婚約者が病弱な幼馴染のお見舞いに行くと言うので、私は野菜を届けることにした
ブレンダにはコンスタン・バローという金髪碧眼の麗しい婚約者がいる。
彼は王都にある名門、私立バダンテール学園の三年生だ。
一つ年下のブレンダは、平民も通うことのできるランジェサン王立学園の二年生である。
バロー伯爵家は王都に立派なタウンハウスを構える羽振りのいい貴族で、ブレンダとは二年前に婚約した。
コンスタンにはクリス・シェラール男爵令嬢という幼馴染がいる。血管の青がくっきり浮かぶほど白い肌に儚げな淡緑色の髪を腰まで伸ばした美女らしい。学園に通うことができないほど身体が弱く、夜会に出席したこともないのだとか。
コンスタン曰く、クリスはどこに出しても恥ずかしくない淑女なのに婚約者が決まらず、シェラール男爵はいつも嘆いているのだとか。
「ブレンダ、すまない。クリスが熱を出したらしい。見舞いに行くから、カフェには一人で行ってくれないか?」
「承知しました。婚約一年目の記念日も行けず、今年こそはと思いましたが仕方ありませんね」
「それは嫌味か?」
「いいえ。ただの事実です」
ブレンダは首を傾げた。事実を述べると嫌味になるらしい。都会の貴族的言い回しに疎い田舎育ちのブレンダは心の中にメモをする。
――事実を述べると嫌味になる、と。
「クリスが健康であれば、瞬く間に婚約が決まるだろうに。もったいないことだ。鍬を持つことしか脳のない猪ブレンダには、彼女の苦しみなどわからないだろうね」
「それは、申し訳ありませんでした?」
コンスタンはブレンダの言葉に眉根を寄せると舌打ちをして、ジェデオン子爵家のタウンハウスから去って行った。
ブレンダは領地で男顔負けの見事な鍬さばきを見せる。ざっくざっくと掘り進む後姿は領民たちに大変人気があるのだが、コンスタンには猪と呼ばれている。
「なぜ舌打ち?」
町歩き用のワンピースにポシェットを下げたブレンダは、再び首を傾げた。
「着替えて損したなぁ」
別に町歩きにもカフェにも興味はなかった。記念日なので行こうと書かれた手紙が届いたから待っていただけである。
「あんれぇ。お嬢様、まーたすっぽかされたんですか?」
侍女のマリエッタが豊かな身体を揺らしながら近づいてきた。
「クリスさんが熱だって」
「一年前の婚約記念日も、お嬢様の誕生日も、婚約者様の誕生日も同じことを仰ってましたよねぇ。先月の王太子殿下主催の夜会もすっぽかされてましたし?」
「うーん。仕方がないんじゃない? クリスさんが熱だから」
「そのクリスさんも貴族のお嬢さんでしょうに。家の方は何も仰らないので?」
「さぁ?」
「婚約者のいる男性が、近所に住んでいるっていうだけのお嬢さんの熱で、なぜ夜会や記念日のデートをすっぽかすんです?」
「私に聞かれてもー」
「ちゃーんと、あのお坊ちゃんを問い詰めないと駄目ですよぅ」
マリエッタは呆れたように首を振った。
「お嬢様の鍬さばきは一流ですが、婚約者さばきは三流以下ですねぇ」
「えー。そういう厳しいことはお母様以外には言われたくないなぁ」
「さっきも猪なんて言われて、怒りもせず」
「聞こえてたの?」
「聞こえてませんよ。やっぱり言われたんですね。ちゃあんと叱らなきゃ駄目ですよぅ」
「えー。猪、可愛いし」
「かわ……ええ……うり坊は可愛いですわね、ええ、可愛いですとも。でも何故かマリエッタは泣きたくなってきましたよぅ」
顔を手で覆うマリエッタに、妙案を思い付いたブレンダがポンと手のひらを打つ。
「そうだ!! 領地から届いた野菜をプレゼントしに行こう!!」
「誰にです?」
「クリスさんよ」
「それは修羅場……いえ、そうですね。いっそ行きましょう。そうしましょう。珍しくお嬢様もおめかしなさってるし」
「町歩き用のワンピースでいいの? あちらは美女って噂だよ?」
「猪と呼ばれても気にしないのに、そこは気になるんで?」
「そりゃそうよ。美女なんて、領地じゃなかなかお目にかかれないし」
「あれまぁ。お城の夜会に行けば、国中の美女がわんさか出席しておりますよぅ」
「だって、デビュタントのときのことは緊張で何も覚えてないし、婚約した後に一度だけ行った夜会は小規模だったし、顔を出しただけで帰れと言われて馬車に乗せられて、ダンスも踊ってないし……あれ? 私なんか酷い扱い受けてる?」
「ええ。やっと気付きました? それでも行きます? クリスさんのお家」
「うん、行く。うちの領地の野菜は栄養たっぷりだもん。スープにして食べてもらえば、元気になってもらえるかもしれないし」
「マリエッタはお嬢様が心配で心配で、それ以上に可愛くて仕方がありませんよぅ」
「ありがとう。よくわかんないけど、一緒に行ってくれるってことだよね?」
「ええ。お供いたしますよぅ」
馬車に野菜をいっぱい詰め込み、シェラール男爵家を目指す。バロー伯爵家の隣なので、道に迷うこともなく到着した。
「ここかぁ」
「ずいぶん立派ですねぇ」
父に無理を言って、書状をしたためてもらった。知らない令嬢が野菜を山ほど持ってきたら驚くだろうと思ったからだ。先に到着しているはずのコンスタンがブレンダを紹介してくれたとしても、貴族というのは用心深いものだ。伯爵令息の言葉より、父の書状の方が重い。
「そこには気付くんですねぇ」とマリエッタは不思議がっていた。
従僕がシェラール男爵家のドアノッカーを叩き、中から出てきた家令に書状を渡す。しばらくすると中へどうぞと通された。
真鍮の燭台や、緻密な模様の手織り絨毯、出された茶器とケーキの乗った皿は乳白色の磁器だ。どれも高級感があり、年代を感じるが、手入れが行き届いている。長く大切にされてきたことがうかがえた。
ブレンダに対する礼儀も素晴らしかった。クリスを呼んでくるのでしばらく待って欲しいと言われ、座るとふわっと浮き上がるようなソファーに座らせてもらった。
(婚約しているバロー伯爵家よりも歓迎されている気がするのは何故かしら)
野菜を渡したら帰ろうと思っていたのに、すっかりもてなされている。
「あのう。クリス様は体調がすぐれないとコンスタン様にお聞きしております。ご無理なさらないで下さいと伝えていただけますか? 私はお暇しますので」
近くに控えているメイドに声をかけると、彼女は目を見開いたあと、おずおずと口を開いた。
「失礼ですが、」
「お待たせしました!!」
バターンと大きな音を立てて扉が開かれ、帰ろうと腰を上げかけたブレンダは目を丸くした。何かを言いかけていたメイドも体をビクリと震わせている。
「クリストファー・シェラールです。父は生憎不在で、本日は私が家を任されております。領地の野菜をたくさんお持ちいただいたということは、ようやく品評会に出す決断をされたということでしょうか?」
クリストファーと名乗った人は、確かに血管の青が浮きそうなほど白い肌の持ち主であったが、男性だった。長い淡緑色の髪をひとくくりにし、茶色の眼鏡をかけている。慌てて着替えたのか、タイが少しズレていた。
「突然お邪魔して申し訳ありません。私はブレンダ・ジュデオンです。あの、コンスタン様の幼馴染のクリス様がですね、今日も熱を出されたとお聞きしまして、ちょうど領地から野菜が届いたので……?」
ブレンダは話しながら何かがおかしいと首を傾げた。彼は品評会と言ってなかったか。
「コンスタン様とは、お隣のバロー伯爵家の?」
「はい」
「私が熱?」
「ええと……はい? いえ、ご令嬢のはず……? もしやコンスタン様はいらしてないのですか?」
「コンスタン様のことは存じておりますが、全く親交がなく、彼がここを訪れたことは一度もないかと」
クリストファーも首を傾げながら向かいの席に座る。
ブレンダはここに来るまでの事の成り行きを説明した。
「……というわけで、我が領地の野菜をスープにして食べていただきたくてお待ちしたのです」
「我が家にはクリスティーナと言う私の双子の妹がいますが、彼女はティナと呼ばれておりますし、病弱ではありません。気象学を研究しており、師と共に各地の天候の調査を行っているため、ほとんど家に帰って来ないのですよ」
「まぁ、お元気なのですね?」
「はい。むしろ元気過ぎるぐらいです」
二人のクリスは共に研究者らしい。クリストファーは作物がよく育つ土壌の研究をしているのだとか。
三人いる兄とシェラール男爵は文官で、王城に出仕しているらしい。
そのシェラール男爵が、父にジュデオン子爵家の作物を品評会に出さないかと再三持ち掛けてくれているのだとか。
「ジュデオン子爵領の作物は凄いですよ。瑞々しく甘みがあり、味が濃い。作物に合った肥料と土を選び、水やりが適切なのでしょう。品評会に出品すれば、金賞を取れるはずです。そうすれば王家御用達になりますし、公費も支給されますから、設備投資もできるし、万が一の不作や天候不良にも金銭面で備えることができるようになります。それで父はお勧めしているんですが」
「そんな素晴らしいものに推薦して頂いてたなんて知りませんでした」
王城が絡めば書類が増える。事務仕事が苦手な父や兄には、少々荷が重いかもしれないと思いながらブレンダは頭を下げた。
「勘違いで押しかけてしまって、申し訳ありません」
嘘をついたのはコンスタンだが、調べもせずに突撃してしまったのはブレンダの落ち度である。穴があったら入りたいぐらい恥ずかしかったが、クリストファーが人の間違いを笑う人でなかったことが救いだった。
「恥ずかしくてたまりませんが、どなたも体調を崩されてなくて良かったです」
熱で苦しんでいる令嬢は居なかった。そそっかしいブレンダが恥をかいたぐらいで済んだ。
猪突猛進で押しかけ、こうして迷惑をかけてしまっていることに関しては、本当に申し訳ないと思う。
クリストファーが一瞬、時を止めたかのように動かなくなった。
「あの、クリストファー様?」
「……あっ、申し訳ありません。こちらこそ、ジュデオン子爵から父へのお手紙でしたので勝手に品評会のことかと早合点しまして、お恥ずかしい」
ブレンダとクリストファーは、互いに何度も恥ずかしいと言いながら謝罪し合った。
帰りの馬車でマリエッタが「素敵な方でしたねぇ」と、ため息を漏らすように呟いていた。
その一週間後、コンスタンとブレンダの婚約は破棄された。
コンスタンが警邏に捕縛されたからだ。
コンスタンは学友たちと違法賭博にハマっていたらしい。私立バダンテール学園では金銭の巻き上げや暴行が横行していたのだとか。そこから芋づる式で違法賭博が露呈し、コンスタンも足しげく通っていた一人であったことが発覚したのである。
社交界トップクラスの貴族令息たちが次々と捕縛されたスキャンダルは、国中を震撼させた。
そのため、コンスタンとの婚約は破棄され、ジュデオン子爵家はバロー伯爵家に相応の額の慰謝料を請求した。シェラール男爵家が全ての書類に目を通し、アドバイスをくれたおかげだ。
その縁でブレンダとクリストファーの婚約が決まった。ブレンダは学園を退学し、治安の悪い王都を離れ、領地に帰ることになった。
* * *
「婿様ぁ〜。そんな日なたに立ち続けてたら身体がもちませんよぅ」
「マリエッタさん、私は色白ですが別に体が弱いわけではないんですよ?」
「何を仰ってるんですぅ。この間も日焼けで酷い思いをされたでしょう。パラソルの下にお入りください」
マリエッタはパラソルのお陰で日陰となったテーブルにお茶を置いていく。
「お嬢様ぁぁあああ!! お茶の時間ですよーー!!」
獣が逃げそうなほどの大声でマリエッタがブレンダを呼んだ。
彼女はいま、領民に大人気の鍬さばきを披露しているところだ。
「あれが始まってしまうといつもこうなんです。これを見た前の婚約者さんは猪だなんて言ってましてねぇ」
「猪ですか。なるほど。それは可愛いですねぇ」
ブレンダの健康的な肌と、高い位置でひとくくりにした可愛らしい茶色の髪が揺れている。
クリストファーは目を細め、眩しい気持ちで眺めた。
シェラール男爵家に来たブレンダは、嘘をつかれていたというのに、病気の令嬢がいなかったことを『良かった』と言った。
この純粋さでバロー伯爵家と婚約しているのかと心配し、同時に彼女の清らかさに胸を打たれた。
(元々、警邏にマークされていた家だけど、綻びを突いておいて良かった)
クリストファーは私立バダンテール学園に籍を置く研究者だ。クリストファーの研究は城からの出資で進んでいるため、普段は研究室にこもっている事が多い。
コンスタンは嘘に少しの真実を混ぜ、違う学園に通うブレンダなら気付かないだろうと高をくくっていたのだろう。彼女の行動力までは計算できていなかったようだ。
クリストファーは生徒たちの素行が悪くなっていることを感じ、密かに調査していた。当然、コンスタンの名前も出てきていたのだ。
それがこんな形で役に立つとは思ってもみなかったが、怪しい人物の動きを徹底して調べるという、代々続くシェラール家の官吏の血が騒いだ。
その調査資料は、兄経由で城の中を渡り歩き、瞬く間に多くの官吏の目に触れ、すぐに宰相の元に届いた。親たちが気付いたころには令息の捕縛を阻止できないものになっていた。
コンスタンが捕縛され、クリストファーは父を通して婚約を持ち掛けると同時に、バロー伯爵家に慰謝料を請求するようアドバイスした。
その際、婚約時の書類にも目を通したが酷いものだった。
表向きは収穫不良となった場合に援助をするという文章に見えるが、かなり難解化されており、ひとたび不作などがおきれば、それ以降の売り上げを全て乗っ取られても文句は言えないようになっていた。
そのための婚約であることは明白で、次男のコンスタンは良い婚約者を演じ、彼女と結婚する必要があった。
しかし、本人は賭博に夢中でそれどころではない。かと言ってデートに誘わなければ父親に怪しまれる。そんなところだろう。
「婿様が猪を可愛いと仰ると、なぜか嫌な気持ちにはなりませんねぇ」
「愛してますからね」
「まぁ!! まぁまぁ!! そうですか、そうですか。マリエッタは嬉しくて、婿様の顔が滲んできましたよぅ」
「これぐらいのことで、よしてくださいよ。それに、うちは子だくさんの家系ですから、マリエッタさんも泣いている暇がないほど忙しくなりますよ」
マリエッタが泣き笑いしながらハンカチで顔を拭っている。
クリストファーはその背をトントンと優しく叩いてから叫んだ。
「ブレンダ、一緒にお茶を飲もう」




