第25話「大時計の心臓」
グロックは——何も言わなかった。
あの日の訪問から一週間。ベルは毎日、管理室の前を通って地下に降りている。グロックは計器の前にいる。目が合う。しかし何も言わない。「出ていけ」とも。「やれ」とも。
沈黙は——拒絶よりも重かった。
しかし待っている暇はなかった。ジャミングの発生頻度が——毎日五体を超えた。カリンの予測通り。加速曲線の通り。
「もう限界よ。モップで拭いてる場合じゃない」
ギアが言った。珍しく焦っている。翅が二枚しか光っていない。あの四体戦のブーストの代償がまだ戻りきっていない。
「グロックさんの許可がなくても——下見だけする。バイパスの設置箇所を特定する。触らない。見るだけ」
四人で——大時計の心臓部に降りた。
◇
階段を降りるたびに——空気が変わった。
一階分降りると、蒸気の匂いが濃くなった。鉄の匂い。油の匂い。千年分の歯車の匂い。
二階分降りると、音が変わった。地上の喧噪が消えて、歯車の回転音だけになった。がちり。がちり。壁の向こうで巨大な歯車が回っている。体の内臓に響く低周波。
三階分降りると、暗くなった。蒸気灯の光がちらちらしている。安定していない。歯車の回転が不安定だから。蒸気の供給にムラがある。光ったり——消えたり——光ったり。
「怖い」
フェーダーが呟いた。オルガンを抱きしめている。
「怖いわね」
ギアが肩の上で同意した。精霊が怖いと認めるのは——よくない兆候だった。
心臓部は——前回よりもさらに暗かった。
歯車の回転が不安定になっている。蒸気の供給にムラがある。光ったり消えたりする蒸気灯。
ベルは変身していた。心臓部でのジャミング遭遇に備えて。足元にギアシールの残光が微かに漏れている。装甲スカートの歯車レースが暗闇の中で金色に光っている。
「ここ。主軸の横にスペースがある。前に見つけた点検用通路」
壁面に穴がある。人一人が通れる幅。ルストが前回壊した壁の穴。修復されていない。
「このスペースにバイパスの歯車列を設置する。本線と並行に。四十五度の噛み合いで——」
壁面が——光った。
赤い光ではなかった。
白い光。
壁面の奥から——光が滲み出てきた。歯車の隙間から。蒸気管の継ぎ目から。石壁の亀裂から。
白い。清浄な。しかし——冷たい光。
「ヴェヒター……」
ギアの声が緊張していた。
「大時計の守護機構。千年間、大時計を守り続けてきた存在。——今まで見た赤い光とは違う。あれは警告モード。今のは——」
白い光が——形を取り始めた。
歯車の形ではなかった。
翼の形。
石壁の中から——白い翼が現れた。六枚。歯車の形をした翼。ベルの歯車翼と同じ構造。しかし色が違う。ベルは銀と金。ヴェヒターは——白。純白の歯車翼。
翼の中心に——体があった。人の形ではない。歯車の集合体。しかし歯車がシルエットを形成している。頭。胴。四肢。千年前の設計者が「守護者」として組み上げた、機械仕掛けの——。
「天使……」
カリンが呟いた。
天使。そうだった。白い翼。白い光。千年間、大時計を守り続けてきた存在。神聖で。不可侵で。美しくて。——しかし、壊れた設計を守り続けている天使。
ヴェヒターがベルたちの方を——向いた。
目はない。顔もない。しかし歯車の集合体が——こちらを向いた。認識している。侵入者を。
「攻撃してくる?」
「わからない。前回は赤い光で衝撃波を——」
ヴェヒターが——動かなかった。
赤い光は出ない。衝撃波も来ない。白い光が——ベルを照らしている。ただ照らしている。
ベルの装甲を。歯車翼を。歯車リボンを。ステッキを。
観察している。
「……触らなければ——攻撃しない?」
「前回は触ろうとして攻撃された。今回は見ているだけ。——だから攻撃しない。守護者のプログラムは、触れなければ発動しない」
ヴェヒターの白い翼が——ゆっくりと閉じた。壁面に戻っていく。石の中に。蒸気管の奥に。
しかし消えてはいない。見ている。壁の奥から。
「……見せてもらっただけ。顔見せ」
ルストが呟いた。「あの天使と——いつか対峙しなきゃいけないのか」
「対峙じゃない。——説得よ」
ベルが言った。
「ヴェヒターは敵じゃない。大時計を守ってる。守り方が——間違ってるだけ。壊れた設計を壊れたまま守ってる。守り方を変えてもらう。——壊すんじゃなくて」
直す。
ヴェヒターの守り方を——直す。
心臓部を出た。螺旋階段を登った。
管理室の前を通ったとき——グロックが、扉の隙間からこちらを見ていた。
何も言わなかった。しかし——見ていた。




