第3話「ルストの工房」
三日が経っていた。
三日で四回戦った。初日の歯車型ジャミング。翌日のシャッテンラート。三日目の朝に小型が一体、通学路に出た。三日目の夜にまた一体、第七街区の蒸気管の近くに。
どちらも小型だった。収束光で靄を散らして核を砕く——二日目に覚えた方法で、一分以内に片付けた。慣れてきた。手順がわかれば速い。
しかし——ステッキが、おかしかった。
四回目の戦闘の後。変身を解いてステッキをバックパックに仕舞おうとしたとき、手の中で——振動が不規則になった。内部歯車の回転が。かちかちかち——かち、かち……かち。リズムが乱れた。一瞬だけ。すぐ戻った。
しかしベルの手は——感じた。歯車の噛み合いが浅くなっている。ほんの少し。〇・一ミリ以下の変化。しかし手で触ればわかる。五歳から歯車を組んできた手は——〇・一ミリのズレを見逃さない。
翌日。放課後。
工房で課題の歯車機構を組みながら、ステッキの内部を開けてみた。
歯車は五つ。全て無事に見える。しかし——二番目の歯車の軸受けに、微かな摩耗があった。初変身の衝撃。ジャミングの中心軸に歯車エンブレムをぶつけたとき、その反動が内部まで伝わったのだろう。
「ギア。この歯車の素材、わかる?」
「千年前の特殊合金。私にもわからない。大時計と同じ時代の鋳造品」
「じゃあ替えの部品なんてないよね」
「ないわね」
摩耗した軸受け。交換できない。修理するしかない。しかし——精密な軸受けの修理は、旋盤がないとできない。学校の工房の旋盤は一般加工用で、〇・一ミリ以下の精度を出すのは難しい。
ベルは工房の窓を見た。
窓の向こうに——煙が見えた。学校の裏手。細い煙。石炭の煙ではない。コークスの煙。鍛冶の炉の煙。
◇
学校の裏手に、小さな鍛冶場があった。
正確には、鍛冶科の実習場の離れ。本館から五十メートルほど離れた、石造りの小屋。煙突が一本。扉は鉄製。取っ手が煤で黒い。
放課後、鍛冶科の生徒はとっくに帰っている。しかし炉の火が点いている。煙が出ている。誰かがいる。
鉄の扉を押した。重い。きいいと鳴った。
中は——暑かった。
炉の火が赤い。コークスが燃えている。天井が低い。壁に工具がかかっている。ハンマー。トング。金床。ヤスリ。金属の匂い。煤の匂い。汗の匂い。
炉の前に——少年が立っていた。
革のエプロン。腕まくりした制服のシャツ。髪が短い。赤毛。額に汗。手にトングを握っている。トングの先に——赤く熱された金属の棒。
少年がベルの方を見た。
「……何の用だ」
低い声。愛想がない。
「あ、えっと——ここ、放課後も使えるの?」
「鍛冶科は自由実習が認められてる。先生の許可は取ってある」
「そっか……」
少年が赤い金属をハンマーで叩き始めた。かん。かん。かん。規則的なリズム。ベルを気にしていない。目の前の金属に集中している。
ベルは——見ていた。
少年の手。ハンマーを握る手。大きな手。ベルの手と同じくらい大きい。しかし使い方が違う。ベルの手はピンセットで歯車を組む手。この少年の手はハンマーで金属を叩く手。
叩くリズムが——正確だった。等間隔。同じ力。同じ角度。金属の棒が——叩かれるたびに形を変えていく。丸い棒が、少しずつ四角くなっていく。
「……上手いね」
口から出た。独り言のつもりだった。
少年の手が止まった。ベルを見た。
「……お前、電子科だろ。ベル・クロックワーク」
「知ってるの?」
「工房を一人で独占してる変人がいるって聞いた」
「……変人」
「褒め言葉だ。放課後に一人で作業するやつは——まともじゃない」
少年がハンマーを金床に置いた。トングで赤い金属を炉に戻した。
「ルスト。鍛冶科二年。お前の幼馴染——って言っても覚えてないだろうな」
「え——幼馴染?」
「お前のお父さんの工場。うちの親父が納品してた。歯車の素材の鋼材。小さい頃、お前と工場で会ってる。お前が歯車を組んでるのを、俺は見てた」
記憶を探った。お父さんの工場。鋼材を持ってくる人。その人の子供。赤い髪の——。
「……あ。鍛冶屋の——」
「思い出したか」
「小さかった。私より小さかった」
「今は俺の方がでかい」
確かに。ルストはベルより頭半分高い。肩幅が広い。鍛冶の仕事で鍛えられた体。
「で。何の用だ。電子科がわざわざ鍛冶場に来るなんて」
ベルは迷った。
ステッキのことを話すべきか。魔法少女のことを。ジャミングのことを。ギアが肩の上にいることを。
ギアは——黙っていた。ルストにはギアが見えていない。精霊は契約者にしか見えない。
「……相談があるの」
バックパックからステッキを取り出した。
ルストの目が——変わった。
職人の目。金属を見る目。ステッキの銀色の軸。歯車のエンブレム。蒸気パイプの意匠。
「これは——何だ」
「大事な道具。中に歯車機構が入ってて、軸受けが摩耗してる。〇・一ミリ以下の精度で修理したいんだけど、うちの工房の旋盤じゃ——」
「見せろ」
ルストがステッキを受け取った。手で重さを確かめた。軸を指で撫でた。エンブレムを爪で弾いた。耳を近づけた。金属の響きを聞いている。
「……古い。しかし質がいい。この合金——見たことがない。鋳造の精度が異常だ。千年前の技術? いや、今のクロックハイムにこれを作れる職人はいない」
「中を見てほしい」
ベルがステッキの外殻を開けた。内部の歯車が見えた。五つの歯車。二番目の軸受けの摩耗。
ルストが覗き込んだ。目が細くなった。
「……歯車の噛み合い、見事だな。四十五度。いや——微妙に角度が変えてある。一番目と二番目は四十三度。二番目と三番目は四十五度。三番目と四番目は四十七度。意図的に変えてる。回転ムラを吸収するためだ」
ベルは——驚いた。
五つの歯車の噛み合い角度が微妙に違うことは知っていた。しかしその理由——回転ムラの吸収——までは考えつかなかった。
この少年は——一目で見抜いた。
「軸受けの摩耗。〇・〇八ミリ。旋盤で削り直せる。ただし精度が要る。うちの鍛冶場の旋盤なら——出せる」
「出せるの?」
「精密加工は鍛冶科の専門だ。歯車を組むのはお前の仕事。しかし歯車の素材を整えるのは——俺の仕事だ」
ルストが炉から新しいコークスを足した。火が強くなった。
「預けろ。明日の放課後までに軸受けを直す」
「明日——」
「文句あるか」
「ない。ありがとう」
「礼はいらない。その代わり——」
ルストがベルを見た。鍛冶師の目で。
「この道具が何なのか、いつか教えろ」
嘘はつけない——とベルは思った。この少年は金属を見る目を持っている。ステッキがただの道具ではないことを、もう見抜いている。
「……いつか。約束する」
「ああ」
ステッキをルストに渡した。手から離れる瞬間、少し——寂しかった。三日間、毎日握っていたから。
ギアが肩の上で翅を畳んだまま、何も言わなかった。しかしベルにだけ聞こえる声で、小さく。
「あの子、いい目をしてるわね」
ベルは鍛冶場を出た。夕方の空。煙突のシルエット。
明日の放課後。ステッキが戻ってくる。摩耗した軸受けが直って。鍛冶師の手で。
一人で全部やる必要は——ないのかもしれない。
歯車を組むのはベルの仕事。歯車の素材を整えるのはルストの仕事。二つの手が——一つの道具を直す。
帰り道。石畳を歩きながら。
「ギア」
「何」
「今日、ジャミング出なかったね」
「出なかったわね。珍しく」
「明日出ても——ステッキがない」
「なら明日は出ないことを祈りなさい」
「祈るって——精霊が言うの?」
「精霊だって祈るわよ。たまには」
ベルは笑った。三日ぶりに。戦闘でも変身でもない場所で——笑った。
鍛冶場の煙が、夕日に照らされて橙色に光っていた。




