第11話「歯車の歌」
夜だった。
クロックハイムの第三街区。工場地帯。昼間は煙突の蒸気で空が白いが、夜は煙突が黒いシルエットになって星空を切り取っている。
ベルは工場地帯の路地を走っていた。変身済み。装甲が街灯のガス灯に照らされて銀色に光っている。背中の六枚の歯車翼が回転している。がちり。がちり。がちり。
ギアが肩の上で方角を指示している。「左。次の角を左。路地の奥——工場の中庭」
走った。角を曲げた。
中庭に出た。
ジャミングの群れだった。
小型。一体ずつなら前に倒したシャッテンラートより弱い。しかし——十五体。歯車の形をした黒い影が、中庭の地面の歯車を食い荒らしている。ここは工場の動力伝達機構。地面の下に巨大な歯車列が埋まっている。これが食われたら——第三街区の工場が全部止まる。
「十五体……」
多い。今までの最多は先週の五体。三倍。
一体ずつ倒すしかない。収束光でコアを露出させて、歯車の矯正で消滅。一体につき——三十秒。十五体なら七分半。
しかしジャミングは待ってくれない。一体を相手にしている間に、残りの十四体が歯車を食い続ける。
「一人じゃ——間に合わないわ」
ギアの声が硬い。
ベルがステッキを構えた。間に合わなくても——やるしかない。一体目に収束光を——
「遅い」
声が横から飛んできた。
ルストだった。
工場の屋根の上から飛び降りてきた。革のエプロン。ハンマーを肩に担いでいる。鍛冶師の少年が——戦場に来た。
「お前一人じゃ間に合わないと思ってな。ギアの光が見えたから追ってきた」
「ルスト——でもあんたは変身できない」
「変身なんかしなくても殴れる」
ハンマーを振り上げた。鋼のハンマー。鍛冶師の道具。鍛冶の炉で鍛えた鋼——ジャミングの核と同じ金属。
「核の位置はお前が見せろ。俺が殴る」
「……殴って壊せるの?」
「鍛冶師を舐めるな。歯車の形をした金属なら——俺のハンマーで砕ける」
ベルは——少し笑った。
「わかった。私が靄を剥がす。ルストが核を砕く」
「それでいい。——しかし十五体だ。二人でも厳しい」
その時。
中庭の向こうから——音が聞こえた。
蒸気オルガンの音。
軽い旋律。跳ねるようなリズム。フェーダーの曲。あの夕日の中で弾いていた旋律。
フェーダーが中庭の入口に立っていた。蒸気オルガンを首から下げて。鍵盤に指を置いて。
「……私も来た」
「フェーダー——なんで——」
「ギアの光が見えたの。屋根の上の金色の光。私の部屋の窓から」
三人。
ベル。ルスト。フェーダー。
ジャミング十五体。
「フェーダー。あんたの音でジャミングの動きを止められる?」
「止められない。でも——遅くできる。歯車の回転に逆位相の音をぶつければ、回転速度が落ちる。食うスピードが遅くなる」
「ルスト。核が露出したら何秒で砕ける?」
「一秒」
「速い」
「鍛冶師を舐めるなって言っただろ」
ベルはステッキを構えた。歯車エンブレムが回転し始めた。蒸気が噴き出した。
「作戦。フェーダーが逆位相で全体の動きを遅くする。私が収束光で一体ずつ靄を剥がす。核が見えたらルストが砕く。三人で——回す」
フェーダーが鍵盤を叩いた。低い音。逆位相の振動。中庭のジャミングの群れが——わずかに遅くなった。歯車を食う速度が落ちた。
「——行くよ!」
◇
一体目。
ベルが走った。ジャミングの群れの端。最も小さい個体。収束光を撃った。歯車エンブレムが回転し、光が一本の線になってジャミングの靄を——
剥がれた。靄が散った。核の黒い歯車が露出した。
「ルスト!」
「見えた!」
ルストが横から突っ込んだ。ハンマーを振り下ろした。黒い歯車に。鋼が鋼を打つ音。かん。硬い。しかし——砕けた。歯車が四つに割れて、黒い粒子になって散った。
一体目。消滅。
三秒。
ベルが一人でやれば三十秒かかる。三人でやれば——三秒。十倍速い。
「二体目——右!」
ギアが方角を叫んだ。ベルが振り向いた。収束光。靄を剥がす。核が見える。
「ルスト!」
ハンマー。かん。砕ける。
二体目。三秒。
三体目。フェーダーの逆位相が効いている。ジャミングの動きが鈍い。食うスピードが遅い。その隙にベルとルストが一体ずつ潰していく。
四体目。五体目。六体目。
リズムが生まれた。
フェーダーのオルガンが低い音を刻んでいる。逆位相のリズム。その上にベルの収束光のタイミングが乗る。光。靄が散る。ルストのハンマーが振り下ろされる。かん。消滅。光。散る。かん。消滅。
三つの動作が——一つの拍子に収まっている。
光——散——かん。 光——散——かん。 光——散——かん。
フェーダーのオルガンが——変わった。逆位相だけではなくなった。ベルの収束光のタイミングに合わせて、アクセントを入れ始めた。光が放たれる瞬間に高い音。ルストのハンマーが振り下ろされる瞬間に低い音。
戦闘が——音楽になっていた。
フェーダーの指が踊っている。鍵盤の上で。戦闘の拍子を刻みながら、旋律を編んでいる。跳ねるようなリズム。あの曲。工房の裏で弾いていた旋律。歯車のモチーフ。かちかちかち。
ベルの足が旋律に乗っている。走るリズムがフェーダーの拍子に合っている。意識していない。体が勝手に。
そして——三人の動きが完全に同期した瞬間、空気が変わった。
金色の光が三人の間を走った。ベルのステッキから。フェーダーのオルガンから。ルストのハンマーから。三つの道具が——見えない糸で繋がったように、同じ光を放った。
中庭の石畳に——歯車模様の光の紋章が浮かび上がった。三人の立ち位置を頂点とする三角形。その中心に歯車の紋章。金色に光っている。
ギアが叫んだ。「共鳴よ! 三人の力が共鳴してる! これが——チームの魔法!」
三人の力が共鳴している。技術者の手と、鍛冶師の腕と、楽師の耳が。一つの音楽として。一つの魔法として。
七体目。八体目。九体目。
ルストのハンマーが正確だった。核が露出してから振り下ろすまでの間——一秒以下。鍛冶師の目と腕。金属を見極める目。ハンマーを振る腕。核の歯車がどの角度で割れるか——一瞬で見抜いている。
十体目。
中庭の半分が片付いた。地面の歯車の被害は——最小限に抑えられている。フェーダーの逆位相が食うスピードを遅くしている間に、ベルとルストが一体ずつ潰した。
しかし——残り五体が固まった。
群れの残りが中庭の中央に集まった。小型のジャミングが寄り集まって——融合し始めた。黒い靄が混じり合って、大きくなっていく。
「合体——!?」
五体の小型ジャミングが一つになった。中型のジャミング。高さ三メートル。歯車の歯が何十本も突き出している。核が——五つある。五つの核が黒い靄の中で回転している。
「核が五つ……全部同時に砕かないと再生するわ!」
ギアの警告。
五つ同時。ベルの収束光は一本。ルストのハンマーは一つ。一撃ずつでは——間に合わない。
「フェーダー!」
ベルが叫んだ。
「共鳴! 五つの核の回転を——同じ位相に揃えられる!?」
フェーダーの目が見開かれた。
「やったことない——でも——理論上は——」
「理論上でいい! やれる?」
「……やる」
フェーダーの指が鍵盤を叩いた。今度は逆位相ではない。同位相。五つの核の回転を——同じタイミングに揃える。バラバラに回っている五つの歯車を、フェーダーの音で一つのリズムに束ねる。
音が変わった。低い音が五つ重なって、共鳴した。中庭の石畳が震えた。蒸気管が鳴った。
五つの核が——同じ角度で、同じ速度で、同時に回っている。
「揃った——! 今!」
ベルが走った。収束光を——一本ではなく、歯車エンブレムの回転を使って扇状に広げた。五方向に。光の扇が靄を一気に剥がした。五つの核が同時に露出した。
「ルスト——!」
「一つしか殴れねえ——!」
「四つは私が——!」
ベルがステッキを回した。回転するステッキが蒸気と光を巻き上げた。先端が弧を描いて——四つの核を順番に打った。
かん。一つ目。ステッキの軌跡が金色の線を空気中に残した。 かん。二つ目。金色の線が繋がった。弧を描いて。 かん。三つ目。弧が歯車の歯になった。 かん。四つ目。歯車模様が——完成した。
ベルのステッキが空気中に描いた軌跡が——巨大な金色の歯車紋章になって、中型ジャミングを包んだ。
ルストのハンマーが五つ目を砕いた。かん。紋章の中心を打ち抜いた。
五つの核が——同時に砕けた。
中型ジャミングが——爆散した。黒い靄が金色の粒子に変わった。
金色の粒子が——夜空に昇っていった。中庭から。煙突の間を通って。星空に向かって。何千もの光の粒が、星と混じり合って——夜空が、一瞬だけ、金色の天蓋になった。
三人が空を見上げた。金色の星空を。
◇
静かになった。
中庭にジャミングはいない。地面の歯車は——少し食われたが、主要な伝達機構は無事だった。明日の朝、工場は動く。
三人が——中庭の中央に立っていた。
ベルが息を切らしていた。膝に手をついている。変身の維持で体力を使った。四連打の衝撃が右腕に残っている。
ルストがハンマーを肩に担ぎ直した。汗をかいている。しかし顔は——満足そうだった。
フェーダーがオルガンの鍵盤から指を離した。指が震えている。共鳴の制御で神経を使い果たした。しかし目が——輝いていた。
三人が——顔を見合わせた。
夜の中庭で。ガス灯の光の中で。金色の粒子がまだ空気中に漂っている中で。
ベルが——笑った。
息を切らしながら。汗をかきながら。
「……できた」
ルストが鼻で笑った。「当然だ」
フェーダーが微笑んだ。「共鳴、効いたでしょ」
「効いた。すごかった。五つ同時に揃えるなんて——」
「やったことなかったけどね。ぶっつけ本番」
「……それ先に言ってよ」
三人が笑った。
夜の工場地帯。煙突のシルエット。星空。ガス灯。蒸気の匂い。
一人じゃできないことが——三人ならできた。
収束光で靄を剥がす。ハンマーで核を砕く。オルガンで歯車を同調させる。三つの技が——一つのリズムに収まった。
フェーダーのオルガンがまた鳴り始めた。今度は戦闘用の逆位相ではない。あの旋律。跳ねるリズム。歯車のモチーフ。
ベルは歌わなかった。
歌わなくてよかった。フェーダーの音楽だけで十分だった。ルストのハンマーのリズムが、ベルの走る足音が、ギアの翅の音が——全部、フェーダーの旋律の中にあった。
戦闘が音楽になった夜。
三人の歯車が——初めて噛み合った夜。
ギアが肩の上で翅を畳んだ。「及第点ね。百点とは言わないけど——八十五点くらい」
「厳しくない?」
「あんたの歌がなかったから加点よ。歌ってたら七十点に下がってたわ」
「……ギア、ひどい」
ルストが背を向けた。ハンマーを担いだまま歩き始めた。
「帰るぞ。明日も学校だ」
フェーダーがオルガンの旋律を止めた。最後の音が石壁に反響して消えた。
ベルは変身を解いた。メガネをかけた。世界がくっきりした。夜の工場地帯。星空。煙突。
三人で帰った。石畳の道を。街灯のガス灯が等間隔に並ぶ道を。
誰も喋らなかった。
喋らなくてよかった。隣を歩いている。それだけで——十分だった。




