第12話「噛み合わない七十度」(後編)
変身を解いた。
点検用通路から這い出した。メガネをかけた。膝に石の粉がついている。手が煤で黒い。
四人が——大時計の心臓部の前に立っていた。ジャミングの残滓の金色の粒子がまだ空気中に漂っている。壁面の歯車が回っている。七十度の噛み合いで。軋みながら。唸りながら。
誰も喋らなかった。
ベルが——口を開いた。
「三週間で二十八体倒した。来週は——もっと増える。再来週はもっと。毎日倒しても追いつかなくなる」
声が——静かだった。叫びではない。計算した声。技術者の声。
「ジャミングは大時計の七十度から生まれてる。倒しても倒しても——蛇口が開いたままだから、また生まれる。モップで拭いても意味がない。蛇口を閉めないと」
「蛇口を閉めるって——大時計を止めるのか?」
ルストが聞いた。
「止めたら街が止まる。百万個の歯車が全部止まる。路面電車も。街灯も。水道のポンプも。蒸気管の循環も。——冬に止めたら、暖房が消えて、人が死ぬ」
「じゃあ——どうする」
「止めずに——直す」
直す。
大時計を。回しながら。七十度の噛み合いを——四十五度に。千年前の設計を——修正する。
「……できるの? そんなこと」
フェーダーの声が小さかった。
「わからない。やったことがない。——百年前の少女はやろうとして、完成できなかった」
カリンが手帳を胸に抱えた。百年前の記録。「名も知れぬ歯車職人の娘」。七日間の作業。完成に至らず。光に包まれて消えた。
「あの子は一人だった」
ベルが言った。
「一人で大時計を直そうとした。設計図を読む人がいなかった。金属を鍛える人がいなかった。歯車を同調させる人がいなかった。全部——一人でやろうとして、できなかった」
四人を見た。
ルスト。腕を組んでいる。ハンマーの柄が肩に載っている。
フェーダー。オルガンの鍵盤に指を置いている。
カリン。手帳を抱えている。ペンを握っている。
「私には——三人がいる」
声が——震えた。怖い。できるかわからない。千年前の設計を変えるなんて。百年前の少女にできなかったことを。
しかし——あの子は一人だった。
「ルスト。歯車の素材を整えられる? 大時計の歯車に合う合金を。四十五度の噛み合いに耐える強度で」
「……やってみないとわからない。千年前の合金だ。成分がわからない」
「カリンが設計図を読めば——成分の記載があるかもしれない」
カリンが頷いた。「千年分の記録のどこかに。探す」
「フェーダー。大時計の歯車の振動数を全部読める? 千年分の摩耗を含めた——今の振動数を」
「時間がかかる。でも——できる。歯車の声を聞けばいい」
「私は——歯車を組む。四十五度の噛み合いで。大時計を止めずに——バイパスを作って、七十度を四十五度に切り替える」
バイパス。
この言葉が——ここで初めて出た。迂回路。本線を止めずに補助路を作って、流れを切り替える。
「全部揃わないとできない。ルストの素材がないと歯車が作れない。フェーダーの同調がないと噛み合わせられない。カリンの設計図がないと配置がわからない。私の手がないと——組めない。四つ全部。欠けたら——できない」
四人が——互いを見た。
暗い地下空間で。巨大な歯車の回転音の中で。七十度の軋みの中で。
ルストが——鼻で笑った。
「……やるしかないな」
フェーダーが微笑んだ。「歯車の声——聞いてみたかったの。千年分の」
カリンが手帳を開いた。新しいページ。「プロジェクト名——何にする?」
ベルは——少し笑った。
「……バイパス計画。——いや、だっさいな。もっといい名前考えて」
「ネーミングセンスは後でいいわ」
ギアが肩の上で翅を広げた。
四人が笑った。地下で。大時計の心臓部の前で。千年分の問題を前にして。
怖い。できるかわからない。しかし——四つの歯車が揃った。
◇
地上に出た。
朝の光が——眩しかった。時計塔の鐘が八時を告げた。日曜日の朝。街が動き始めている。
路面電車が走っている。街灯が点いている。工場の煙突から蒸気が上がっている。パン屋が開いている。子供が走っている。
普通の朝。いつもの朝。百万個の歯車が回っている。
しかしベルは——もう知っている。
この街の地下に、千年分の秘密がある。七十度の噛み合い。摩耗する歯車。増え続けるジャミング。いつか——この街が止まる日が来る。
その日が来る前に——直す。
倒すのではなく。壊すのではなく。——直す。
ベルは時計塔を見上げた。八角形の塔。四つの時計盤。歯車模様の針。
三週間前——ベルはただの女子高生だった。歯車が好きなだけの。メガネをかけた。人と話すのが苦手な。
今は——魔法少女。しかし魔法で敵を倒す魔法少女ではない。歯車を直す魔法少女。壊れた世界を——修理する魔法少女。
「ギア」
「何」
「第二クール、始まるね」
「……あんた、何の話?」
「なんでもない」
ベルは歩き出した。日曜日の朝の街を。三人が隣にいる。ルストが右。フェーダーが左。カリンが後ろで手帳に書きながら。
歯車が回っている。
七十度で。まだ。
しかし——四十五度の歯車を、これから作る。
この街が動き続けるために。明日も。明後日も。——千年先も。
物語は——ここから変わる。




