第30話「お母さんの歯車」
日曜日の朝。
お母さんが——ベルの部屋に来た。
「ベル。ちょっと手伝って」
台所の壁掛け時計が止まっていた。ゼンマイ式。歯車が八枚。お母さんが嫁入りのときに持ってきた時計。
「歯車が引っかかってるみたい。お父さんに頼もうと思ったけど、今日は工場で忙しいから——ベル、直せる?」
「……直せるよ」
時計の裏蓋を開けた。小さな歯車が並んでいる。三番目と四番目の噛み合いに——埃が詰まっていた。
息を吹きかけた。埃が飛んだ。歯車を指で回した。かちり。噛み合った。
時計が動き始めた。秒針が——動いている。
「直った! ありがとうベル」
「こんなの——ただの掃除だよ」
「でも直ったでしょ。私には裏蓋の開け方もわからないもの」
お母さんが時計を壁に掛け直した。台所の壁。朝の光が時計盤を照らしている。
「ベルは小さい頃から——壊れたものを直すのが好きだったね」
お母さんが台所の椅子に座った。ベルにも座れと手で示した。
「覚えてる? 五歳のとき」
「何を」
「お母さんの腕時計」
——覚えている。
五歳のベル。お母さんの腕時計を触って——落として——裏蓋が開いて——歯車がバラバラになった。小さな歯車が台所の床に散らばった。
大泣きした。世界が終わったように泣いた。お母さんの大事な時計を壊してしまった。
「泣いたでしょ。大泣き。『お母さんの時計壊しちゃった、ごめんなさい、ごめんなさい』って」
「……うん。覚えてる」
「でもそのあと——泣き止んだの。自分で。誰にも言われないで。泣き止んで——床に這いつくばって、歯車を一個ずつ拾ったの」
覚えている。涙で視界がぼやけている中、床の歯車を探した。手のひらで床を撫でて。指先で歯車を拾って。
「八枚あったの。八枚の歯車。全部拾って、テーブルの上に並べて——組み直したの。五歳の指で。二時間かけて」
二時間。覚えている。途中で何度も間違えた。噛み合わない。向きが違う。最初からやり直し。もう一度。もう一度。
「完璧じゃなかったよ。針が一分遅れるようになった」
「……うん。遅れてた」
「でもお母さん、その時計の方が好きだった」
「え?」
「ベルが直した時計。一分遅れる時計。世界に一つしかない時計。——壊す前より好きだった」
お母さんが台所のテーブルに手を置いた。両手。お母さんの手。ベルほど大きくない。歯車を組む手ではない。しかし——ベルの手を、いつも温かく包んでくれた手。
「壊しちゃったなら、直せばいいよ。お母さんは——直せるベルの手が好きだよ」
ベルの目が——熱くなった。
直せるベルの手。壊す手ではなく。直す手。
——これだ。
ルストに言えなかった言葉。「壊さない理由」。手が知っていたこと。
壊す手ではない。直す手。歯車を組む手は——壊すために作られた手ではない。五歳のときから歯車を拾って組み直してきた手。壊れたものを直す手。それがベルの手。
壊して作り直す方が合理的かもしれない。ルストの鍛冶師の手なら——壊して鍛え直せるかもしれない。しかしベルの手は違う。ベルの手は——壊さずに直す手。
それが理由。
「お母さん。ありがとう」
「何か悩んでた?」
「……うん。でも——わかった。今わかった」
朝ごはんを食べた。トーストと目玉焼き。いつもの朝ごはん。
しかし——いつもよりおいしかった。答えが見つかった朝だから。
◇
その午後。
第四街区でジャミング大型が出た。
フェーダーと二人で出撃した。ルストはいない。
変身した。ギアシールが足元に展開した。金色の歯車。装甲スカートの歯車レースが光った。歯車リボンが風に揺れた。
大型ジャミング。歯車型。第四街区の主軸歯車を食っている。
フェーダーが逆位相で動きを遅くした。半分の鍵盤で。金色の波紋が空気中に広がった。
ベルが飛んだ。歯車翼の蒸気推進で。ジャミングの内側に。
ステッキを構えた。お母さんの言葉が胸にある。壊しちゃったなら直せばいい。
「ギアシフト——フォーティファイブ!」
光が——強かった。一割五分のステッキなのに。いつもの琥珀色ではなく——金色に近い。お母さんの言葉が感情になって、ステッキに流れ込んだ。
直す手。壊す手ではなく。直す手。その確信が——光を強くした。
がちん。矯正。一発。
ジャミングが崩壊した。金色の粒子が午後の空に舞い上がった。
一割五分のステッキで——一発。前回は三発かかった。しかし今は——一発。感情の出力が違うから。確信の出力が違うから。
変身を解いた。メガネをかけた。
手を見た。右手。ステッキを握っていた手。
直す手。
「……ルストに会いに行く」
「今?」
「今。答えが——見つかったから」
走った。ルストの家に向かって。日曜日の午後の街を。
——しかしルストの家にルストはいなかった。
二階の窓が暗い。どこかに出かけている。
どこに——。




