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第28話「ルストの離反」

 夜の工房。


 ベルとルストが作業台を挟んで向かい合っていた。作業台の上にバイパス用の歯車が並んでいる。ルストが鍛えた歯車。十二枚。四十五度の噛み合い。設計図通りの合金。精密な歯。


 美しい歯車だった。ルストの最高傑作。


 しかし——その歯車を前にして、二人の顔が険しかった。


 「今日で七体目だ」


 ルストが言った。腕を組んで。壁にもたれて。


 「一日七体。先週は一日五体。先々週は三体。——来週は十体になるかもしれない」


 「……わかってる」


 「わかってるなら——なぜ動かない。バイパスの材料は揃ってる。設計図もある。フェーダーの同調技術もある。足りないのはグロックの許可だけだ。——じいさんはいつ動く」


 「準備しろと言われた。準備はしてる」


 「準備してる間に——人が死ぬ」


 ルストの声が——低くなった。


 「今日の七体目。第九街区の蒸気管を食った。蒸気管が破裂して——工場の天井が落ちた。作業員が三人巻き込まれた。一人は腕を折った。一人は火傷。一人は——まだ意識が戻っていない」


 ベルの拳が——膝の上で握られた。


 「知ってるだろ。お前が駆けつけたとき——瓦礫の下から助け出したのを見た。お前のステッキの光で瓦礫を照らして、フェーダーの音で崩れかけた天井を支えて、俺がハンマーで瓦礫を砕いて——助け出した。でも遅かった。ジャミングを先に倒していれば——天井は落ちなかった」


 「……」


 「何人怪我すれば——何人死ねば——お前は動く」


 ベルは歯車を見た。作業台の上の歯車。これをバイパスに設置すれば——ジャミングの発生源を断てる。しかしヴェヒターが通さない。グロックの管理者権限がないと——。


 「大時計を止めればいい」


 ルストが壁から背を起こした。目が——据わっていた。


 「止める。大時計の心臓部に入って、主軸の歯車を砕く。大時計が止まれば——ジャミングの発生源が止まる」


 「街が止まる。百万個の歯車が——」


 「止まっても——蒸気管が破裂して天井が落ちるよりマシだ。止まった街は復旧できる。潰れた頭蓋骨は戻せない」


 言葉が——刃のようだった。しかし嘘ではなかった。今日の怪我人のことを、ルストは見ていた。瓦礫の下から引きずり出された作業員の顔を。


 「ルスト。それをやったら——千年の歯車が壊れる。アルト・マイスターが作った歯車が」


 「応急の歯車だ。設計者自身がそう言ってる」


 「応急でも——千年間、この街を動かしてきた歯車だよ。百万人の暮らしを支えてきた歯車だよ」


 「お前は歯車に情が移りすぎてる」


 ルストの声が——冷たかった。初めて聞く冷たさだった。鍛冶師が金属を見定めるときの声。感情を排した声。


 「歯車は道具だ。壊れたら作り直せばいい。俺は鍛冶師だ。千年前の歯車より——俺が今作る歯車の方が精度が高い。壊して作り直す方が——合理的だ」


 「合理的かもしれない。でも——」


 「でも何だ」


 ベルは——言葉に詰まった。ルストの論理は正しい。技術的に。しかし手が拒んでいる。歯車を組む手が。壊すことを。


 言語化できない。「壊したくない」としか言えない。しかしそれでは——三人の怪我人と釣り合わない。


 「……壊さない」


 小さな声だった。


 「壊さない。この歯車を——千年前の歯車を——壊さない。直す。壊さずに直す。それが——私のやり方で——」


 「お前のやり方で——何人死ぬ」


 沈黙。


 工房の炉の火が揺れた。蒸気管が軋んだ。


 ルストが——エプロンを外した。作業台に置いた。ハンマーを壁から取った。亀裂の入った古いハンマー。


 「俺は降りる」


 「ルスト——」


 「お前のやり方では間に合わない。俺は——確実な方法を選ぶ」


 工房の鉄の扉が開いた。夜の冷たい空気が流れ込んだ。ルストの背中が——扉の向こうに消えていく。鍛冶師の背中。ハンマーを担いだ背中。


 「ルスト」


 呼んだ。声が震えていた。


 振り返らなかった。


 扉が閉まった。鉄が石に当たる音。反響して——消えた。


 ベルは一人で作業台の前に立っていた。ルストが鍛えた十二枚の歯車を見下ろしていた。


 鍛冶師がいなくなった。


 ギアが肩の上で翅を畳んでいた。小さな声で。


 「……ルストも、間違ってないのよ」


 「わかってる」


 「あなたも、間違ってない」


 「……わかってない。わかってないよ。三人怪我した。一人はまだ意識が——。私のせいかもしれない。もっと速く倒していれば——」


 「それは違う。ジャミングを生んでいるのは大時計であって——」


 「大時計を直すのが遅いから。グロックさんを待つのが——」


 声が途切れた。涙が出そうだった。しかし泣かなかった。泣く代わりに——歯車を一枚、手に取った。ルストが鍛えた歯車。指で歯を撫でた。精密な歯。正確な角度。


 この歯車を作った手が——去った。


 工房に一人で立っていた。炉の火が赤い。ハンマーがかかっていた壁のフックが——空だった。

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