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日本書紀本文神話を浚ってみる  作者: 村咲 春帆
卷第一 神代上/かみよのかみのまき
1/5

第一段 日本書紀本文神話を浚ってみる

 第一段(本文)


 昔むかし、天地はいまだ分かたれておらず、陰陽の区別もなかった。その混沌さは鶏の卵のようであったが、仄かながら何らかの(きざ)しを含んでいた。その混沌のうちの澄み明らかなるものは漂い昇って天空となり、重く濁ったものは滞って大地となるに至ったが、澄み明らかなるものが合わさったものはまとまりやすいが、重く濁ったものが寄り集まったものは固まりにくい。それゆえ天が先にでき、地は後から定まった。その後、神がその中に生まれたのだった。そのため言われることには、世界の始まりの初めに国土が浮き漂っていることは、譬えるならば、水中を生き生きと泳ぐ魚が水の上に浮かんでいるようなものだと。時に、天地の中に一つの物が生じた。形状は葦の若芽のようだった。やがてそれが神となった。國常立尊くにとこたちのみことと申し上げる【きわめて尊い方を尊と言い、それから漏れた方を命と言う。ともに「みこと」と読む。以下すべてこれに倣う】。次に國狭槌尊くにさつちのみこと。次に豐斟渟尊とよくむぬのみこと。そもそもは三柱みはしらの神なのだ。天の道、陽の道から独りでに生じた。それでこれらの神を純粋な男神とする。


 *


 第一段(おさらい)


『淮南子(俶真訓&天文訓)』×『三五歴記』のお力を借りて物々しくスタートを切った『日本書紀』本文。

 想定された読者層は当然のことながら、華夷思想という名の自文化中心主義エスノセントリズムが蔓延る当時の世界の中心「唐」のお歴々のはずで、そういった意味では中国の古典籍を駆使した潤色の数々は、遣隋使の親書(日出づる処の天子云々)ごときではまだまだ東夷扱いを跳ね除けられなかったであろう日本が「世界の中心(唐)で対等を叫ぶ」ための涙ぐましい努力の痕かなという気がします。

 日本書紀区分論のスペシャリスト・森博達もりひろみち氏の区分によれば、読んでいくつもりの「神代(全二巻)」は徹頭徹尾「β郡」、倭習(倭臭)漂う日本人の手になるものだそうですから(ちなみに中国人の手になるものを「α群」と呼んでいらっしゃいます)、日本史上(恐らく)初となるであろう正史の冒頭の執筆ということで、余計に大上段に構えて、必要以上に力が入っていたかもしれません。

 ただそうなると「どこからどこまでが真の意味での日本の神話なの?」という疑問がちらついたりもする訳ですが…。 

 そこはまあ、海外向けではないと噂の「格調高い見事な四六駢儷体しろくべんれいたいで書かれた『古事記』序文」とやらでさえ、儒教の基本経典とされた五種の経典の官撰注釈書『五経正義ごきょうせいぎ』を皇帝に提出する際に付けられた上表文じょうひょうぶんである『進五経正義表しんごきょうせいぎひょう』のアレンジ(という名の引き写し)で、「どこからどこまでが真の意味での編纂の目的なのかぶっちゃけよく分からない」のとどっこいどっこいじゃん、ということで。



 閑話休題よだんをもどして


『日本書紀』本文で認められた原初神は、國常立尊くにとこたちのみこと國狭槌尊くにさつちのみこと豐斟渟尊とよくむぬのみこと、以上、三柱のみ。



 なんたって。


「凡三神矣。」ですから(置き字「矣」は強調の意味)。

「そもそも三神なのだ!(『日本書紀』、魂の叫び。)」


 ※とりあえず、強調の意味を持つ置き字「矣」が使われている時の訳は、「~なのだ!」で統一させていただきます。そこは『日本書紀』の叫びと当方理解しておりますので悪しからずご了承下さい。



 そういう訳で、(内訳はともかく)三柱揃ってなけりゃあ駄目みたいですよ。


 しかも『淮南子』に則った陰陽二元論スタートのはずが(実際、天地にまでは分かれてますしね)、何故だかオチは陽で一本化というね。

 多分、それこそが日本独自のカラーなんでしょう(偏見)。

 陰と陽とには線引きできない、全部ごった煮の一元論。

 ダンゴ三兄弟ならぬ原初三兄弟(仮称)が日本古来の神々ということで。




 ちなみに。

「一書第一」は三柱の別名列記がメイン。特に豐斟渟尊とよくむぬのみことの別名ときたら、地域猫か? と思うような盛況っぷり。かなりの勢いで地域に密着していたものと思われます(偏見)。もしくは名前の数だけいた神が、代表として選ればれた一柱に集約されていったとか…? その可能性も否定できないか。

 翻って世界を見れば、神話の数だけ太陽神がいる訳で、島国であり山国であった日本が、居住エリアごとに神話を持ち、神がいたとしても……まあおかしくはないか。

 その集大成が『日本書紀』?

 さながら口承文学の集大成『子ども達と家庭の童話(要はグリム)』のようですね(成立年代的にはグリムの方が新しいですけれどもね)。



「一書第二」では葦から可美葦牙彦舅尊うましあしかびひこぢのみことなる神が一番に生まれ出たと言い出した挙句、それに國常立尊くにとこたちのみこと國狭槌尊くにさつちのみことコンビを加えた三柱を根源神とする。豐斟渟尊とよくむぬのみことは影も形も出てこない。(≒『古事記』)

 そもそも神より前に葦があるって…?

 じゃあ葦は神が創り賜うたものじゃないんだ。むしろ神を創るものなんだ。



「一書第三」では國狭槌尊くにさつちのみことまで姿を消し、根源神は「神人」可美葦牙彦舅尊うましあしかびひこぢのみことと、國常立尊くにとこたちのみことの二柱とされてしまう。

 それにしても「神人」という表現がまた意味深。



「一書第四」では逆に可美葦牙彦舅尊うましあしかびひこぢのみことが姿を消し、國常立尊くにとこたちのみこと國狭槌尊くにさつちのみことコンビが復活。豐斟渟尊とよくむぬのみことは相変わらず出てこず、根源神はまたもや二柱とされてしまう。


 かと思えば、「一書第4.5」程度の例外中の例外の扱いで、「高天原」なる新天地が突如登場し、そこに生まれたとかいう三柱――天御中主尊あめのみなかぬしのみこと高皇産霊尊たかむすひのみこと神皇産霊尊かむみむすひのみこと――とやらが紹介される(≒『古事記』)。混沌から生じたばかりの天地や、國常立尊くにとこたちのみこと國狭槌尊くにさつちのみことコンビとの関係は全くの謎である。



「一書第五」ではごくシンプルに、國常立尊くにとこたちのみことのみを根源神として扱う。



「一書第六」にもなると、國常立尊くにとこたちのみことを意識したのか、天常立尊あめのとこたちのみことなる神まで現れ、以下定番になりつつある可美葦牙彦舅尊うましあしかびひこぢのみこと、最多登場の國常立尊くにとこたちのみことと続く。そしてやっぱり三柱セット。



 こうしてみてくると、やっぱり「本文」が一番自然な感じがしてしまいますね(多分偏見)。


「念願の(?)三柱セットで、その内訳は登場回数1位2位と別名最多神。」


 なんと順当なことではないか。



 違和感があるのは勿論、三柱揃っていない一書第三・第四・第五。

 後は何気に「一書第4.5(仮)」もかな。


「又曰く、高天原の生る所の神は(また言う、高天原に生まれたという神は)…」で始まるや、三柱を列挙しておしまいですからね。

 オープニングにもかかわらず、前後関係まるで無視。

 説明不足にもほどがあるだろうという気がしてしまいます。

 …書き捨てか?



「自分達が正統と断じた伝承の他に、異説もちらほら耳にしたので、とりあえず場合分けして、一通り列挙しときました」とでも言いたげなにおいがぷんぷんしてきません?

 出典なんかも伏せられちゃってるし?

 そこは本当に「口伝」のみで、どうにも書きようがなかった、という可能性も…まあ、否定できない訳じゃないですけれどもね。



 そういう意味でもグリム的なのかもなあ。

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