第35話「七十度の呪い」
大時計の地下で——日記を見つけたのは偶然だった。
ジャミング中型と戦っていた。心臓部の付近。壁面の歯車の隙間にジャミングが食いついていて、ステッキで矯正しようと壁際に近づいたとき——ルストのハンマーが歯の一本を折り、その衝撃で石壁の一部が崩れた。
石壁の向こうに——空間があった。
小部屋。一畳半ほどの。埃が厚い。誰も入っていない。何百年も。空気が古い——図書室の最奥の棚と同じ匂い。時間が止まった部屋。
壁に棚がある。棚に——本がある。一冊だけ。中央に。まるで——見つけてくれるのを待っていたかのように。
戦闘中だった。しかしカリンの目が——本に吸い寄せられた。記録者の目。古い本を見つける目。千年分の記録を読んできた目が——この一冊を見逃すはずがなかった。
「ベル——あれ——」
「戦闘中——!」
「革表紙——あの紋章——設計図と同じ——!」
ベルがジャミングの核にギアシフト・フォーティファイブを叩き込んだ。琥珀色の光。一発。カリンの位置指示で核の場所がわかっていたから。砕けた。金色の粒子が地下に散った。
変身を解く前に——崩れた壁の向こうの小部屋に入った。
棚の本。革表紙。金属表紙の設計図とは違う。しかし表紙に——同じ歯車の紋章が刻まれている。
カリンが手袋をはめて——本を取り出した。開いた。
「……日記だ。アルト・マイスターの日記。——百年前の少女の日記とは違う。もっと古い。千年前の。設計者自身の日記」
◇
図書室に持ち帰った。四人で読んだ。
カリンが声に出して読み上げた。千年前の古語。現代語に訳しながら。
最初のページ。
「『一日目。この土地に街を作ることが決まった。山から蒸気が出ている。地下水脈が鉄鉱石の層を通っている。歯車を鋳造する材料がある。蒸気がある。——街を作れる。百万人が住める街を』」
百万人。千年前のクロックハイムの創設。
「『十五日目。歯車の設計を始めた。百万個。途方もない数だ。一日百個鋳造しても——三十年かかる。しかし全員が住むには百万個が要る。減らすわけにはいかない』」
ページをめくった。
「『三十日目。問題が発生した。材料が——足りない。山の鉄鉱石は豊富だが、銅が不足している。銅がなければ——四十五度の歯幅を確保できない。四十五度の歯は広い。広い歯を鋳造するには銅の含有率を上げる必要がある。銅がない』」
材料の不足。
「『三十一日目。計算した。今ある銅で四十五度の歯車を作ると——五十万個しか作れない。百万個には百万人分の銅が要る。——ない』」
半分しか作れない。四十五度では。
「『三十二日目。選択を迫られている。四十五度で五十万個——五十万人の街を作るか。あるいは——角度を変えて百万個作るか』」
フェーダーがオルガンの鍵盤に指を置いたまま、動かなかった。
「『三十三日目。計算した。七十度なら——歯幅が狭くなる。銅の使用量が減る。今ある材料で百万個鋳造できる。しかし七十度は最適ではない。摩耗が速い。噛み合いの精度が落ちる。長期的には——問題が出る』」
「『三十四日目。同僚のヴェルクが問うた。七十度で千年もつのかと。答えた。もたぬ。しかし四十五度では百万人が住めぬ。五十万人の街でよいのかと問うた。ヴェルクは黙った。五十万人を切り捨てる選択は——誰にもできなかった』」
「『三十五日目。ヴェルクが再び問うた。もたぬとわかっている歯車を回すのは罪ではないかと。いつか壊れるとわかっていて、それでも動かすのかと。壊れる前に止めた方が——誰も傷つかないのではないかと』」
ベルの手が——止まった。
止めた方がいい。壊れる前に。誰も傷つかないうちに。——それはルストが言ったことと同じだった。「壊せばいい」。壊れるとわかっているなら止めろ。
「『三十六日目。ヴェルクに答えた。止めることはできない。壊れるとわかっていても——動かす。百万人が住むために。壊れたら直す。直せなければ——後世の誰かが直す。止めるよりも——不完全に動き続ける方を選ぶ。それが私の答えだ』」
「『ヴェルクは去った。街を出た。不完全な歯車を動かし続けることに耐えられなかったのだろう。完璧でなければ動かすべきではない——それがヴェルクの信念だった。間違ってはいない。しかし私は——不完全でも動かすことを選んだ』」
ギアが——小さな声で言った。
「ジャミングは——ヴェルクの思想そのものよ」
全員がギアを見た。
「歯車のズレから生まれる闇。七十度の歪みが実体化した存在。——でもそれは、『壊れるなら止めろ』という声でもある。不完全な歯車に対する拒否反応。『こんな歯車は動くべきではない』という——システムの叫び」
ジャミングには意志がない。思想もない。しかし——ジャミングが「歯車を食う」のは、「止めようとしている」のと同じ。壊れかけた歯車を止めようとしている。ヴェルクが千年前に言ったことを——ジャミングが千年後に実行している。
ベルが直しているのは——歯車だけではなかった。「止めた方がいい」という千年分の声に対して、「それでも動かす」と答え続けていた。
ルストの拳が——膝の上で握りしめられた。
「『三十七日目。決めた。七十度で百万個を作る。全員分。誰も切り捨てない。その代わり——千年の耐久性は犠牲にする。いつか摩耗して、噛み合いが崩れる日が来る。その日まで——この街は動く。百万人全員の歯車が回る』」
全員のために。
五十万人を切り捨てれば——完璧な街が作れた。四十五度で。千年もつ歯車で。しかし半分の人間が住めない。
アルト・マイスターは——全員を選んだ。不完全でも。応急でも。いつか壊れるとしても。全員分の歯車を。
「『三十七日目、続き。しかし応急のまま終わらせない。後世の技師が——材料に余裕ができたとき——四十五度に修正してくれるだろう。修正してくれるはずだ。——修正してほしい。頼む。直してくれ』」
直してくれ。
千年前の——祈り。
カリンの手帳にペンが走った。震える文字で。しかし正確に。一字も漏らさず。
「七十度の呪い……」
ベルが呟いた。
「呪いじゃない。——選択だ。全員のための選択。応急を承知での。千年後に届ける祈りを込めた——選択」
窓の外。夕日が時計塔を照らしている。百万個の歯車が回っている。七十度で。千年前に一人の技師が——全員のために選んだ角度で。




