第8話「音痴でも歌うの」
ルストの工房。学校の裏手にある、小さな鍛冶場。炉の火が赤い。
作業台の上に——折れたステッキが載っていた。
あの雨の日に折れた。巨大ジャミングの一撃で、真ん中から。歯車エンブレムは雨の広場で拾った。泥がこびりついている。蒸気パイプは千切れたまま。軸が曲がっている。
ルストが軸を炉で熱している。赤くなった鋼をハンマーで叩く。かん。かん。かん。規則的なリズム。
ベルは作業台の反対側に座って、歯車を並べていた。ステッキの内部から取り出した五つの歯車。一つずつ布で拭いている。泥と油を落としている。
「歯車は無事だった?」
ルストが炉から目を離さずに聞いた。
「うん。五つとも。歯も欠けてない。軸がダメだっただけ」
「軸は直す。パイプも繋ぐ。しかし——強度は元には戻らない。わかってるな」
「わかってる」
沈黙。ハンマーの音だけが響いている。かん。かん。
ベルは歯車を一つ持ち上げた。三番目の歯車。一番小さいやつ。直径八ミリ。歯が十二本。
光にかざした。炉の赤い光が歯車の歯を照らした。歯の一本一本が——精密だった。千年前の技術。アルト・マイスターと同じ設計思想で作られた歯車。
「……きれい」
「何が」
「この歯車。壊れてない。ステッキ全体は折れたのに——中の歯車は壊れてない。守られてたんだ。軸とパイプが先に壊れて、歯車への衝撃を吸収した」
ルストの手が止まった。
「……設計者は、そこまで考えてたのか」
「たぶん。壊れるときは軸から壊れるように。歯車を守るために。歯車さえ生きていれば——」
「修理できる」
ルストが言った。ベルの言葉を先取りして。
ベルが——少し笑った。
「そう。修理できる。壊れたら——修理する。歯車が生きていれば、何度でも」
修理する。
この言葉が——ベルの口から出た。初めて。意識して。
今まで「戦う」「倒す」「守る」と言ってきた。ジャミングを倒す。街を守る。魔法少女として戦う。
しかし今——「修理する」と言った。
壊れたものを直す。壊す側ではなく、直す側。
ルストが軸を炉から引き抜いた。赤い鋼。作業台に置いた。
「叩くぞ。押さえろ」
ベルが軸の端を布で包んで押さえた。ルストがハンマーで叩いた。かん。かん。かん。曲がった軸が——少しずつ真っ直ぐになっていく。
「……なあ」
ルストが叩きながら言った。
「お前、先週蒸気管の現場に突っ込んだだろう」
「なんで知ってんの」
「第七街区のパン屋の婆さんが、『歯車の杖を持った女の子に助けられた』って噂してる。学校で聞いた」
「……遅刻した」
「遅刻したのは知ってる。理由は言わなかったんだろ」
「言ってない」
ルストがハンマーを下ろした。軸を眺めた。真っ直ぐになっている。完璧ではないが——通る。
「お前は馬鹿だ」
「一回目」
「は?」
「ルストの『馬鹿』、数えてる。今の一回目」
ルストが鼻で笑った。「……数えるな」
軸を歯車に通した。ベルが歯車の位置を調整した。噛み合いを確認した。指先で。四十五度——ではなく、ステッキの内部歯車はもっと複雑な噛み合いだ。しかし感触で——正しい位置がわかる。
かちり。かちり。かちり。
五つの歯車が噛み合った。
蒸気パイプを繋いだ。銅線で。ベルのポケットに入っていた工房の残り。巻きつけて締めて——完全ではないが、蒸気は通る。
ステッキの外殻を閉じた。
握った。
内部歯車が——回り始めた。かちかちかちかち。先端から蒸気が漏れた。しゅっ。弱い。元の三割くらい。
「……動いた」
「三割だ。それ以上は出ない。パイプの接合が甘い」
「三割でいい。動けばいい」
ベルがステッキを構えた。初めて握ったときと同じように。しかし——違う。あのときは新品だった。今は修理品。傷だらけの。三割の。しかし——自分とルストの手で直した、修理品。
「ルスト」
「何だ」
「ありがとう」
「……当たり前のことをしただけだ。壊れたものを直すのが鍛冶師の仕事だ」
ベルは工房の窓を見た。夕方。空が橙色に染まっている。煙突のシルエット。
窓の外から——音が聞こえた。
蒸気オルガンの音。
軽い旋律。跳ねるようなリズム。明るくて、少しだけ切なくて、前に進むような音楽。
フェーダーだった。
工房の裏の路地で、蒸気オルガンを弾いている。仲間になったばかり。しかし——もうベルたちの工房の近くに来ている。
ベルが窓を開けた。
「フェーダー!」
オルガンの音が止まった。路地の奥で、フェーダーが振り返った。長い髪。蒸気楽師の衣装。オルガンを首から下げている。
「……聞こえてた?」
「聞こえてた。何の曲?」
「新曲。まだ作りかけ。歯車が回る音をモチーフにしたの。かちかちかちって——ベルのステッキみたいな音」
ベルは——ステッキを握りしめた。修理されたステッキ。内部歯車の音。かちかちかち。
その音を——フェーダーは曲にした。
「歌ってみて」
ギアが言った。肩の上から。
「は?」
「その曲。歌ってみなさい。歌えるでしょ」
「歌えないよ。音痴だし」
「あんたの歌は確かに音痴よ。でも——」
ギアが翅を広げた。
「音痴でも歌わないよりマシでしょ」
ベルはフェーダーを見た。フェーダーがオルガンの鍵盤に手を戻した。旋律が再び流れ始めた。
口を開けた。
歌った。
音痴だった。フェーダーの旋律から半音ズレている。リズムも微妙に遅れている。しかし——歌った。
「音痴でも歌うの! 歌わないよりマシ!」
叫ぶように歌った。工房の窓から。夕日の中で。修理したばかりのステッキを握りしめて。
ルストが工房の奥で額を押さえていた。「……近所迷惑だ」
フェーダーが路地で笑っていた。笑いながらオルガンを弾き続けていた。ベルの音痴な歌に合わせて、少しだけテンポを変えて。
夕日がクロックハイムの煙突を照らしている。蒸気が橙色に染まっている。
歯車が回っている。修理された歯車が。三割の出力で。
それでいい。
壊れたら直す。三割でも動く。音痴でも歌う。




