第二段 日本書紀本文神話を浚ってみる
第二段(本文)
次に神がいた。埿土煑尊【埿土、これを「うひぢ」と言う】、沙土煑尊【沙土、これを「すひぢ」と言う】【または埿土根尊、沙土根尊と言う】。
次に神がいた。大戸之道尊【一説に言う、大戸之辺】、大苫辺尊【または大戸摩彦尊、大戸摩姫尊と言う、または大富道尊、大富辺尊と言う】。
次に神がいた。面足尊、惶根尊【または吾屋惶根尊と言う。または忌橿城尊と言う。または青橿城根尊と言う。または吾屋橿城尊と言う】。
次に神がいた。伊奘諾尊、伊奘冉尊。
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第二段(おさらい)
『日本書紀』本文で認められた、四ペア・八柱の神々。
とりあえず、最初の三ペアまでは、パラパラと別名も見られます。
この時点では性別は不明。
「ペア=陰陽二元論=男女」なんていう解釈をしちゃう人もいるみたいですが、第一段のラストで「原初神=混じりけなしの男」と書いちゃう神話ですから、陰陽二元論がこの時点で有効になっているのかは謎のままですよね? むしろ、「書いていない」=「前段の設定から変更なし」という解釈だって成り立ち得るんじゃないか! とあえて言っておきたい。
(まあ、別名の中にちらほら「彦」だの「姫」だのという単語が出てくるので、当時は男女として捉えられているペアもあったのかもね…? くらいのことなら言えないこともないみたいですが)
それにしても。
惶根尊の別名の多さときたら…!
豐斟渟尊の時にも触れましたが、地域猫か? と思うような盛況っぷり(さすがに豐斟渟尊には敵いませんが)。それだけ地域に密着していたか、名前の数だけいた神の代表として選ればれたか、どちらにせよ第二段では重要な神なのかも知れないですね。
んー…、その論法からいくと、ラストの一ペアは何だ?
間違える余地がなかったのか、はたまた流布していなかったのか、新しい神なのか…?
ちなみに。
「一書第一」では唐突に、「この二神は青橿城根尊(=惶根尊)の子だ」と言い出します。どの子? と面食らう感じですが、順番的には多分、伊奘諾尊&伊奘冉尊ペアのことでしょう。前段からの続きで、葦の若芽から次々に生まれてきたのかな? と思いきや、ラスト一ペアのみ別名でにぎわう青橿城根尊(=惶根尊)から生まれたんだよ、という。本文におんぶに抱っこの、特殊感てんこ盛りの記述ですね。ていうか青橿城根尊(=惶根尊)が独りで生んだのなら、ペアの片割れはいったい何をしてたんでしょうね。
「一書第二」では「國常立尊が天鏡尊とやら生み、天鏡尊とやらは天萬尊とやらを生み、天萬尊とやらは沫蕩尊とやら生み、沫蕩尊とやらが伊奘諾尊を生んだ」とか言い出します。これはあれかな、「第一段一書第五」の、原初神は國常立尊ただ独り説からの流れなのかな。それとも、三柱セットのうち國常立尊だけが子をなして、後の二柱は子孫を残しませんでした設定なのかな。いずれにせよ、原初神最多登場の國常立尊の直系子孫として、伊奘諾尊だけがピックアップされるというのは実に暗示的ですね。しかも頭(國常立尊)が男神で尻尾(伊奘諾尊)も男神。意外に男神だけの系譜だったりして。だとしたら一元論の系譜ということになる訳で、ますます暗示的ですね。