第13話「設計図」
カリンは七日間、図書室から出なかった。
時計塔の三階。円形の部屋。窓から差し込む光の角度が変わるたびに——朝が来て、昼が過ぎ、夕方が来て、夜になる。カリンはその全てを本棚の前で過ごした。
白い綿の手袋。古い革表紙の本。羊皮紙の巻物。紙の束。千年分の記録を——一冊ずつ、一枚ずつ、めくっていく。
探しているものがある。
アルト・マイスター。千年前に大時計を設計した人物。その設計図。大時計の全体像が描かれた図面。七十度の噛み合いが、なぜ七十度なのか——その理由が書かれた文書。
「なぜ七十度か」。
ベルは七十度が原因だと突き止めた。しかし「なぜ千年前の設計者が七十度を選んだか」がわからなければ——四十五度への修正が正しい判断かどうか、確信が持てない。何か理由があって七十度にしたのかもしれない。四十五度に変えたら別の問題が起きるかもしれない。
だから——設計図が要る。設計者の意図が要る。
七日目の夜。
カリンの目の前に——図書室の最も奥の棚があった。天井に近い最上段。梯子をかけて登らないと届かない場所。埃が厚い。何十年も——いや、何百年も誰も触れていない。
手袋をはめた手で——一冊の本を引き出した。
革表紙ではなかった。金属の表紙。薄い真鍮の板で綴じてある。表紙に歯車の紋章が刻まれている。ベルのステッキのエンブレムと——同じ紋章。
開いた。
図面だった。
大時計の全体図。上から見た平面図。歯車の配置。軸の位置。蒸気管の経路。噛み合いの角度——全てに数値が書き込まれている。千年前の文字。しかしカリンには読める。番人の家系は古語を代々受け継いでいる。
ページをめくった。
断面図。側面図。詳細図。接合部の拡大図。蒸気圧の計算式。歯車の素材の配合比。潤滑油の成分。
そして——。
あるページで、手が止まった。
噛み合い角度の決定理由。アルト・マイスターの手書きのメモが余白に書かれていた。
カリンが——読んだ。声に出して。
「『最適角度は四十五度なり。しかるに、材料の不足により、歯の幅を縮小せざるを得ず。歯幅を縮小せし場合、四十五度にては接触面積不足となる。よりて七十度を採用す。七十度なれば接触面積を確保しつつ、最小限の材料にて歯車を鋳造し得る』」
——材料が足りなかった。
アルト・マイスターは四十五度が最適であることを知っていた。知っていて——七十度にした。千年前、クロックハイムを建設する材料が不足していたから。四十五度の広い歯を作る金属が足りなかったから。やむを得ず——七十度の狭い歯にした。
最適ではないことを——知っていた。
メモの続きがあった。
「『後世の技師、材料に余裕あらば、四十五度に修正されたし。七十度は応急の措置なり。千年の運用に耐えうるものにあらず』」
千年の運用に耐えうるものにあらず。
アルト・マイスターは——わかっていた。七十度では千年持たないことを。いつか摩耗して、噛み合いがズレて、問題が起きることを。しかし目の前の材料では——七十度にするしかなかった。
そして「後世の技師」に——修正を託した。
千年後の誰かに。
「……見つけた」
カリンの声が震えていた。
手帳を開いた。震える文字で書いた。「アルト・マイスター設計図発見。七十度は応急措置。最適角度は四十五度。設計者自身が修正を後世に託していた」
手帳を閉じた。立ち上がった。梯子を降りた。
走った。
時計塔の螺旋階段を駆け降りた。夜の街に飛び出した。ベルの家に向かって。
手に金属表紙の本を——抱きしめて。
◇
ベルの家。夜の九時。
お母さんが玄関を開けた。「ベルのお友達? こんな遅くに——」
「すみません——ベルに——見せたいものが——」
カリンが息を切らしている。メガネが曇っている。走ってきたから。
ベルが階段から降りてきた。パジャマ。メガネ。歯車機構の教科書を持っている。寝る前に読んでいた。
カリンの顔を見た。
カリンの目が——光っていた。金色ではない。人間の目。しかし——何かを見つけた人間の目。
「見つけた。ベル。設計図」
金属表紙の本を差し出した。
ベルが受け取った。開いた。
図面が——目に飛び込んだ。大時計の全体図。歯車の配置。噛み合いの角度。千年前の技師の——設計。
そして余白のメモ。「最適角度は四十五度なり」。「七十度は応急の措置なり」。「後世の技師、修正されたし」。
ベルの手が——震えた。
千年前の技師が。この街を作った人が。ベルと同じことを考えていた。四十五度が正しいと。七十度は応急だと。しかし材料がなくて——やむを得なかった。
そして——千年後の誰かに、託した。
「……託された」
声が掠れた。
「千年前に——私たちに——託されてた」
カリンが頷いた。涙が光っていた。メガネの奥で。
「後世の技師。それが——ベル。あなたよ」
ベルは設計図を胸に抱えた。金属の表紙が冷たい。千年前の金属。
千年越しの——手紙だった。
「明日——みんなに見せよう」
明日。ルストに。フェーダーに。そして——グロックに。
千年前の設計者が七十度を「応急の措置」と呼んでいたことを。四十五度に修正してほしいと書いていたことを。
大時計を五十年間守ってきた老人に——設計者自身の言葉を、届ける。




