第9話 イベント戦は「空気」を読まずにスルーします
【00:11:55】
「静寂の回廊」。
その名の通り、石造りの通路は恐ろしいほどの静けさに包まれていた。
通路の両脇には、禍々しいオーラを放つ四体の巨大な石像が鎮座している。
そして、廊下の突き当たりには、天井まで届くほどの巨大な観音開きの扉。
あれこそが、魔王の待つ「玉座の間」への入り口だ。
「……ッ!勇者よ、止まれ!」
アリアが鋭い声で制止し、俺の前に立ちはだかった。
彼女の表情は蒼白だ。騎士団長としての本能が、ここにある「絶望的な戦力差」を感知しているのだろう。
「この気配……間違いない。あれはただの石像ではない。魔王軍最高戦力、『四天王』だ」
アリアの視線が、石像たちに釘付けになる。
豪腕の巨神、魔導の賢者、神速の剣士、そして死霊の女王。
本来のシナリオであれば、ここで彼らが実体化し、勇者一行の前に立ちはだかる。
そして始まるのは、一人ずつ名乗りを上げ、過去の因縁を語り、全力で襲いかかってくる「ボス・ラッシュ(連戦)」だ。
「勝てるわけがない……。レベル1のお前と私では、彼らの攻撃に耐えられない。勇者よ、ここは一度撤退して策を――」
「撤退?どれだけの時間をロスする気だ?」
俺はアリアの肩を掴み、グイッと自分の方へ引き寄せた。
「いいかアリア。よく見ろ。彼らはまだ『動いていない』だろう?」
「そ、それはそうだが……私たちが近づけば起動するはずだ!そういう結界が張られている!」
「その通り。だが、その結界には『穴』がある」
俺は床を指差した。
廊下の中央には、深紅の絨毯が敷かれている。王族を迎えるための豪華なカーペットだ。
そして、その両脇――壁際の部分は、剥き出しの石畳になっている。
「この絨毯こそが、奴らを起こす『スイッチ』だ」
正確には、ゲームにおいてこのエリアのイベント起動判定は、絨毯の座標に合わせて長方形に設定されていた。
開発者が手抜きをしたのか、あるいは「プレイヤーは真ん中を歩くものだ」と思い込んでいたのか、壁際のわずか30センチほどのスペースを歩くと四天王達は石像のままというわけだ。
「アリア、壁に張り付け。背中を壁から1ミリも離すなよ」
「は? ま、まさか……」
「カニ歩きだ。壁と友達になれ」
俺は壁に背中を押し付け、横歩きでジリジリと進み始めた。
傍から見れば、壁に身体をくっつけている不審者だ。
「し、信じられん……。そんな子供騙しが通用するわけが……」
アリアも半信半疑で壁に張り付き、俺の後を追う。
俺たちはそろりそろりと、第一の石像――「豪腕の巨神」の目の前へと差し掛かった。
距離、わずか2メートル。
本来なら、ここで「よくぞ来た勇者よ!」という怒号と共に戦闘が始まる距離だ。
……シーン。
石像は微動だにしない。
ただ虚空を睨みつけたまま、沈黙を守っている。
「う、動かない……?なぜだ?目の前にいるのに!」
「奴らは『礼儀正しい』んだよ」
俺は冷や汗を拭いながら解説する。
「彼らは『勇者が正面から堂々と現れる』ことしか想定していない。だから、壁の隅をコソコソ歩くような卑怯者が視界に入っても、脳が認識できないんだ」
「認識できないって、目はついているだろう!?」
「目があっても、意識が向いてなきゃ見えないのと同じだ」
これもゲームの仕様だ。
敵は、イベントトリガー(今回の場合だと絨毯)を踏んだプレイヤーに対してのみ敵対行動を取る。トリガーを踏んでいない俺たちは、システム上「まだ部屋に入っていない」扱いになっているのだ。
つまり、今の俺たちは彼らにとって「空気」と同義である。
そのまま第二、第三の石像を通過する。
アリアは生きた心地がしないようで、石像の鼻先を通るたびに「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げている。
「息を止めておけ。彼らの鼻息がかかる距離だが、絶対に手を出すなよ」
「わかっている!誰が好き好んで怪物を触るか!」
そして、最後の石像――「死霊の女王」を通過。
俺たちはついに、誰にも気づかれることなく、廊下の最奥へと到達した。
目の前には、巨大な「魔王の扉」。
当然、固く閉ざされている。
表面には複雑な魔法陣が刻まれ、四つの窪みがある。
「……行き止まりだ」
アリアが絶望的な声で告げる。
「見ろ、あの窪み。やはり四天王を倒して、彼らの核を嵌め込まなければ開かない封印だ。鍵がない以上、ここを通ることは――」
「鍵ならある」
「え?」
「お前の持っているそれだ」
俺はアリアが左手に持っている小盾を指差した。
関所抜けに使った、あの薄汚れた木の盾だ。
「またか!またこれか!今度は何をする気だ!」
「『扉抜け』だ。関所の時と同じ原理だが、今回は少しコツがいる」
俺は扉の前に立った。
この扉は、関所の門よりも分厚く、仕組みはわからないが前の関所のように単純な押し込みでは抜けられない。
だが、この扉には別の欠陥がある。
それは「開閉方向」だ。
この扉は、演出上、ボス戦後に「手前」に向かって開くように設定されている。
「アリア、盾を構えて扉に背を向けろ」
「こうか?」
「そうだ。そして、俺が合図したら、全力で後ろに下がれ」
「後ろに?扉があるぞ?」
「扉の『蝶番』を狙うんだ」
俺はアリアの背中(盾)と、扉の蝶番の間に、自分の体を割り込ませた。
サンドイッチ状態だ。
「いいか、俺がこの隙間にナイフを突き立てる。すると世界は『異物が挟まった』と認識して、扉の判定を一瞬だけズラそうとする。その瞬間に、お前の盾で俺を押し込め!」
「理屈はさっぱり分からん!だが、やるしかないんだな!」
「そうだ!3、2、1……今だッ!」
俺は切っ先を蝶番の隙間にねじ込んだ。
ガガッ!
扉が微かに振動する。判定のゆらぎだ。
「うおおおおおおッ!」
アリアが気合と共に、背中で俺を押し潰しにかかる。
グシャッ。
俺の肋骨が悲鳴を上げた気がしたが、構わない。後で薬でも飲めばいい。
強烈な圧力。
俺の体と、盾と、扉の座標が混ざり合う。
世界が「どっちだ!?こいつは内側か外側か!?」と混乱する。
そして――。
ニュルッ。
まるでゼリーの中に吸い込まれるような奇妙な感覚と共に、俺の体が扉の「厚み」をすり抜けた。
視界が反転する。
背中から床に倒れ込む。
「――がはっ!」
肺の空気を吐き出しながら、俺は目を開けた。
そこは、広大な空間だった。
高い天井。
真紅のカーテン。
そして、部屋の最奥、数多の骸骨を積み上げて作られた玉座。
そこに、頬杖をついて座る男が一人。
漆黒の衣を纏い、圧倒的な魔力を放つ、この世界の支配者。
「魔王……!」
俺は立ち上がり、服の埃を払った。
振り返ると、扉の向こうから「ど、どうなった!? 勇者、生きているか!?」というアリアの声が聞こえる。
「安心しろ、中に入れたぞ。お前はそこで待機だ」
「なっ!? 私を置いていく気か!」
「ここから先は『1対1』のイベント戦だ。第三者が入るとバグって進行不能になる可能性がある」
これは嘘ではない。
最終決戦にNPCを連れ込むと、魔王のターゲットが分散してしまい、特殊なハメ技が成立しなくなる恐れがあるのだ。
「そんな……!一人で戦うつもりか!?」
「ああ。すぐ終わる」
俺は扉越しにアリアに告げ、玉座の男に向き直った。
【00:12:45】
魔王がゆっくりと顔を上げ、俺を見た。
その瞳には、困惑の色が浮かんでいる。
当然だろう。四天王が健在で、扉も開いていないのに、いきなり勇者が目の前に現れたのだから。
「……貴様、何者だ?どこから入った?」
重厚な声が響く。
俺はニヤリと笑い、ナイフを構えた。
「壁抜けだ。基本だろ?挨拶は抜きで始めようぜ、魔王さんよ」
いよいよ、最後の戦いが始まる。




