第3話 泥棒ではありません、先行投資です
【00:01:50】
目の前には、重厚な鉄の装飾が施された木製の宝箱。
当然、鍵がかかっている。
まともな手順(正規ルート)で挑むなら、まずはパニックになっている町長をなだめ、彼の悩み事である「地下水路のネズミ退治」を引き受け、それを達成して感謝され、報酬として鍵を受け取る必要がある。
だがこのネズミ退治が実は難易度が高く、この時点では到底クリアできない依頼のため、この宝箱の中身を手に入れるのは本来は当分先なのだ。
「おい貴様!人の家で何をしている!」
背後から、アリアの怒鳴り声が聞こえる。
町長も顔を真っ赤にして震えている。
「ええい、衛兵!衛兵を呼べ!強盗だ!」
至極真っ当な反応だ。だが、衛兵が来る頃には俺はもうこの街にはいない。
俺は宝箱の側面に回り込むと、壁と宝箱のわずかな隙間に体をねじ込んだ。
(ここだ。この座標……壁の継ぎ目と、宝箱の当たり判定が干渉しているポイント)
俺はしゃがみ込み、壁に向かって自分の頭を強引に押し付けた。
傍から見れば、不法侵入者が突然、壁の角に額をこすりつけているだけの奇行に見えるだろう。
「な、なんだ?何をしているのだ貴様は……?」
アリアの声色が、怒りから困惑、そして恐怖へと変わる。
無理もない。勇者がブツブツと呟きながら、壁と家具の隙間で頭を押し付けてるのだから。
だが、俺の視界の中では、劇的な変化が起きていた。
目の前の壁が突如歪み半透明になったのだ。そして後ろを振り返ると、同じように閉ざされていたはずの宝箱のフタが半透明に消え失せた。
ゲームでよくある現象だ。視点が狭い場所に挟まると、邪魔な壁やフタが「透けて」しまい、中身が丸見えになるあれだ。
システム上、「見えているアイテム」は「触れるアイテム」として認識される。
鍵など不要。空間を超越して掴めばいい。
俺は透過した宝箱の中へ手を伸ばし、宝箱の中にあった 《聖なる鋼のナイフ》と《上級傷薬×3》、そして《力の丸薬》を手に入れた。
「よし」
俺は立ち上がり、虚空から取り出したナイフを腰に差した。
所要時間、わずか8秒。完璧だ。
「き、貴様……今、箱を開けずに中身を……?」
アリアが目を見開いて後ずさる。
魔法でも鍵開け技術でもない、理屈の通らない現象。彼女の騎士としての常識が崩壊しかけているのが分かる。
町長に至っては「あ、悪魔だ……」と腰を抜かしていた。
「泥棒だ!それは犯罪だぞ勇者!」
「人聞きが悪いな。これは『世界平和のための先行投資』だ。魔王を倒したら倍にして返してやる」
「ふざけるな!返せ!今すぐ返して町長に土下座しろ!」
アリアが剣の柄に手をかけ、殺気を放つ。
本気だ。彼女は正義感が強く、曲がったことが大嫌いな性格をしている。たとえ相手が伝説の勇者だろうと、悪事は見逃さない。
ここで彼女と戦闘になれば、レベル1の俺はワンパンで沈む。
【00:02:10】
俺は視界のタイマーを確認し、踵を返した。
出口はドアではない。
俺が向いたのは、リビングの大きな窓ガラスだ。
「あ、おい!そっちは窓だぞ!」
「知ってる」
俺は加速をつけると、躊躇なくガラスに向かってショルダータックルをかました。
ガシャァァァァン!!
派手な破砕音と共に、ガラス片が舞い散る。
この世界のガラスは、割れるエフェクトこそ派手だが、触れてもダメージ判定が存在しない。開発者が当たり判定を設定し忘れたのか、そういう「優しい世界」なのかは知らないが、俺にとっては好都合だ。
「うわああああ!わしの最高級ガラスがああああ!」
町長の悲鳴を置き去りにして、俺は庭へと転がり出た。
着地と同時に体勢を立て直し、再び「北」の方角を確認する。
ここから北門までは一直線だ。
俺はクルリと後ろを向き、再びバックステップの態勢に入った。
「待てえええええッ!逃げるなあああッ!」
アリアが窓枠を乗り越え、瓦礫を踏みしめて追いかけてくる。
その顔は鬼の形相だ。もはや勇者への敬意など微塵もない。完全に「凶悪犯を追う捜査官」の顔つきである。
「しつこいな……!暇なのか騎士団長!」
「貴様がやらかし続けるからだろうが!止まれ!物理的に止めるぞ!」
彼女の足の速さは侮れない。
だが、今の俺には「バックジャンプ走法」による加速がついている。
俺は庭の植え込みを跳び越え、柵をバグ技ギリギリの挙動ですり抜け、再び大通りへと飛び出した。
タンッ、タンッ、タタタタタッ!
リズムよく地面を蹴り、加速を乗せていく。
背後の景色がものすごい勢いで遠ざかっていく(俺にとっては進行方向だが)。
前方に見えてきたのは、巨大な石造りの門。
サンドリア王国の北門だ。
門の前には二人の衛兵が立っている。
「ぬ?なんだあれは……」
「人が……後ろ向きに飛んでくる?」
衛兵たちが槍を構えようとするが、遅い。
俺は彼らが「静止しろ」と声をかける前に、その脇を風のようにすり抜けた。
「通るぞ」
「は?うわぁっ!?」
一瞬で衛兵を置き去りにする。
そして、俺の足はついに、綺麗に舗装された石畳から、土と草の感触へと変わった。
【00:02:40】
サンドリア平原。
見渡す限りの草原と、遠くに見える山々。
ついにフィールドエリアへの到達だ。
俺はここで一度足を止め、深く息を吐いた。
心臓が高鳴る。
ここからが、本当の地獄(RTA)の始まりだ。
「はぁ、はぁ……っ!魔法使ったのに追いつかない。き、貴様……速すぎる……!」
数秒遅れて、息を切らせたアリアが門から走り出てきた。
彼女は膝に手をつき、信じられないものを見る目で俺を睨みつける。
「なんなんだ……その動きは……。人間業じゃない……」
「言ったろ。急いでるんだ」
俺は平然と答え、視線を平原の先へと向けた。
そこには、プルプルと震える青い半透明の物体――スライムが一匹、のんびりと跳ねているのが見えた。
通常プレイなら、最初の経験値稼ぎの相手だ。
アリアも呼吸を整え、剣の柄に手をかけた。
「……魔物か。勇者、まずはあのスライムで剣の稽古を――」
「無視だ」
「は?」
アリアが呆けた声を出す。
俺はスライムを一瞥もしなかった。
「あんな経験値効率の悪い雑魚にかける時間は1秒もない。行くぞ」
「い、行くぞって……今の貴様はレベル1だろう!? 装備だってそのナイフと布の服だけじゃないか!死ぬぞ!?」
彼女の警告は正しい。
このゲーム、レベル補正がキツイ。レベル1の状態で敵の攻撃を食らえば、スライムの体当たりでもHPの半分は持っていかれる。クリティカルなら即死だ。
まさに「当たれば死ぬ」デスゲーム。
だが、RTA走者にとって「防御力」など不要なステータスだ。
当たらなければ、どうということはない。
「死なないさ。……俺はこの世界を知り尽くしているからな」
俺はニヤリと笑い再びスライムの方角へ背中を向けた。
魔王城まで、あと推定3時間58分。
さあ、死の行軍を始めようか。
この作品書くにあたり、どんなバグ技があるか調べてみました(^^;;
次もよろしくお願いします!




