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第4話「泣き終わったら立って」

 蒸気管が破裂した。


 朝の八時。通学路の途中。クロックハイムの第七街区。住宅地。石畳の道の地下を走る主蒸気管が——老朽化した接合部から、一気に噴き出した。


 石畳が持ち上がった。蒸気が白い柱になって吹き上がった。轟音。悲鳴。路面電車が停止した。街灯が消えた。


 ベルは通学路の角を曲がったところで、それを見た。


 白い蒸気の柱が、三階建ての建物より高く噴き上がっている。蒸気の温度は百五十度。近づけば火傷する。周囲の建物の窓ガラスが蒸気の圧力で割れている。


 人が逃げている。走っている。叫んでいる。


 しかし——逃げられない人がいた。


 蒸気管の破裂口のすぐ横。パン屋の軒先。朝のパンを並べていた老婦人が——転んでいた。足を挫いたのだろう。立てない。蒸気が——老婦人の方に広がっている。風向きが変わった。白い蒸気の壁が、転んだ老婦人に向かって——。


 ベルは走った。


 考える前に走っていた。制服のまま。メガネのまま。バックパックを背負ったまま。通学途中の十六歳の女の子が、蒸気の壁に向かって走った。


 変身する暇がなかった。


 ステッキを抜いた。バックパックの外ポケットから。握った。歯車が回り始めた。蒸気が——ステッキの先端からも噴き出した。


 変身しないまま——ステッキの蒸気で空気の壁を作った。自分の蒸気と主蒸気管の蒸気をぶつけて、乱流を作って、老婦人への直撃を逸らした。


 三秒。


 三秒で蒸気の方向が変わった。老婦人の上を通過して、空に逃げた。


 老婦人の前に膝をついた。


 「大丈夫ですか——」


 大丈夫ではなかった。


 老婦人は泣いていた。足が痛いのか、怖いのか。白い蒸気がまだ周囲を覆っている。視界が悪い。熱い。湿度が高くて息苦しい。


 老婦人だけではなかった。


 パン屋の裏口から——子供たちが出てきた。パン屋の子供だろう。三人。五歳くらいの男の子と、八歳くらいの女の子と、十歳くらいの男の子。


 三人とも泣いていた。


 蒸気管の轟音。割れた窓ガラス。逃げる大人たち。世界が——壊れたように見えている。十歳の男の子が五歳の弟の手を握って、八歳の女の子が老婦人の腕にしがみついて。


 全員が泣いていた。


 ベルは——何もできなかった。


 蒸気管は直せない。ステッキは蒸気を一時的に逸らすことしかできない。破裂した管を修理するには配管工が必要で、バルブを閉めるには蒸気管理局の職員が必要で。


 ベルは配管工ではない。蒸気管理局の職員でもない。歯車は組めるが蒸気管は直せない。


 ここにいる全員が泣いている。蒸気が熱い。音がうるさい。怖い。ベル自身も——怖い。


 何もできない。


 何も——。


 五歳の男の子が——ベルを見上げていた。


 涙でぐしゃぐしゃの顔。鼻水が出ている。口を開けて泣いている。しかし目が——ベルを見ている。制服の女の子。メガネの女の子。ステッキを持った女の子。


 「おねえちゃん——こわい——」


 ベルは——ステッキを地面に立てた。膝をついたまま。蒸気の白い霧の中で。


 メガネが曇っていた。蒸気で。視界がぼやけている。しかし——五歳の男の子の顔は見えた。すぐ近くにいるから。


 何ができる。蒸気管は直せない。蒸気は止められない。割れた窓は直せない。路面電車は動かせない。


 しかし——。


 「泣いてもいいよ」


 声が出た。


 自分でも驚くくらい——穏やかな声だった。怖い。本当は怖い。蒸気管がまた別の場所で破裂するかもしれない。建物が崩れるかもしれない。しかし——声だけは、穏やかだった。


 五歳の男の子が——泣き止まなかった。当然だ。泣き止むわけがない。怖いのだから。


 「泣いてもいいよ。怖かったね。うん。怖い。私も怖い」


 男の子の頭に手を置いた。左手。ステッキを握っていない方の手。手袋をしていない素手。泥と蒸気の水滴で湿った手のひらが、男の子の髪に触れた。


 「でもね」


 目を合わせた。曇ったメガネの奥の目で。泣きそうな目で。


 「泣き終わったら——立って」


 男の子が——ベルの目を見ていた。


 「立てる?」


 男の子が——頷いた。小さく。泣きながら。鼻水を垂らしながら。しかし——頷いた。


 八歳の女の子が老婦人の腕から手を離した。十歳の男の子が弟の手を引いて立ち上がった。


 ベルが立った。老婦人の腕を取った。支えた。


 「歩けますか」


 「……足が——」


 「肩、貸します」


 百五十五センチのベルが、自分より頭一つ大きい老婦人の肩を支えた。ステッキを地面について、もう片方の手で老婦人を抱えた。


 蒸気の霧の中を歩いた。五人で。ベルと老婦人と三人の子供。


 蒸気管理局の職員が駆けつけていた。バルブを閉める作業が始まっていた。蒸気の柱が——少しずつ弱まっている。


 安全な場所に出た。蒸気の霧から抜けた。朝日が見えた。


 五歳の男の子が——ベルの制服の裾を握っていた。いつの間にか。歩いている間ずっと握っていたのだろう。小さな手が、制服の布を握りしめている。


 「おねえちゃん——まほうつかい?」


 ベルは笑った。


 泣きそうな顔で。曇ったメガネで。蒸気で湿った制服で。


 「ううん。ただの——歯車が好きな女の子だよ」


 蒸気管理局の職員が老婦人を引き取った。子供たちの親が駆けつけた。五歳の男の子がベルの裾を離した。名残惜しそうに。


 ベルは一人になった。


 通学路に戻った。遅刻する。確実に遅刻する。


 歩きながら——手を見た。老婦人を支えた手。子供の頭に触れた手。


 蒸気管は直せなかった。何も修理しなかった。歯車も組まなかった。


 しかし——四人が立った。泣いた後に。


 それだけ。


 それだけのことだった。しかし——手の中に、何かが残っていた。五歳の男の子の髪の感触。老婦人の肩の重さ。


 メガネを外して、制服の袖で拭いた。蒸気の曇りを。かけ直した。世界がくっきりした。


 遅刻した。


 先生に怒られた。理由は言わなかった。言ったところで——「蒸気管の破裂現場で泣いてる人のそばにいました」では、遅刻の言い訳にならない。


 席に座った。窓の外を見た。第七街区の蒸気の柱は消えていた。修理が終わったのだろう。配管工の仕事。ベルの仕事ではない。


 しかし——あの男の子が「まほうつかい?」と聞いたとき。


 少しだけ——嬉しかった。

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