第2話 移動手段は「後ろ向きジャンプ」が最適解です
【00:01:05】
ヒュオオオオオッ!
鼓膜を叩く風切り音。
城壁の「継ぎ目」をすり抜けた俺の体は、重力に従ってサンドリアの城下町へ真っ逆さまに落下していた。
高さは30メートル。現実なら即死確定の高さだ。
だが、俺は冷静に視界のタイマーと地面の距離を測っていた。
(落下ダメージ……よし、あれなら死なない)
『サンドリア・クロニクル』には、有名なバグ技がある。
どんな高い場所から落ちても、着地の瞬間に「前転」を入力すれば、システムが「落下」ではなく「ただの移動」だと勘違いして、ダメージがゼロになるのだ。
物理法則もへったくれもないが、RTA走者にとっては常識である。
地面が迫る。石畳のザラついた質感が見える。
3、2、1……今だ。
俺は着地のインパクトに合わせ、前方に回転をした。
ザシュッ!
小気味よい効果音と共に、視界がグルンと回る。
本来なら骨が砕ける衝撃が来るはずのタイミング。だが、俺の体は地面に叩きつけられることなく、まるで氷の上を滑るようにスムーズに前方へ転がった。
回転の勢いで立ち上がる。無傷だ。
「なっ……人が降ってきたぞ!?」
「城の方から飛び降りたのか!?」
周囲の町人たちが騒ぎ始める。当然だ。物理法則を無視した挙動に、彼らも混乱しているのだろう。
だが、彼らの驚愕に付き合っている暇はない。
俺は即座に周囲を見回し、現在地を特定する。
ここから目指すべき「北の城門」までは、直線距離でおよそ800メートル。普通に走れば2分はかかる。
そんな悠長な時間はかけられない。
【00:01:15】
俺は目的地の方角を確認すると、くるりと回れ右をして、北門に背中を向けた。
これから行うのは「移動」だ。
俺は背中を向けたまま、後方へ向かって小刻みにジャンプを開始した。
タンッ、タンッ、タンッ、タタタタタタッ!
連続バックジャンプ。これもまた、このゲーム特有のバグに近い仕様だ。
通常、「前方ダッシュ」には空気抵抗をシミュレートした速度制限が設定されている。しかし、なぜか「後方への小ジャンプ」にはその制限が極端に緩い。
接地した瞬間に再ジャンプを続けることで、加速が無限に蓄積されていくのだ。
結果、普通に走るよりも1.5倍近い速度で移動できる。
「どけえええええッ!」
俺は叫びながら、人混みをバック走で縫うように駆け抜ける。
この大通りのマップ構造、露店の配置、街の人達の歩行ルートはすべて頭に入っている。後ろを見る必要すらない。
「う、うわあああっ!?」
「なんだこいつ!後ろ向きに突っ込んでくるぞ!」
街の人たちが悲鳴を上げて左右に散開していく。
傍から見れば、猛烈な勢いで背中からカッ飛んでいく不審者そのものだろう。だが、背に腹は代えられない。
その時だった。
進行方向とは逆、つまり俺が向いている城壁の方角から、激しい蹄の音が轟いた。
「待てええええええッ!勇者ああああああッ!」
ヒヒィィン!
猛烈な勢いで石畳を蹴り、追いかけてくる白馬が一頭。
鞍に跨っているのは、先ほどの赤髪の女騎士――アリアだ。
さすがは騎士団長。城門を通らずに壁を抜けた俺を、正規ルートの門を開けて全力で追いかけてきたらしい。
「貴様!城壁から飛び降りて無事だと思えば、今度はなんだその奇妙な動きは!」
アリアが馬を飛ばして並走してくる。
馬の速度と、俺のバックジャンプの速度はほぼ互角。
人間が馬と並走している、しかも後ろ向きで。その異常な光景に、沿道の住人たちが口をあんぐりと開けている。
「チッ、馬か。さすがに速いな」
俺は後ろ向きに跳ね続けながら、正面(進行方向逆)にいる彼女と目を合わせた。
「当たり前だ!というか、なぜこっちを見ている!? 進行方向を見ろ!器用すぎて気持ち悪いぞ!」
「前を向くと遅いんだよ。この世界の空気抵抗の設定がガバガバなんだ」
「意味が分からん!頼むから止まってくれ!騎士団長としての私の威厳に関わる!」
アリアが悲痛な叫びを上げる。
確かに、召喚した伝説の勇者が、初日からバック走で町を爆走し、それを騎士団長が追いかける図など、国の恥以外の何物でもない。
だが、俺には止まれない理由がある。
【00:01:45】
現在地、商店街エリアの中腹。
俺の脳内チャートでは、ここで一つの重要な分岐点がある。
今の俺は、所持金ゼロ。武器なし。
このままフィールドに出れば、最初のスライムにすら苦戦してタイムロスになる。最悪、即死してタイトル画面(永眠)行きだ。
RTAにおいて、初期火力の確保は最重要課題だ。
俺はバックジャンプの勢いを殺さないまま、アリアに声を張り上げた。
「おい騎士団長!この先に『町長の屋敷』があるな?」
「は?あ、ああ。あるが……それがどうした?」
「ちょっと寄る。5秒で済ませるから待ってろ」
「よ、寄る?挨拶か?それなら私も同席して、正式な手順で――」
アリアが少しだけ手綱を緩め、安堵の表情を浮かべた。
彼女の思考ルーチンでは、「屋敷に寄る=訪問=足が止まる」という計算が働いたのだろう。
だが、甘い。
俺は左足で地面を強く蹴り、ジャンプの軌道を強引に修正した。
目指すは、商店街の一等地にある立派なレンガ造りの屋敷。その玄関ポーチだ。
タンッ!
俺はトップスピードのまま、勢いよく屋敷の敷地内へバックで飛び込んだ。
「たのもー」
挨拶はした。礼儀は尽くした。
次の瞬間、俺は反転すると同時に、閉ざされた玄関のドアを思い切り蹴り飛ばした。
バゴォォォォン!
木製のドアが悲鳴を上げて吹き飛ぶ。
本来なら「ノックする」を選択し、住人が出てくるのを待つ必要がある。
だが、このゲームにおいて、キックは鍵のかかっていない一般民家のドアを「破壊可能オブジェクト」として処理する。
ドアが開くモーションを待つより、破壊した方が0.8秒速い。常識だ。
「なっ!?勇者がドアを蹴飛ばした!?」
背後でアリアの絶叫が聞こえる。
彼女が馬から飛び降り、慌てて追いかけてくる足音がした。
だが、俺はもう止まらない。
屋敷の廊下をスライディングで滑り抜け、リビングへと突入する。
そこには、優雅に昼食を摂っていた恰幅の良い町長とメイドの姿があった。
「ひぃっ!?な、なんだお前は!?ドアがいきなり……!」
優雅に昼食を摂っていた町長が、フォークを取り落として仰天している。
当然だ。自宅のドアを蹴破られて「旅の方ですか」などと呑気なことを言う人間はいない。この世界の人々は、プログラムされた人形ではなく、生きた人間なのだから。
だが、俺にとってはその「人間らしい反応」こそが最大のタイムロスだ。
俺はわめき散らす町長を完全に無視し、部屋の最奥、暖炉の横に置かれた「宝箱」へと直行した。
ここからが、今日最初の難関バグ技だ。




