第31話「帰ってきた鍛冶師」
ルストは——大時計の地下にいた。
ベルが駆けつけたとき、ルストは螺旋階段の途中に座り込んでいた。壁にもたれて。ハンマーを膝の上に置いて。
目が——赤かった。
「……ルスト」
「来るな。——いや、来い。座れ」
ベルが隣に座った。螺旋階段の冷たい石の段に。壁面の歯車がゆっくり回っている。がちり。がちり。千年分のリズム。
「壊しに来た。一人で」
ルストの声が——枯れていた。
「ハンマーを持って降りた。管理室を通り過ぎた。じいさんが寝てた。計器の前で。白い髪が——計器の光に照らされてた。五十年間あの場所で寝てるんだろうな」
「……うん」
「心臓部に着いた。暗かった。歯車の音がしてた。千年の歯車。——お前の言う通り、すごい歯車だった。摩耗してる。薄くなってる。しかし——回ってる。千年回り続けてる」
ルストの手が——ハンマーの柄を撫でた。
「ハンマーを振りかぶった。主軸の歯車に向かって。——振り下ろそうとした」
「……」
「ヴェヒターが出た。白い光。前にお前から聞いた通りだった。白い翼。歯車の天使。——俺を見た」
ルストの声が——震えた。鍛冶師の少年の声が。初めて聞く震え方。
「攻撃してこなかった。俺がハンマーを振りかぶっても。赤い光を出さなかった。——ただ見てた。白い目で」
「……」
「白い目で——見られた。千年間守り続けてきた存在に。壊しに来た俺を。——攻撃せずに、ただ見てた。お前の手は何をする手だ、と——聞かれてる気がした」
お前の手は何をする手だ。
ベルが——口を開いた。
「ルスト。答え——見つけたよ。壊さない理由」
「……」
「お母さんに教わった。五歳のとき、お母さんの腕時計を壊して——泣きながら組み直した。一分遅れるようになった。でもお母さんは——その時計の方が好きだって」
「それが理由か」
「うん。私の手は——直す手。壊す手じゃない。壊して作り直す方が合理的かもしれない。ルストの手なら——鋼を鍛え直せるかもしれない。でも私の手は——壊さずに直す手。五歳のときからずっと。それが——私の手」
ルストが——ベルの手を見た。
ガントレットに覆われていない素手。変身していないから。十六歳の手。歯車を組む手。指先に——ステッキの蒸気焼けの跡がある。歯車の油の跡がある。
「……俺の手は」
ルストが自分の手を見た。
ハンマーを握る手。大きな手。掌にマメがある。指が太い。爪の下に煤が入っている。
「鍛冶師の手だ。金属を叩く手だ。壊す力も持ってる。叩けば——鋼が砕ける。叩けば——歯車が割れる。壊せる。——俺はそれで壊しに来た」
「……」
「しかし——ヴェヒターに見られた。お前の手は何をする手だ、と。俺の手は——壊す手か。鍛える手か。砕く手か。形を与える手か」
ルストがハンマーを持ち上げた。亀裂の入ったハンマー。
「このハンマーで——歯車を鍛えた。お前のステッキの軸を鍛え直した。バイパスの歯車を十二枚作った。——全部、形を与えるために叩いた。壊すためじゃなく」
ハンマーを——膝に戻した。
「……振り下ろせなかった。主軸の歯車に。——振り下ろそうとしたとき、手が止まった。この手は壊す手じゃない。鍛える手だ。形を与える手だ。——お前と同じだ。お前の手が直す手なら、俺の手は鍛える手だ。壊す手じゃない」
ベルが——笑った。泣きそうな顔で。
「……遅い。答え出すの遅い」
「うるさい。——ごめん」
「ルストが謝るの、初めて聞いた」
「二度と言わないから——覚えておけ」
二人が——立ち上がった。螺旋階段の石の段から。
ルストがハンマーを肩に担いだ。
「このハンマー——鍛え直す。亀裂が入ってる。柄も緩んでる。壊すために持ち出したハンマーを——鍛え直して。直すためのハンマーにする」
「工房で?」
「ああ。——炉の火、点けてなかっただろ」
「ルストの炉だから」
「……馬鹿だな。あの炉は——俺とお前の炉だ。歯車を鍛えるための炉だ」
二人で螺旋階段を登った。並んで。肩が触れるくらいの距離で。
地上に出た。夕方の空。煙突のシルエット。
鍛冶場に向かって歩いた。二人で。鉄の扉を開けた。炉にコークスを入れた。マッチを擦った。
火が——点いた。
赤い火。鍛冶の火。三日ぶりの火。
ルストがハンマーを炉に入れた。赤くなっていく鋼。
「かん。かん。かん」と叩き始めた。亀裂を——鍛えて閉じるために。壊す手ではなく、鍛える手で。
ベルは炉の反対側に座って、歯車を組んでいた。課題の歯車機構の続き。九番目の歯車。今度は——ちゃんと噛み合った。手がぶれていない。答えが見つかったから。
炉の火が赤い。ハンマーの音がリズムを刻んでいる。かん。かん。かん。
鍛冶師が——帰ってきた。




