海の神 〜漁師の家に産まれた私〜
「実話」
私が生まれたとき、嬉しかった?
私は他の家庭が羨ましかった。家族みんなで誕生日を祝ったり、旅行へ行ったりする。
うちは貧乏な訳ではないのが、父の仕事の都合で、そんな行事なんて無かった。
小学生のときの休み明けに、クラスメイトのほとんどが、
「キャンプに行ってきた」
とか、
「家族で遊んだ」
と、日記に書いていた。私はそんなクラスメイトがとても羨ましかった。
でも私の家族は温かかった。家庭内の行事を除けば、どこにでもいる幸せな家族だった。
私が小学6年生になったある日、自分が生まれたときのことを、母に聞いた。
「うちが生まれたときどうだった?」
すると母は笑顔で答えた。
『本当に辛かったけど、産まれてきたお前を見たら、嬉し涙が出てきたよ。』
その時私は、母の子で良かったと心底思った。
しかし父は、私が産まれたとき、病院には来ていなかったという。母は一人で私を産んだそうだ。
でも私は
「父は漁師だから、きっと病院に行きたくても、仕事中で行けなかったんだ。」
と思った。
漁師は一度海に出たら、直ぐには戻ってこれない仕事だから、仕方ないと思っていた。
しかし私が産まれ時間は海に出ているはずの時間ではなかった。母に聞くと、父はその頃自宅にいたとの事だった。
私は父に無償に腹が立った。母が一人で頑張っているのに、父は何をしていたんだと。
それから私は父に対して、冷たい態度をとっていた。
父は最低だ…。
しかしそれから2年後。
「うちが産まれたとき、父は嬉しくなかったの?」
と私は母に聞いた。
すると母は驚きつつも答えた。
『嬉しかったに決まってるでしょ。』
そして2年前から気になっていた事を聞いた。
「じゃ、どうして父は病院に来なかったの!」
『魚が捕れなくなるからだよ。海の男が"結婚"したり、"子供"が産まれたりすると、その年の漁獲高が悪くなる事があるんだよ。海の神は"女"だからね。』
私は泣きたくなった。今まで散々父に冷たい態度ばかりとっていた。私は馬鹿だ…。
父と母は昔、私達こどもが産まれてきたら、楽な思いをさせてあげたいと、出稼ぎに行った事もあったということを、今は亡き祖母に聞いた。
私は父に謝った。そして感謝をした。
「ありがとう。」
今父は、ここ青森を抜け出し、千葉県で船頭の右腕として働いている。
父へ。
今日も体に気を付けて、仕事頑張ってください。
私は、父の子で本当に良かったです。