾尊伊奘冉尊、是謂神世七代者矣。
國常立尊から伊奘諾尊・伊奘冉尊まで、これを神世七代と言うのだ!
本文の主張と相容れない説であっても、一応列記してきた『日本書紀』本文が、ここに来て吼えまくっています。
何が何でも八柱の神が揃わなきゃならんのじゃー! ってとこでしょうか。
しかも、乾の道=天の道=陽の道=男の道から独りでに生まれた純粋な男神である原初三兄弟が始まりの神だと言っていたくせに、いつの間にやら「乾坤の道は互いに混じり合って成立する」と来たもんだ。
坤の道=地の道=陰の道=女の道はどこからきたんじゃーい!
本文だってのに、高天原ばりに不親切な説明はやめろー!
そもそも八神で「神世七代」とかこれ如何に。
原初三兄弟プラス四ペアで七代ということよ?
純粋な陽の道(陽気みたいなもの?)から生まれた神は一柱で完全体で、陰陽の気が混じりあって成立した神はペアじゃなきゃ完全体じゃない、みたいに読めるのは、気のせいですかね?
しかも。
「國常立尊から伊奘諾尊・伊奘冉尊まで」と明記している以上、原初神のメインに國常立尊を据えていない、第一段一書第二・第三・第六や、神の列記に伊奘冉尊が含まれない第二段一書第二は、異伝・異説として伝わっているとはいえ嘘っぱちだ! とでも言いたいんでしょうかね。
中国伝来の思想に則って何とか辻褄合わせて日本神話を纏め上げようとする、当時の官僚の苦心のようなものが窺えるような気がして仕方がないです。
ちなみに。
「一書第一」では、「男女が揃って生まれた神は…」と、まだ第二段のつもりかよ! と突っ込みたくなるほど第二段本文そのままに四ペアを紹介するも、別名はなし。何故か五代目のペアは大戸之道尊と大苫辺尊ではなく、角樴尊と活樴尊となっているくらいかな、目新しいのは。
いっそこれを「第二段一書第二」にして、元々の「第二段一書第二」を「第二段一書第三」したところで大差なかったろうにねー。不思議不思議ー。