第5話 馬は空を飛ぶ生き物です
【00:06:30】
「死の荒野」。
その名の通り、サンドリア王国の北部に広がるこのエリアは、生命の拒絶を形にしたような場所だ。
地面は赤茶けた岩とひび割れた大地のみ。草木一本生えておらず、空気には硫黄の臭いが立ち込めている。
空は常に鉛色の雲に覆われ、時折、遠くの山岳地帯から地響きのような咆哮が聞こえてくる。
ここは、本来なら物語の中盤、レベル20を超えた冒険者がパーティを組んでようやく足を踏み入れる「中級エリア」だ。
出現する魔物は、オーク、ロック鳥、そして空の王者ワイバーン。
レベル1、布の服、鉄のナイフ一本の俺がいていい場所ではない。
「……勇者よ。本当にここを進むのか?」
並走する馬の上から、アリアが震える声で問いかけてくる。
彼女の顔色は悪い。騎士団長としての経験が、この場所の異常な危険度を肌で感じ取っているのだろう。
「戻ろう。今ならまだ引き返せる。関所を強引に抜けた件は、私がなんとか王に説明する。だから……」
「引き返す?冗談だろ」
俺は後ろ向きに走りながら(荒れ地なので足元に注意が必要だが、まだバック走の方が速い)、即答した。
「ここを抜ければ、次の目的地『古代神殿』はすぐそこだ。引き返せば往復で4時間のロスになる。世界が滅ぶぞ」
「世界が滅ぶ前に私たちが死ぬ!見ろ、あそこを!」
アリアが空を指差す。
鉛色の雲の切れ間から、巨大な影が舞い降りてくるのが見えた。
翼長10メートルを超える巨体。鉤爪のついた足。そして、獲物を引き裂く鋭い嘴。
ワイバーンだ。
上空から獲物を見つけ、急降下で襲いかかってくるフィールドの掃除屋。
ギャァァァァァァッ!
空気がビリビリと震えるような叫び声と共に、ワイバーンが旋回し、明らかにこちらを標的としてロックオンした動きを見せた。
「くっ、やはり見つかったか!勇者、私の後ろに隠れろ!私が囮になって時間を稼ぐ!」
アリアが愛剣を抜き放ち、馬の速度を緩めて迎撃態勢に入ろうとする。
自己犠牲の精神。立派な騎士道だ。
だが、俺にとっては迷惑極まりない。
「馬鹿野郎、止まるな!加速しろ!」
「なっ!?ワイバーンから逃げ切れるわけがないだろう!馬より奴の方が速いんだぞ!」
「普通に走ればな。だが、俺たちには『地形』がある」
俺はバック走をやめ、クルリと反転してアリアの馬に駆け寄った。
そして、並走しながら彼女に向かって叫んだ。
「アリア、鞍の前の方に詰めろ!俺も乗る!」
「は、はあ!?この状況で二人乗りだと!?重量で遅くなるだけだ!」
「いいから詰めろ!手綱を代わる!」
俺は有無を言わさず、走る馬の背に飛び乗った。
アリアの背後に着地し、彼女の体越しに手綱を掴む。
「きゃっ!?き、貴様、どこを触って……!」
「舌を噛むなよ。少し揺れるぞ」
俺は手綱を強く引き、馬の進路を強引に変更した。
目指すのは道の先ではない。
街道を外れた先にある、切り立った岩山だ。
「おい、どこへ行く気だ!そっちは行き止まりだぞ!」
「あそこへ行く」
俺が目指したのは、二つの巨大な岩が重なり合い、V字型の狭い隙間を作っているポイントだ。
どう見ても馬が通れる幅ではない。激突すれば人馬ともにミンチになる。
「正気か!?ぶつかる!止まれ!止まってくれええええ!」
「止まらない。これこそが、このエリア最速の移動手段だ」
【00:07:45】
俺は手綱を握りしめ、馬が恐怖で減速しようとするのを、鞭を入れることで強制的にキャンセルさせた。
ワイバーンが背後から迫る。
目の前には岩の壁。
衝突まであと3秒。
俺が目指しているのは、この岩場に隠された「秘密の抜け道」だ。
一見するとただの行き止まりだが、このV字の隙間には、ある特殊な条件でのみ発動する「強制移動ギミック」が仕込まれている。
その条件とは、「時速40キロ以上で、特定の角度から衝突すること」。条件を満たした瞬間、衝突の衝撃がすべて推進力に変換され、空の彼方へ弾き飛ばされるという隠しルートが開くのだ。
これは古代の魔法装置か、あるいは天然の風洞現象か。
いずれにせよ、俺だけが知る「荒野を最短で越えるための裏技」だ。
「いっけええええええええッ!」
「いやあああああああああッ!」
俺の咆哮とアリアの悲鳴が重なる。
馬の鼻先が、V字の岩の隙間に突き刺さる瞬間。
バシュゥゥゥン!!
凄まじい風が吹き上がると同時にまるでコルク栓が弾け飛ぶような音と共に、強烈なGが全身を襲った。
俺とアリア、そして馬は「弾き出された」。
後ろではない。
斜め上空、遥か彼方へと。
「――――へ?」
アリアの声が裏返る。
気づけば、俺たちは空にいた。
眼下には、豆粒のように小さくなったワイバーンが、獲物を見失ってキョロキョロしているのが見える。
そのさらに下には、広大な死の荒野の全貌が広がっていた。
まるで砲弾のように、俺たちは空を飛翔していた。
馬も空中で足をバタつかせているが、物理法則がバグっているため、落下することなく放物線を描いて飛んでいく。
「と、ととと、飛んでる!?馬が!?私たちが!?」
「いい眺めだろ。通常プレイなら徒歩で30分かかる沼地エリアを、今一瞬で越えたぞ」
俺は冷静に現在地と落下予測地点を確認する。
この「座標弾き」による移動速度は、時速にして300キロ近い。
一気にマップの端まで到達できる。
「夢だ……これは夢だ……。でなければ、私が狂ったんだ……」
「しっかりしろ騎士団長。着地するぞ」
高度が下がり始める。
目指す着地点は、荒野の北端にある大きな湖だ。
水面への着地なら、ゲームの時もダメージ判定はなかったからだ。というかないと信じたい。
「おい待て、あそこへ落ちるのか!?結構な高さだぞ!」
「大丈夫だ。俺たち筋肉多いからな」
「筋肉の問題じゃない!」
水面が迫る。
俺はアリアの腰を強く抱き寄せ(あくまで落下防止だ)、着水の衝撃に備えた。
「鼻をつまんでおけよ!」
「勇者の馬鹿野郎ォォォォォォッ!」
ザッパァァァァァァァン!!
巨大な水柱が上がり、俺たちは湖へと突っ込んだ。
冷たい水が全身を包む。
水中でも馬は元気だ。すぐに水面へと浮上する。
【00:08:20】
ぷはっ、と顔を出すと、そこは静寂に包まれた湖畔だった。
荒野の殺伐とした空気はない。
目の前には、鬱蒼とした森と、その奥に佇む古びた石造りの神殿が見える。
古代神殿。
伝説の武器が眠るとされる、中盤の最重要攻略ポイントだ。
「……着いたな」
俺は濡れた髪をかき上げ、タイマーを確認して頷いた。
想定通りのタイムだ。
「…………」
背後で、アリアが馬の首にしがみついたまま、虚ろな目で宙を見つめている。
ずぶ濡れの赤髪が頬に張り付き、小刻みに震えている。
「おい、大丈夫か?」
「……帰りたい」
「何だって?」
「王都に帰りたい……。お城のふかふかのベッドで寝たい……。こんなの、私の知ってる冒険じゃない……」
涙目で訴える騎士団長。
だが残念ながら、ここから一人で王都に帰るには途方もない時間と危険が付きまとう。
安全に王都に帰るには、俺と一緒に魔王を倒してエンディングを迎えるしかない。
「諦めろ。ここからはノンストップだ」
「鬼!悪魔!偽勇者!」
罵倒が心地よい。
俺は馬を陸に上げると、すぐさま神殿へと向かった。
この神殿には、魔王を倒すための必須アイテム――聖剣がある。
だが、俺の狙いは聖剣ではない。
聖剣を引き抜くイベントで発生する「あるフラグ」を利用して、さらに先のエリアへワープすることだ。
「行くぞアリア。聖剣は抜かないけど、聖剣の台座は使うからな」
「……もう何でも好きにしてくれ」
完全に思考を放棄した騎士団長を引き連れ、俺は神殿の入り口へと足を踏み入れた。
主人公が言った4時間のロスというのはゲームをプレイした体感の時間です。実際の時間は何十日とかかる距離です!




