第10話 魔王の演説はスキップできませんが、攻撃してはいけないわけではありません
【00:12:50】
玉座の間。
そこは、この世の全ての悪意と魔力が集約された空間だった。
高い天井から垂れ下がる深紅の垂れ幕。床に敷かれた分厚い絨毯。壁には無数の髑髏が埋め込まれ、それら全てが虚ろな眼で侵入者を見下ろしている。
そして、部屋の最奥。
骨と漆黒の鉱石で組み上げられた巨大な玉座の上に、奴はいた。
「……ほう」
重低音の声が、広大な空間を震わせる。
腹の底に響くような、絶対強者の響き。
魔王だ。
人間など片手で握り潰せそうな巨躯。頭部から生えた二本の捻じれた角。そして、見る者を威圧する金色の瞳。
魔王が指先をひとつ動かすだけで、国が一つ滅ぶと言われる災厄の化身。
本来なら、弱い冒険者だと対面した瞬間に、その覇気だけで腰を抜かし、動けなくなるほどの存在だろう。
だが、俺は動じない。
何故なら魔王には決まった行動があるからだ。
「扉を開けず、守護者も倒さず、影のように現れたか。面白い」
魔王がゆっくりと玉座から立ち上がった。
その動作一つ一つに、空気が張り詰めるような重圧が伴う。マントが生き物のように蠢き、周囲の魔力が渦を巻く。
「貴様、何者だ?勇者か?それとも――」
「名前なんてどうでもいいんだろ?悪いが自己紹介は後にしてくれ」
俺はナイフを逆手に持ち、姿勢を低くした。
前傾姿勢。ダッシュの予備動作だ。
アリアは扉の向こうで待機させている。ここからは1対1の勝負。邪魔は入らない。
「……せっかちなものだな。ここまで来る人間は貴様が初めてだというのに。だが、その瞳……ただの人間ではないようだな」
魔王が不敵に笑い、マントをバサリと翻して両手を広げた。
来た。
第一フェーズ開始の合図、「魔王の演説」だ。
「よいだろう!我が名は魔王ガノン!この世界を統べる恐怖の王なり!愚かなる人間よ、我が前にひれ伏し、絶望の中で――」
魔王の周囲に、赤黒い魔力の防壁が展開される。
「魔王の加護」と呼ばれる絶対防御だ。
奴が口上を述べている間、勇者側はいかなる攻撃も通じない。魔法も剣も、その不可視の壁に弾かれる。
この世界の住人であれば、奴の言葉が終わるまで恐怖に震えて待つしかないだろう。
――まともな神経をしていれば、な。
「……そこだ」
俺は地面を蹴った。
魔王が「絶望の中で」と言いかけた、そのコンマ1秒の隙。
俺は弾丸のように奴に向かって突っ込んだ。
「ぬ?無駄だ。我が防壁は――」
魔王が余裕の笑みを浮かべる。
俺は奴の正面、防壁の及ぶギリギリの距離で急停止した。
そして、視線を奴の「足元」に向けた。
魔王の足元には、奴の威厳を示すための長いマントが広がっている。
このマントの裾。
実は、ここだけ「魔力の流れ」が途切れている。
物理的な布地が地面に垂れ下がっているせいで、そこだけ結界の展開が甘くなっているのだ。
神話や伝承には書かれていない、この世界特有の構造的欠陥。
「足が疎かだぜ!」
俺は叫びと共に、マントの裾を強く踏みつけた。
そして、その下にある魔王の左足首――強靭な肉体を支える腱に向かって、全体重を乗せたナイフを突き立てた。
ズブリ。
「ぐおっ!?」
魔王の口から、苦悶の声が漏れた。
演説が止まる。
空気を震わせていた魔力の防壁が一瞬揺らぎ、霧散した。
絶対的な守りが、物理的な痛みによる集中力の乱れで強制解除されたのだ。本来はレベル1の攻撃なんて効きやしないだろう。だが、俺が持っているのは町長の家でゲットした『せいなる鋼のナイフ』。その名の通り、魔族系には微々たるものだがダメージを与えられる。このダメージが肝だ。
「き、貴様……!我が口上の最中に何を……!?」
魔王が顔を歪め、体勢を崩す。
魔王といえど足の腱を断たれれば、いかなる巨体であろうと立ってはいられない。けれどそんな傷はすぐに魔王の力で治癒してしまうだろう。
だが、俺の手は止まらない。
一度攻撃が通れば、ここからは俺の独壇場だ。
「ここからは俺のターンだ!」
俺は魔王の懐に飛び込み、ナイフを構え直した。
狙うのは心臓でも首でもない。
奴が動こうとする「予備動作」の瞬間だ。
ザシュッ!
「ぐっ……!」
魔王が反撃しようと腕を上げた瞬間、俺のナイフがその腕を斬り裂く。
魔王の動きが止まり、仰け反る。
ザシュッ!
「がぁっ……!」
仰け反りから体勢を戻そうとした瞬間、今度は逆の足に刃を突き立てる。
再び魔王の体が硬直する。
これは「フレーム・トラップ(嵌め手)」と呼ばれる高等テクニックだ。
この世界の生物は、攻撃を受けた際に必ず一瞬の「硬直時間」が発生する。
その硬直が解け、次の行動に移ろうとするコンマ数秒の隙間に、正確無比なタイミングで次の攻撃を叩き込む。
早すぎれば硬直中の無敵時間に弾かれ、遅すぎれば反撃を受ける。
猶予はわずか60分の1秒。
瞬きすら許されない極限のリズムゲーだ。
「貴様!勇者の誇りはないのか!我に手出しをさせんつもりか!」
「レベル1が正攻法で勝てるかよ!ずっと俺のターンだ!」
魔王の顔色が、みるみるうちに青ざめていく。
本来なら、彼は傷を負えば「真の姿」へと変身するはずだ。
翼が生えたり、巨大化したりして、俺を吹き飛ばす衝撃波を放つ。
だが、今の彼は変身の詠唱すらできない。
魔力を練ろうとした瞬間に、思考を断ち切るような一撃が飛んでくるからだ。
攻撃を受ける→変身しようとする→ダメージリアクションが起きる→リズムよく攻撃される→またリアクションする
完全なる「無限コンボ(スタンロック)」。
変身をする暇さえ与えないリズミカルな連撃の前では、最強の魔王もただのサンドバッグだ。
「おのれ……!おのれぇぇぇッ!変身させろ!せめて翼を出させろ……!」
「させない。今の姿のまま散れ」
俺は無慈悲にナイフを振るい続ける。
神経を削るような集中力が必要だが、今の俺の脳内はゲームで魔王と戦う時に流れていた BGMが反響していた。
【00:13:05】
ハメ技開始から15秒。
魔王の膝がガクリと折れた。
レベル1の攻撃だが、攻撃を受け続けたためダメージが蓄積している。
だが、油断はできない。
この後、魔王には最後の切り札が残されているからだ。
俺はナイフを振るう手を止めず、腰のポーチの中にある「あるアイテム」の感触を確かめた。
――次が、本当の勝負だ。




